マルチバースで戦え!「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」感想
公 開:2023年
監 督: ダニエル・クワン
上映時間:140分
ジャンル:SF/コメディ
自分は何にだってなれる。
誰しもがその可能性を秘めながら、気づくと今の人生に落ち着ているものです。
私たちは、そうと気づかない間に、いくつもの決断やきっかけの中で、ありえたかもしれない選選択肢を切り捨てているわけですが、もしも、その切り捨てた可能性を使うことができたなら、どうなるでしょうか。
多元宇宙を取り扱った作品「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス(以下 エブエブ)」。
題名を覚えるだけでも、一苦労な本作品は、時々作品のギミックとして使われる多元宇宙、または並行世界を取り扱ったエンターテインメント作品となっています。
ありえたかもしれない自分を感じさせてくれる、本作品について、語ってみます。
多元宇宙とは
宇宙というのは泡のようなもので云々という、いわゆる多元宇宙というのは、とっつきずらい概念となっています。
とはいえ、誤解を恐れずにざっくりと書きますと、人生の中で、もしも、こうだったならば、と誰しも考えたことの事柄が、現実のものになったとしたらどうなるかというものだと考えてくれればいいと思います。
パートナーがいる人であれば、どの相手を選ぶかでも人生は変わったでしょう。
怪我をしたり、病気をしたり、周りの人間関係が変わったりと、自分も他者も周りの環境すらも、タイミングや決断で世界は容易に変わります。
そのいずれもが起きた/起きないといったIFの分だけ、世界が増えていっていたとしたら。
タイムリープ作品などを見慣れている方は想像しやすいかと思いますが、過去に戻って、別の行動を行う、みたいなものがわかりやすいでしょうか。
ケーキがあった場合に、食べた未来と、食べない未来のどちらかを選ぶのか。
タイムリープものだと、そこで主人公は一つの結末へ向かっていきます。
多元宇宙は、食べた世界と、食べていない世界が同時に存在している、というところがポイントになります。
余談ですが、そんな並行世界も含めて因果としてとらえ、ゲームそのもののシステムと物語を融合させた作品として、「この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO」なんていう傑作がありますので、気が向いた方は調べてみてください。
さて、多元宇宙に戻ります。
可能性という点を、さらに拡大して解釈し、ありえたかもしれない、という点を突き詰めると、いよいよ理解しずらくなってくるかもしれません。
たとえば、それはケーキではなく、そもそも、ケーキという概念が存在していない世界も、どこかの多元宇宙には存在しているかもしれない、という考えもありになってくるからです。
多元宇宙を取り扱った作品で有名なものでいえば「スパイダーマン スパイダーバース」が有名どころでしょうか。
いわゆるマルチユニバースものでして、もしもスパイダーマンが女性だったら、アニメの中でもカートゥーンだったら、などなど、ありとあらゆる可能性が一つの世界に集まってしまう、という作品です。
「エブエブ」では、そんな多元宇宙を、個人レベルに落とし込みつつ、コメディタッチで描いた作品となっています。
多元宇宙可能性能力バトル
主人公であるエブリンは、コインランドリーを経営する女性です。
とはいえ、経営は楽なものではなく、税金の申請もなかなかうまくいきません。
そんな彼女ですが、謎の現象に見舞われます。
夫が突然わけのわからない動きをはじめ、エブリンは謎の指示が書かれた紙を渡されるのです。
そのことによって、彼女は、用具室に行った世界と、そのままの二つの世界に分かれることになるのです。
本作品は、まじめに多元宇宙であるとか並行世界であるとかを考えてしまうと、つっこみを入れるしかない作品にはなっています。
ただ、本作が突き抜けているのは、その戦い方です。
ありえたかもしれない多元宇宙を行ったりきたりしながら、その可能性の自分の能力を継承しつつ戦う、多元宇宙可能性能力バトルが始まるのです。
カンフーマスターだったかもしれない私
いたって平凡な女性であるエブリン。
ただ、彼女もまた様々な選択肢を選んできて、結果として、他の世界のエブリンよりも、かなり惨めな人生だったという設定のようです。
生き方が違えば、カンフーマスターになっていたかもしれず、女優になっていたかもしれず、はたまた、料理人であったり、ピザ回しや看板回しの達人だったかもしれない。
ただ、コインランドリーを経営しているエブリンは、もっとも、何にでもなれる可能性があるというところがポイントです。
若い人も年齢を重ねた人も、自分の可能性というのは閉じている、と感じている人が多いのではないでしょうか。
「エブエブ」は、冴えない主人公が、とんでもない能力をもった自分のせいで、他の可能性宇宙に巻き込まれる話になっています。
何物でもないからこそ、何者にでもなれる、という点が面白いところです。
