田舎に出戻りでもいいじゃない。映画「スティルウォーター」
公 開:2022年
監 督: トム・マッカーシー
上映時間:140分
ジャンル:ドラマ/クライム
見どころ:マッド・デイモンの服装
突然ですが、地方に住んでいた人が都会に出ていくというのは、どこにでもある話です。
ですが、様々な理由から地元に帰ることを余儀なくされる人もいれば、都会で暮らし続ける事ができる人もいます。
さて、アカデミー賞脚本賞を受賞した「スポットライト 世紀のスクープ」で、キリスト教における大事件を明るみにした新聞記者たちを描いたトム・マッカーシー監督。
そのマッカーシー監督が、もっと個人的で、誰でも感じる感情を浮き彫りにした作品が「スティルウォーター」となっています。
マッド・デイモン演じる主人公は、いい父親とはいえなかった人物です。
保守的なオクラハマ州の町スティルウォーターから、フランスのマルセイユに留学しにいった娘が、ルームメイトを殺した罪で服役して4年。
マッド・デイモン演じる主人公は、フランスの刑務所にいる娘に会いに、田舎町であるスティル・ウォーターを出ていきます。
フランス語が話せない主人公は、意思疎通も満足にできません。
本作品は、アメリカの田舎からでてきた主人公が、右も左もわからないフランスで、娘を助け出すためになんとかしようとする物語です。
その中で、フランス人親子と一緒に住むようになり、というのが本作の流れとなっています。
何気なく見ていますと、不器用な主人公が、娘に悪態をつかれながらも、過去の過ちもあるし、今度こそ何とかしたい、という中年の苦悩を描いた作品にみえます。
また、異文化コミュニケーションや、価値観の違いを取り扱った作品として、物語の起伏が少ない平凡な作品にみえるかもしれません。
しかしながら、本作品はもっと単純にみていいものです。そして、主人公の苦悩を一緒に想い、知ることでより楽しめる作品になっています。
ここからは、ネタバレを軽く含みますので、気になる方は、作品鑑賞後にご覧ください。
娘のアリソンは、田舎であるスティルウォーターに対してよい感情を抱いていません。保守的で、閉鎖的で、何もない場所。それは、父親への態度からわかります。
また、性的な部分も含めて、価値観の違いから、移民の多い町であるマルセイユへと留学します。
アメリカのいかにも田舎ものまるだしの父親が、そんなことをわかるはずもありません。
でも、娘を助ける為に必死なのは間違いなく、知らない土地で相手のことを理解しようとしていくのです。
それは、フランス人親子のことであったり、自分の娘であったりします。
相手のことを知ろうとする中で、愛情が芽生えたりしますが、彼は結局田舎に戻ることになります。
家族づくりに失敗した男が、再び理想の家庭を手に入れることもできたはずですが、本質的なところで、主人公も、そして、娘も変わってはいません。
よくある映画であれば、田舎から都会にでて、理想的な家庭をつくることが、ハッピーエンドになったはずです。
でも、マッド・デイモン演じる主人公は、娘に「戻ったら?」と言われ「戻れない。それでも、いい思い出だ」といって遠い目をします。
人によっては、勝手にいい思い出にして、女性からすればいい迷惑だ、と思うでしょうが、その通りだと思います。
ただ、本作品の主人公がマッド・デイモンと、アビゲイル・ブレスリン演じるアリソンだとすれば、彼らが、結果として戻ってしまった田舎の見え方こそが、本作品の語るべき肝となる部分といえるでしょう。
「ここは変わらない。ずっと同じ。そう思わない?」
というアリソンに対し、
「思わないよ。全てが違って見える。別の場所みたいに」
このセリフにこの作品のすべてが詰まっているといっても過言ではありません。
話は変わりますが、物語において、行って戻ってくる物語というのが王道となっています(いわゆる、行きて帰りし物語というやつです)。
主人公は再び、生まれ故郷に戻ってくるわけですが、今までとはまったく違う気持ちに成長しています。
我々もまた、時に挫折したり、何等かの理由で同じ場所に戻ってきたとしても、その中で知ったことや経験したことは、つまらなかった日常を少しだけ変えてくれる。
いい映画というのは、劇場を出たあとに、少しだけ世の中が変わって見えるものです。
そして、スティルウォーターを見終えたとき、少しでも、セカイの視え方が変わっているのであれば、本作品は貴方にとって意味があることになるのです。
以上、田舎に出戻りでもいいじゃない。映画「スティルウォーター」でした!
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