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愛を殴って夢を蹴る
先日、鎌倉へ行った帰りに藤沢へ立ち寄り街歩きをしていたら、とあるビルで古本や中古CDの販売イベントをやっていた。古書の中にもかなり気になるものがあったのだけれど、考えた末CDを2枚ほど購入。
RADIOHEAD「the bends」1995/3/8発売
GLAY「灰とダイヤモンド」1994/5/25発売
RADIOHEADのアルバムはジャケットの印象が強くて覚えていたのだけれど、音の方はさっぱり覚えていない。当時、友人が持っていたので一度聴いたことあるような気もするようでしないようで記憶が定かでない。
GLAYの方は、このアルバムの存在は知っていたのだけれど周囲に持っている人がおらずまったく聞いたことがなかった。インディーズ盤なので田舎では微妙に入手しづらかったのもあるかもしれない。しかもぼくが多く音楽を聴き始めた1996年ごろといえばGLAY大ブレーク中なので特に。
まずはRADIOHEADのthe bendsから。
(初めてかもしれないけど)何十年ぶりかに聴いた感想は「暗い」。ライナーノーツに歌詞の対訳が載っているので読んでみたが「暗い」。イギリスっていつも曇ってそうで陰鬱になりそうだよねー、まぁしょうがないか。夏目漱石もイギリスにいる時は鬱っぽい感じだったし(すごい偏見)
暗いといっても悪い意味ではなく、心情とかがありのまま出てるような感じで、嫌な感触が残るようなものではない。どうにもならない思いとかそういうやり場のないモヤモヤが吐露されてるような感じ。なんかその当時読んでたら(年代的にも)結構ハマっただろうなという気がした。
あまり音楽の用語とか潮流とかギターのテクニックなどはわからないけれど、音もかなり作り込んでる感じがするし、今聴いても時代補正でいいなと感じるわけでなく、普通にいいなと思えるので名盤と呼ばれるのもわかった。ちょっとキング・クリムゾンぽさも感じた。よい。
次作のOK COMPUTERも機会があったら聴いてみようかな。
次はGLAYの灰とダイヤモンドについて。
初めて聴いた最初の感想は「こりゃ売れるわ」。そして驚いたのがシングル曲の多いこと。
10曲のうち、真夏の扉、彼女の"Modern..."、RAIN、と3曲も(のちに)シングル(となる)曲が入っている。まだデビューしてないのに...!
その他にも千ノナイフガ胸ヲ刺スやKISSIN' NOISEなど、ベスト盤しか聴いたことないライトなファンでも知ってる可能性の高い曲が入っている。ド初期からこの曲目の並びはすごい。
どういう背景でこのアルバムが出たのか...とWikipediaを読んでみたところ、どうもこのアルバム、メジャーデビューシングル「RAIN」と同日発売となっている。え???
調べたところ、このアルバムはインディーズレーベルのエクスタシーレコード(YOSHIKI主宰)発売、デビューはプラチナムレコードから、そしてプラチナムはYOSHIKIが作ったメジャーレーベルだった。なるほどね...
そこら辺、経営者としてのYOSHIKIの才覚というか計算高さというか、そういうものが垣間見える。(と同時にメジャーとインディーズの差とはなんだという疑問も発生する)
さて話を戻してこのアルバム、セルフプロデュースとなっているが実際はYOSHIKIプロデュースなんだとか。デビュー後に再録された曲が多数なので今では聴き比べができるが、曲の完成度が既にすごい。メジャー後の音源に慣れてる身からはなんとなく雑だったり冗長に感じるところもあるが、そこはYOSHIKIの計算らしい。
デビューシングル「RAIN」はYOSHIKIプロデュースだが、その後は土屋昌巳が「真夏の扉」、そして「彼女の"Modern..."」以降は長く佐久間正英がプロデュースしている。
この頃売れてたバンドで佐久間正英プロデュースのバンドは結構多かったので、当時はGLAYがバカ売れしてたのはバンドの力でなくプロデューサーの手腕だと思っていた。それも要因ではあるだろうけど。(自分はバンドも作曲もしてないのに偉そうな見解である。ほんと失礼だと思う。GLAYおよび日本中のファンの皆様に謹んでお詫び申し上げます。昔のことなんで許してください。若さってこわい。)
実際のところ、プロデューサーがどういじろうと「無いものは無い」わけで、ある程度の底上げにはなってもポップさとか売れる要素はバンド自体が持ってるから出てくるものなんだ、というのは年月を経る中で分かってきた。
GLAYのインディーズ盤を当時聞いてなかった原因の一つが、ぼくの周囲のバンド好きが「ポップすぎる」と言って嫌っていたことだ。そのため誰も買っていなかった。(周囲は耽美系がお好みだった)
今回、このアルバムを買ったことでデビュー前のYOSHIKIプロデュース版とデビュー後の佐久間正英プロデュース版の楽曲比較ができたが、はっきり言って「変わらない」。
もちろんそれぞれの見せ方が違うので、曲の粗削りさであるとかまとまりや音数は違うのだけれど、メロディーや大きな構成は変化がない。すでに「出来上がっている」。メインで作曲しているTAKUROのセンスだと思うが、あまりにしっかり作られているので、さらに前はどういう感じだったのか気になってしまうほどに。TAKURO、おそるべし…
そんなわけでTAKUROのポップセンス全開となったこのアルバム、帯に「限りなく漆黒に近い純白」と書いてあるが、僕にとっては漆黒要素がほぼなく「限りなく純白に近い純白」だ。
これまでぼくはロックバンドとしてGLAYを捉えていたのだが、どうもいわゆる「ロック」という枠に当てはまらないような違和感を持っていた。
ロックというと何かに反抗していたり皮肉を利かせたり、いわば啓蒙的な要素があると思うし、それがロックのロックたるゆえんなんだろうなとぼんやり感じていた。だがGLAYの曲を聴いていてそういう要素はあまりない。むしろ真逆に、ひたすらポップであることを貫いている気がする。(なお、見た目的にはあの顔ぶれでHISASHIが存在していること自体にはロックを感じる。一人だけ毛色が違う格好してるし、作る曲も極端なのが多いので…w)
GLAYは2024年に「Back To The Pops」というアルバムを発表している。タイトルからしてすごくPopsなんだろうと思いながら少し試聴したが本当にPopsだった。
レビューを読んでみたが、メンバーが「ポップミュージックへの恩返し」というようなことを話していて、なんか納得した(昔の自分だったら「なにぬるいこと言ってるんだ!」って思ったかもしれない)。
GLAYは昔から核として「ポップであること」を持っていて、難解になっていくでもなく、スタイルを変化させていくわけでもなく「自分たちが思う、自分たちにとっての」ポップを貫いていくこと自体にロックを感じているのではないか、と思う。矛盾しているようで矛盾してない。そうだよな、そういうやり方もあるよな。
タモリだったと思うが、「ジャズという音楽はなく、ジャズな人がいるだけ」というような言葉を聴いたことがある。そういう意味ではGLAYは「ロックバンド」ではなく「ロック"な"バンド」のような気がする。
きっとGLAYのメンバーも活動の中でいろんな迷いがあったとは思う。でもほとんどそういう面を見せずに、いつも仲良く活動している姿をデビューから何十年も経つ今でも見せてくれている。
ロックバンドと「方向性の違い」による解散はセットだが(すごい偏見)、ずっと仲良しなのは逆にロックとも言える。
これからも末長く「ロックなバンド」としての活躍を見せてくれればと思う。
今更30年前のインディーズ盤を聴いて、昔よりもGLAYが好きになった1リスナーより。