ちょっと、古い設定になりますが、ゲームのファイナルファンタジーにおいては、たまねぎ剣士が主人公たちのはじめの職業ですが、最後までつかっていると、たまねぎ剣士が最強の職業になる、という設定を思い出したりしましたね。
さて、主人公であるエブリンは、何者かになれたかもしれない自分自身の能力を駆使しながら、宇宙を消滅させてしまう存在、ジョブ・トゥパキとの戦いへと物語は進んでいきます。
思い出す映画
さて、「エブエブ」そのものの内容は、多元宇宙という設定をつかったバトルであるとか、LGBTQで親子の関係がよくない主人公と娘の関係であるとかが語られるのですが、そのあたりの流れは、是非作品をみて判断してもらえればと思います。
本作品をみていますと、様々な作品を思い出しますので、そのあたりも含めて語ってみたいと思います。
映画「マトリックス」は、主人公のネオが、実は自分の生きている世界が、仮想現実であることを知り、救世主となっていく姿を描いています。
自分の生きている世界がコンピューターの中の仮想現実だ、というのを主人公が受け入れるまでのわくわく感と、居心地悪さのようなものが、「エブエブ」に感じられたのは面白かったところです。
また、自分自身の可能性という点でいえば、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督「ミスターノーバディ」を思い出します。
父親と母親、どちらについていくべきかで悩んでしまった少年が、あらゆる可能性を経験するという物語になっています。
「エブエブ」の多元宇宙とは少し意味合いが異なりますが、「エブエブ」が気に入った人は是非みてもらいたい作品でもあります。
また、今の夫と結婚していなかったエブリンが、女優になったあとで、再び旦那と出会う、というのが、どことなく「ラ・ラ・ランド」の主演の二人を思い出したりと、「エブエブ」」そのものもまた、様々な作品へとつながる可能性を刺激してくれます。
並行宇宙への行き方
「エブエブ」が面白いのは、多元宇宙の能力や経験を手に入れる方法です。
謎の装置をつけることで実現するのですが、自分が普段しない行動をすることが発動条件になるというのは面白かったです。
愛の告白をしろ、とか、腕を折って枕にしろ、とか結構無茶苦茶な条件があったりする一方で、かなり、どうでもいい条件があったりもします。
へんなことをする、ということで、今までの自分とは異なる世界線にいきやすくなる、という考えは、ある意味斬新です。
いつも歩いている道ではなく、違う道にいくだけでも違う世界が開けたように感じるものですが、そんなイメージが並行世界に繋がっている気にさせてくれます。
多元宇宙というわかりづらい概念が、こういった物語設定によって、わかりやすくなったりする点も、本作品の魅力の一つだといえます。
敵の倒し方
本作品は、多元宇宙をどのようにつかって敵を倒すか、というのも魅力です。
たんに倒せば終わりではなく、並行世界における相手を成仏させるような行動が面白いです。
これまた話は変わりますが、ゲーム「アンダーテイル」という風変わりな作品があります。
普通のゲームであれば、敵を倒していくのが当たり前です。
ですが、「アンダーテイル」は、敵を一体も倒さなくてもクリアできたりします。そして、戦闘もまた、ただ倒すだけが全てではなかったりするのです。
相手のことを満足させることで戦闘を終わらせることができたりしまして、「エブエブ」もまた、戦ってはいるのですが、多元宇宙について主人公の理解が深くなればなるほど、戦闘もまた、わけのわからないものになっていくのがたまらないところです。
アカデミー賞をとっているけど
「エブエブ」は、アカデミー賞を11部門でノミネートされ、作品賞や監督賞含む計7部で受賞した破格の作品であり、アカデミー賞を受賞した初のSF作品となっています。
とにかく破格の作品となっていますが、賛否両論がある作品でもあります。
様々な作品の面白い要素を感じさせる一方で、多元宇宙というSF設定をまじめにとらえようとすればするほど、無理がでてくるところもあります。
例えば、「2001年宇宙の旅」のパロディが描かれるシーンがあります。
人猿が、指がソーセージの猿に負けることで、人類の指がソーセージになった主人公がでてくるのですが、さすがに、それは、いくら多元宇宙でも可能性がゼロだろうと思ったりしてしまったりしました。
また、並行世界の自分自身になったりすると、頭がおかしくなってしまうという設定があることで、回数制限といいますか、代償による緊張感が作品に生まれるはずにも関わらず、苦しそうにはするものの、主人公は割と多様してしまっています。
もっと緊張感や説得力がだせるだろうところもありますので、そこが気になってしまうと作品に没入できなくなる場合もあるかと思います。
ただ、小難しいことは考えずに、マイノリティの描き方であるとか、家族愛であるとか、それを全宇宙、全可能性にまで広げて、最終的には親子の和解にもっていくという強引さが、「エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス」の魅力となっています。
なんかわけのわからないものを見たな、という感じはすると思いますし、何より、作品を見た後は、なんだか自分の可能性に思いを馳せる点も含めて、なんだか楽しい作品だったりします。