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赦すということ

悲しいけれど、戦争、虐待、いじめ、パワハラ、犯罪があり、世界には加害者がいて被害者がいる。
たとえ、自分に向けられてなくても痛ましい事件があると、こんなことは赦せないと思ってしまう。

2004年、私は水俣・札幌展に行った。
教科書には載っていない水俣病の現実を知った。
2017年には札幌自由学校「遊」で水俣学を学んだ。
写真を交えて淡々と事実を伝えられる。ショックだった。
企業と行政の隠蔽体質に悲しくなった。
何回も有機水銀を止めるチャンスがあったのに、組織は隠した。無かったことにしたい。責任は負いたくない。酷いと思った。

田口ランディさんの著書、「水俣 天地への祈り」を読んだ。

この本の中に出てくる杉本栄子さんは、水俣病の語り部、被害者だ。壮絶な体験をしているのに、水俣病を「守護神」だという。
そして、人は変わらない、自分が変わることと言う。
水俣病に感謝していると言う。

杉本さんの講演会には、いじめに悩む先生や子どもたちがたくさん聞きにくるそうだ。

いじめている子が、親から、もっと強い人からいじめを受けているんじゃないか、そういうことに気づいてください、とお話します。
自分の前で子供たちの喧嘩が始まった時、強かったねぇって、強い子を抱きしめてあげて下さい。
強かったねえ、ほっとしたかい、今日でやめようか?と優しい言葉をかけてあげてください。一緒に泣いてください。それだけでいいですって。

「水俣 天地への祈り」(田口ランディ著・河出書房新社発行)より引用

「強かったねえ、ほっとしたかい、今日でやめようか?」いじめる子を抱きしめながら言うって、なんだか泣けてくる。

水俣の現状に著者のランディさんは怒りを覚える。私も知れば知るほど赦せない気持ちになる。著者は、「でも・・・と、思う」と続ける。

 企業が悪い、政治家が悪い、役人が悪い、と怒る。そういうとき私は何も信じていない。ただ、加害者に怒りを感じているだけ。加害者をねじふせ、力ずくでも押さえ込んで謝罪させたい。それは私憤だろう。
 人間を信じられなければ何も解決できない。信じるしかない。信じてしまうしかないんだ。人間を信じねば、どうやって何を解決するのか?
 同じ弱さをもつ人間として共に祈り償うことが、憎しみの鎖を断ち切る道。人間にはそれができる。人間だからそれができる。

「水俣 天地への祈り」(田口ランディ著・河出書房新社発行)より引用

人間だから、人間を信じることができる。

赦すことって何だろう。

もちろん加害は許されない。
刑罰とは別次元の、心の中の「赦し」を考えてみる。

まずは、自分の感情のありのままを受け入れる。


人間だもの、怒りや憎しみやネガティブな感情も湧いてくる。同時に、他者にも様々な背景や感情があることを俯瞰してみる。
みんなそれぞれ違うけれど、実は同じ思いで生まれたのではないか。
誰しも世界を、そして人間を信じて生まれてきた。

あなたを愛し、あなたに愛されたい。
世界を愛し、世界に愛されたい。

この世に生を受けたときは、きっと同じ思いだと信じること。そして、自然の中の存在のひとつである「自分」は今どうなんだ?と問い続けること。
赦しとは、宇宙、地球、自然の全部を愛することかもしれない。

この本には、「チッソは私であった」を書いた緒方正人さんも出てくる。
杉本栄子さん、緒方正人さんは他者を批判しない。
ランディさんは、お二人の祈る姿がまぶしすぎて目を開けて見ていられないという。それほど神々しい。

子どもたちが、生まれてきて、信じて良かったと思う世界にしなければ。
一人一人が、そう思って、赦し、祈ることは、世界を変えるかもしれない。

指を自分に向けることなんだ。

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EMS(エッセンシャル・マネジメント・スクール)の学習部で持ち回りのコラムを書くというのがあります。今回、それをnoteにしました。

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