<映画感想>『xxx-HOLiC-』

※原作未読なので見当違いの見解が出てくるかもしれませんがご了承ください。 予告編を見て、映像美と世界観に引き込まれ鑑賞した次第です。

<良かった点>


鑑賞してみると予告に偽りなし。序盤から蜷川節全開の映像美に引き込まれる。 柴咲コウさん演じる侑子の「ミセ」は特に、ワンシーンワンシーンが美術館に飾れるほどの色彩の美しさで視界が埋め尽くされる。侑子の衣装も凝っており、シーンが変わるごとに衣装が全く別物になり、しかもどの衣装も美しい。侑子の「衣装が変わる」ことを中盤まで何度も見せることで、四月一日のループを象徴しているのもお見事。

原作未読の目で申し訳ないが、役者さんは自分としてはしっかりハマっているのではないかと思う。影を感じさせる四月一日、口数は少ないが友達想いな百目鬼、そして何より侑子役の柴咲コウさんの妖艶な演技と美貌は素晴らしい。凝ったセットと撮影方法も相まって、もはや柴咲さんのファッションショーを堪能している気分になれる。

ストーリーに関しても、ミセで働き始めたこと、百目鬼・ひまわりとの交流、アヤカシとの戦いを通して四月一日が成長していく過程が非常にわかりやすく描かれていた。
生きてる理由がないので死にたい(逃げたい)→百目鬼・ひまわりのように好意を持ってくれる人間もいる(気づき)→大切な人を守るために自分はどうなってもかまわない(自分本位な自己犠牲)→自分を大切だと思ってくれる人と共に生きなければだめだ(他人の気持ちも含め自分で考えて行動する)
最終的には自分で考えた上でミセを継ぐという結論に達し自分の人生を歩んでいくという四月一日の姿は、現代を生きる我々にも通じる部分があるのではないかと思った。

<気になった点>


映像美とメッセージ性でこの映画の世界観に引き込まれたのは間違いないのだが、ミセやアヤカシ、その他登場人物の背景や行動についてはフワッと、何となくでしか説明されていない部分も観られた。
そもそも四月一日が見えて困っていた黒いアヤカシも、アヤカシ自体そもそもどういった存在なのかが断片的にしか語られていない。欲深い人間に多く発生するようだが、ひまわりのように先天的にアヤカシを纏って「周りを不幸にする」という効果がある者もいたり、アカグモが操ったように物理的に人を襲えるものもある。そして、その黒いアヤカシの大元のようなものが吉岡さん演じる女郎蜘蛛という認識でよいのだろうか?

また冒頭から四月一日がアヤカシに苦しんでいる様子はあるが、具体的にどうして見えるだけでそんなに怯えているのか説明が欲しかった。母の死がトラウマになっているにしてはその話が出てくるのも百目鬼たちと仲良くなった後なので、いまいちインパクトに欠けるように感じてしまった。

そして女郎蜘蛛との最終決戦~エピローグについては、「展開が読めるけど疑問が残る」終わり方となってしまった。
戦うならアヤカシを払える百目鬼の弓矢を使うしかないだろうし(ここで最後に四月一日が一人で矢を放とうとしたのは片目を百目鬼に移植されて払う力も宿っていたからだろうが、侑子のポソッとした呟き以外にももう少しわかりやすい説明が欲しかった)、侑子が戻ってこないならば四月一日がミセを継ぐだろうとは予想できた。 ただ、なぜ侑子まで浄化?されたアヤカシと共に扉に入っていかなければならなかったのか、ラストで四月一日と会話していた侑子は何だったのか。侑子の力なのか侑子からもらった腕輪の力なのか、それとも夢幻なのか、とにかく疑問が押し寄せてくる。

またこの時の侑子は黒服を着ており、彼女の死を暗示する演出とも取れるがどうなのか。最後だけ四月一日を下の名前で呼んだのは何故か(亡くなった母を暗示している?)。そして四月一日がミセを継ぎ百目鬼が手伝うのはいいが、なぜひまわりがいないのか(彼女は百目鬼のそばにいたほうがアヤカシの影響を少なくできるのでは?)。 3人は大切な友人同士だろうし、中盤まで3人で楽しそうに過ごしているシーンはとても好きだったのでちょっと腑に落ちない。

<まとめ>


とこのように終盤にかけて「考えるな、感じろ!」にドドドっと押し流されていき、四月一日のドヤ顔のアップを目に焼き付けながらエンドロールを迎えることになった(学ランに着物を羽織るというのはどうなんだろう…)。

映像美も世界観も素晴らしいのだが、細かいところは気になってくる映画だったので5点満点のうち☆3つ。
世界観には本当に引き込まれた。原作ではこの後四月一日や百目鬼、そして侑子さんはどうなっていくのだろう。 アニメ化もされていたみたいなので、色々探してみようと思います。

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