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第4号 大船渡東高校在校生と東朋中学校在校生へのメッセージ

~東京ディズニーランド(&シー)に夢を形にした主人たち~ 

大船渡一中卒(匿名)(市内在住)

在校生の皆さんに輝ける未来への「人生にエールを!」という原稿依頼があり、私自身の事ではなく、主人(たち)の生きた証について紹介させていただきます。
 日本のテーマパークの中心と言えば~東京ディズニーランド・ディズニーシー~と誰もが答え、一度や二度は訪れたことがあると思います。この夢のテーマパークに、主人たちが大船渡から夢を形にして届けたのです。皆さんご存知のスプラッシュ・マウンテン、ゴンドラやシンドバットなどなど。

 主人は赤崎中学校(現在の東朋中学校)から大船渡工業高校(現在の大船渡東高校)を卒業後、ずっと市内で働いておりました。縁あって大船渡市内にヤマハ大船渡製造という会社が誘致され、小型船舶・モーターボート・手漕ぎボートなどFRP工法技術で製造しており、製造依頼を受けた第一弾スプラッシュ・マウンテンは開園後の1992年10月1日オープン。そして、ディズニーシーの乗り物のゴンドラ、シンドバットは開園と同時の2001年9月4日オープンでした。ディズニーランドの運営会社である(株)オリエンタルランドから(正しくは製造会社を経て)、ディズニー向けの乗り物の製造依頼があったそうです。(この依頼があった時の主人たちの思いは・・・・想像ができません。まさか、自分たちが日本中の人たちに、大きな、大きな夢を与えることとなるなど、それこそ夢にも思っていなかったでしょう。両開園時の主人たちは、感動とやり切った思いでいっぱいだったことと思います。)

 それからは、舞浜へ月に何度も出張しアウトラインを何度も詰め、1台1台形にしていき、東京の上野駅近くの旅館に約1か月近く泊まり込んで、大船渡から海路運ばれてきた乗り物のスプラッシュ・マウンテン最終点検・設置に携わり、ここに夢の乗り物が無事完成したと聞いております。

 また、ディズニーシーのゴンドラは、オリエンタルランドの関係者に何度となく足を運んでもらい、高田松原にある古川沼でテスト走行をしておりました。

 主人は2011年3月11日、あの東日本大震災で津波にのまれ、自宅前の海で亡くなりましたが、あの頃の話を生前よくしており、主人を中心としたディズニーチームではあるが、ただ、自分を支えてくれた仲間に絶えず助けられながら作り上げ、夢を形にできたと口癖にように話しておりました。前述しましたが、完成したディズニーランド・ディズニーシーの乗り物は、日本中の世界中の人たちの夢を乗せた一翼を担ったと思います。仕事の上では、絶えず仲間を信頼し、その一人一人の技を結集することが大切だと。
 今となれば古い考え方かもしれませんが、ものづくりは産業の根底です。形にするということは、目で見る・手(指)で触る・たたいて音を聞き分けるなど、人間の五感が大きく影響しあい出来上がっていくとも話しておりました。在校生の皆さんもこれから社会に出て、ものを生み出す(無形・有形)ことに携わることとなるわけですが、たくさんの経験を積み五感を磨いてください。

 また、中学校・高校という利害に全く関係のない社会で作り上げられた人間関係は、非常に大切であり、いつまでも大切にしてください。主人が工業高校入学以来ずっと親交を深めてきた友人が自分を含めて6人おります。(大船渡中卒3人・越喜来中卒1人・竹駒中卒1人・そして主人赤崎中卒)
ここだけの話(もう時効ですから)、クラスでの成績は常に6人で下位グループを争っていたそうです。

私たち家族はこの五人に皆様に、主人が亡くなった今も何かと気遣っていただき、いつも感謝の気持ちで一杯です。そして、本人が居なくなっても、友人との親交はありがたいことに今も続いています。

 在校生のみなさん、友との出会いは大切に!そして、末永く! と、主人はエールを送っていると思います。

 政人さん、あなたの思いは在校生のみなさんに届いたこととでしょう。

船の貴方の弟子~追記文章 

 
寄稿者~

1999年5月社内におけるプロジェクトの為YAMAHA大船渡へ船舶のオーダーを行っていた。
船舶の建造が進み、第1艇目となるボートの船体を確認しに大船渡へ出張に行ったときに、初めて志田課長と出会った。
当時のYAMAHA 大船渡支社長であった釜さんとセッションを終了し、釜さんエスコートの下、カウンターパートであるアメリカ人と隣接する工場へと向かった。工場近くに来ると、何やら工場の中から大きな声が・・・・・・
「誰だ~これやったの!こんなものじゃお客さんに見せることできないぞ!!」
と工場の外に聞こえる大きな声が・・・・・恐る恐る工場の中へ行くと、
「こんにちは、課長の志田です、ようこそ大船渡へ」(笑顔で)
明らかにさっき大きな声を出していた方であったが、何事もなかったかのように応対してくれた。
アメリカ人と私は目を見合わせ、アメリカ人は私にこう言った「この人たちならきっといい船を作るに違いない、素晴らしいパートナーだ」と。一日目の工程を終了し、夜は大船渡駅近くであったろうか居酒屋の二階で懇親会を。
ほろ酔いであった志田さんが私に言ったくれた言葉、
「俺たちはね船を操船する人にとって、世界で一番使いやすい船を作りたいんだ、だから散々わがまま言ってください、最高の船を提供」しますから!」と・・・・・・
2001年9月4日・・・華々しいグランドオープンを迎えた。その船は今でもパークのシンボルと言っても過言ではない存在となり、今も毎日たくさんの方を乗せ、元気よく水路を泳いでいます。

敬愛なる志田政人さんへ
「ありがとうございました」


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