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もやブロ#45 36歳、起業家。核家族で3人目の出産に臨む。

こんにちは!地方で暮らす人を増やし、消滅可能性都市をなくすために、移住促進を中心としたまちづくり会社を経営しています。きら星の代表・伊藤綾(もや)です。

2021年11月8〜9日、ボーダレス・ジャパンの全企業社長が一堂に会する「世界会議」が行われました。
※弊社はソーシャルビジネスをする企業が集まる「ボーダレス・ジャパン」のグループ企業です。

その中で、若手の女性起業家を中心に「妊娠・出産・育児」に対する不安があることを知りました。
私の生き方や仕事観は、昭和的なガンバリズムで、マッチョなスタイルです。なので万人に受け入れられるものではないかと思いますが、1つのケースとして、若い起業家や起業家を目指している方の参考になればと、筆を取らせていただきます。

2児の子育て経験や、流産の経験をしながら会社経営をしています。これから更に出産を控えている私の心情や対処方法などをケーススタディとして示すことで、生き方の参考や反面教師になればと思います。
家庭環境や、置かれている事業ステージ、子どもとの関係などによって千差万別だとは思いますが1つの事例として追体験してお読みいただけると嬉しいです。

1.第一子の出産:マミートラックに乗り、苦しかった会社員時代

私は、起業家になる前、10年間会社員として働いていました。
会社員時代のエピソードを、ご紹介します。

「まちづくり」がしたくて、ショッピングモールの開発・運営をしているイオンモール株式会社で働いていました。
誰もが知っている、大きなモール。それが街にできると、商店街の衰退などマイナスの側面もありますが、雇用が2000人規模でできます。飲食からサービスまで様々な店舗があり、日常使いのスーパーから特別な日を過ごすための店舗まで、どんな天候の時も、赤ちゃんからお年寄り、障がいをお持ちの方まで楽しめる。そんな施設をつくること、そして地域の方に愛されるための様々な施策や、飽きられないための工夫を常日頃データをもとにPDCAを回しながら改善をしていました。
私はこの仕事の最前線で働くことに誇りをもち、現場のスタッフと一緒に自分が携わるモールが目に見えて変わっていくことに喜びを感じていました。

それが変わったきっかけは、妊娠・出産でした。

第一子を出産したのは2015年。30歳の時です。

責任あるプロジェクトの一員として、毎週のように全国を出張し、モールのリニューアルに従事していました。つわりがひどく、通勤電車ではビニール袋が欠かせませんでした。でも、就業時間になると不思議とつわりも和らぎ、間食をしつつなんとか乗り切っていました。帰りの電車ではもうヘトヘト。今思えば、マタニティマークなぞ見て見ぬふりの、都会の混雑した電車は私が地方で子育てをしたいという遠因になっているかもしれません。
一旦仕事に区切りをつけ、出産予定日の8週前から産休に入らせていただき、難産ではありましたが無事に長女を出産することができました。

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我が子は確かにかわいいが、仕事が大好きだったので「早く戻りたい」の一心で、生後6ヶ月になった2016年4月に保育園に入園させ、6時間の時短正社員として復帰しました。(育休期間は半年)
これは、個人による差がかなり大きいと思いますが、ワーカホリックであった私にとっては育休期間は非常に退屈なものでした。
2〜3時間おきに寝る赤ちゃん。寝ている間で、時間を有効に使えないかと、当時住んでいた千葉県流山市の周辺でプロボノ(プロのボランティア)として、様々なビジネス支援などのコンサルティングやお手伝い、スポットコンサルティングの「ビザスク」というサービスを利用してコンサルティングを請け負ったりなどしていました。
生後2ヶ月で予防接種が終わった後には、娘と2人でかつての出張先の様子を見に行ったり、全国各地のショッピングモールを回ったり。休んでいる間に、誰よりも勉強して時短になっても高密度に成果を出そう!それがモチベーションで、育児も頑張れていました。(そんなことをしながら、布おむつ育児などにも力を入れていました・・・)

そんな私を復職後、待っていたのは「思わぬ業務の変更」でした。
部署は変わらなかったのですが、①人員不足、②育休明けという配慮、のため営業バリバリで全国を飛び回っていた人間が、経理会計業務を担うことに。
イオングループはCSR(企業の社会的責任)にも力を入れており、女性が育児をしながらでも働きやすい環境を作っている企業に認定される「くるみん」を早々に取得するなど、確かに育児中でも働きやすい環境というのが制度としてできています。
それが故に、育休明けでも働きやすい業務に配置していただいたわけです。

「あぁ、私マミートラック(出産した女性社員が、出世コースから外れて就くキャリア)に乗せられたんだ」

それが、復職してしばらく、私の頭をよぎっていたことです。
制度が整っているから良い、とは一概には言えず、自分のキャリアを(配置転換などで)勝手に決められずに自分で切り拓いていきたい。そんな思いがどんどん強くなってきました。

その1年後には、6時間の時短を維持しながらも、元いたポジションに戻り、さらには自分が関わってきたモールを2店舗閉店するというプロジェクトのリーダーを任せていただきました。
仕事のやりがいと、家庭のバランスをなんとか取れている。そんな環境がありがたくも思いましたが、やはり大きな組織の中でやっていると2人目・3人目と出産した際にはどうなるのだろう?そんな疑問と、生産性を重要視する大資本ではやりきれない小回りのきくまちづくりを自らの手でやってみたい、やるしかない。という使命感にかられ、起業を志すようになります。

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2.第二子の妊娠:起業準備とボーダレスとの出会い

ボーダレスグループに参画する1年ほど前から、私は起業のタイミングを伺っていました。
会社員をしながら、赤ちゃんを育てながら、政策学校に通い、地方の活性化を移住促進というソフト面から支えたいというプランを作っていました。
2018年新潟県のビジネスプランコンテストなどに挑戦し、現在のきら星のモデルとほぼ同様のモデルを持ち込み発表したのですが、ファイナリストまで残るものの敢えなく惨敗。

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資金をどうやって調達しようかなあと考えていたところに、ボーダレス・ジャパンの起業家採用のページを偶然発見し「これだ!」と思いすぐにプランを送りました。

代表の田口さん(ボス)との面談を早速することに。
ちょうどその頃、第二子の妊娠が発覚し、そうした事情から「会社を辞めて、勝手にプランニングします。出産までの期間、人材紹介の事業経験がないのでボーダレスキャリアで修行をしたい。そして、第二子出産後すぐに、事業立ち上げをさせて欲しい」とお願いしました。
ボスも苦笑いしながら「オッケー!」と言っていた・・・ような気がします。

前項で述べたプロジェクトが完全にクローズしたタイミングで、イオンモールを退職。
お金のことを考えたら、また産休・育休を取って、雇用保険から手当をもらいながら生活した方が圧倒的に楽というのはわかってましたが、退路を断つためにも退職して起業準備に専念しようと考えました。

その後すぐに、大きなお腹を抱えながら、ボーダレスキャリアでアルバイトを開始しました。
0→1の時期に即戦力にもならず、3ヶ月後には去る身重の人間を迎え入れてくれた代表のヤマトさんには本当に感謝しています。
相変わらずつわりがひどく、いや、むしろ第一子の時よりもひどく、中央線の中で1日2回は吐いていました。
当時テレワークという概念もなかった中で、具合が悪い時などは、リモートワークを認めてくださいました。スタートアップだし、今までボーダレスキャリアには男性しかいなかったので、当然制度なんてありません。制度は、あって当たり前なのではなく、自分で環境を整備していくということ、そしてその分のパフォーマンスをお返しすることで還元する、Win-Winになると良いのではないでしょうか。

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こちらも、8ヶ月までお世話になり・・・その後は新潟の実家に帰省して起業の準備を進めていました。

今ご縁があって事業の本拠地となっている湯沢町へは、臨月のお腹を抱えながらプレゼンをし、出産後、資金調達ができたら起業をするのでお願いします!と営業をかけていました。今でもそのエピソードは担当課長さんから言われます(笑)

3.第二子出産:そして創業へ・・・・

2018年、33歳。第二子もありがたいことに健康に授かることができました。
もう、事業がやりたくてやりたくて仕方なかったので、1ヶ月検診が終わった頃に「ボス、プランニングお願いします!」と再度連絡をします。
そこからは1ヶ月くらい、毎日ソーシャルコンセプトを練り直す日々。ガッツだけはあったので「指摘したら翌日には修正してくる」そう評価してもらうのだけが取り柄でした(笑)

第二子の予防接種が始まった生後3ヶ月頃、1回目の社長会。
みなさん、初めて見るBtoG(Business to Government)モデルの事業。移住相談窓口業務という委託業務を「補助金とはどう違うの?」だとか、「どうやってマーケットの小さい田舎に人を呼ぶの?」という点に対して、ちょっと待ったがかかり承認されませんでした。
めちゃくちゃ悔しかったのを覚えています。
でも、2回目にどんな説明をして承認していただいたかは実は覚えていません。(苦笑)

事業承認された2019年1月。湯沢町への転居の準備を始めます。
2019年2月、きら星株式会社設立。リモートでできることから事業開始。
2019年3月、移住。家族4人、知り合いもいない町での初めての生活です。当時3歳の長女の保育園は4月からの入園。生まれたばかりの長男の入園は、6月頃からでした。

夫は湯沢への移住を機に、週に1回つくば市の会社に出社(片道3時間!)しながらの週4リモートワークに働き方が変わりました。
デイタイムの育児は私の役割の一部として、ルーティンに組み込みました。

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(写真は、最初のオフィス。子どもを床に転がしながら「事務所」を作っていましたw)
オフィス作りも、2人の子どもを抱えながら。打合せも、2人の子どもを抱えながら。
しんどいかしんどくないかと言われたら「間違いなくしんどい」のですが、それでも、決められた時間に決められたことをする会社員としての生活と、完全に自分の裁量で好きなだけ仕事ができて好きなだけメリハリがつけられる生活は違いました。

打合せなども、子連れで失礼だな!とムッとされる方も、正直いましたが、事情をお話しした上で赤ちゃんを抱っこ紐で抱えながら脇目を振らずに仕事をする姿に応援してくださる方のほうが圧倒的に多かったです。
当時の私は、息子を「営業部長」と呼んでいて、彼がいたから勝てた商談も数知れず・・・今のきら星の事業基盤を作ったのは実は息子かもしれません。
それこそボーダレスジャパンの行事などに連れて行ったことも数回あります(笑)

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保育園に入園してからは、9〜18時を仕事の時間、18時以降は家族の時間と定義し、デイタイムの9時間以内にやり切ること、労働生産性をどれだけ上げられるかを自らに課して働いていました。
子どもがいることによって、メリハリがつく。それは会社員時代でも、起業してからでも変わりがありません。そうした意味では、いくらでも時間さえあればやることができてしまう起業家の生活の中で、育児をしながらの起業ということは、時間をはっきり分けやすいというところはメリットであると言えるでしょう。

4.事業のピンチと流産

2021年、事業3年目。
黒字化して、安定的な利益を作ることができていたきら星にピンチが訪れました。
2020年は、社員が2名ほどおり3名で事業を回していたのですが、組織化がうまくいかずに同時期に退職し1人に戻ってしまいました。増える業務量、お客さまからの引き合いも多数、ガイアの夜明けなどメディアにも取り上げていただきバブルな状況を1人で回す。売上も利益も上がっているが、ともかく人手が足りない。

なんとか、右腕になる人財(ハッシー)を捕まえて、新しい体制で進めると思った矢先。

第三子を妊娠しました。

ハッシーの入社まではまだ2ヶ月くらいある。どうしよう、出産までにある程度の業務をお任せできるくらいになるだろうか。上記の通り、組織化に失敗した私は、人と一緒に働くということに関してかなり臆病になっており、採用・育成に関しての心配事が常にある状態でした。

ただでさえ1人で忙しい中で、車で40分の病院へ妊婦検診に毎週通い、朝はつわりで吐き、夜はつわりで眠れない状況は本当に辛かったです。
おそらく、若い起業家たちが怖がっている状況は、こういう状況(+黒字化していない)なのではないかなと想像しています。

しかし、ピンチはチャンスです。

・やらないことを決める
・利益最大化する仕事に絞る
・自分じゃないとできない部分と、お任せできる部分を分ける
・お任せするところは、雇用だけじゃなく外注という点でも検討する
このあたりを徹底的に見直すことで、「時間がない」「体調が悪く動けない」ことへの対処をしてきました。

遺伝子的に耐えられなかったのか、残念ながらこのときの子は初期の稽留流産をしてしまいました。
手術当日、悼みながらも、私は病室で締切に追われて記事を作成していました。こう言うしかないのですが、悲しいことでも、仕事があるから・自分の人生をかけてやりたいことがあるから、それで乗り越えられました。悲しんでいる暇は、ありませんでした。

5. 次こそは、第三子を今まさに妊娠中。

2021年、36歳。
その年のうちに、再度子どもに恵まれることができました。
長女は6歳(年長)、長男は3歳(2歳児クラス)になりました。来年の6月頃の出産予定です。

妊娠する度に、どんどんつわりがひどくなってきて、いま、大食い自慢の私がラーメンすら食べられないという状況に陥っています。

仕事も相変わらずパンパンで、ありがたいことに色々なところで講演をさせていただいたり、パートナー自治体が増えたりとソーシャルインパクトである地方へ移住する人を増やすというところに寄与する仕組みができつつあります。

ですが、会社にも頼れる仲間が増え、お任せできる領域が増えてきました。報告したところ「えーっ」とびっくりしておりましたが、おめでとうと言ってもらいながら今、妊婦生活を送っています。
大切なことは、先に備えて仕事のやり方を「はやく仕組み化する」ということです。

社員2名。年商2200万、営業利益500万。ソーシャルインパクト:地方へ移住した人66名(3年間)。提携自治体の数、4。
2040年に消滅してしまう可能性のある都市、900弱を考えると、まだまだ道半ば。
こんな中途半端な状態で、経営者が妊娠・出産して大丈夫なんだろうか?とも思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

第三子の出産前後も、私はギリギリまで働くのではないかと予想しています。
経営者にはそもそも、労働基準法が適用されないので産休育休もありませんし、逆にいうと「いつ休んでもいい」んです。それを決めるのも自分次第。仕事をコントロールするのも自分次第。
無理なく、でも最速で、を追い求めていけば、工夫できるところもたくさんあります。追い詰められた時にこそ、イノベーションが起こるものだと信じています。

最短で社会課題を解決するというボーダレスグループのボートに乗った以上は、妊娠・出産・育児という人生の転機の中でも結果にコミットする。そんな覚悟を持って、日々を過ごしています。
起業後、出産のタイミングなどについて迷っている方、将来出産を望むため、起業を迷われている方。そんな道しるべの一つになればと思います。

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伊藤綾(もや)
「魅力的なまちで溢れかえっている世界を」作り「地方で暮らす人を増やし消滅可能性都市をなくす」ことをミッションに動くまちづくり会社社長。湯沢町で暮らす2児の母でもある。