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中二病にも意味がある。アニメ「デットデットデーモンズデデデデデストラクション」。
公 開:2024年
監 督:黒川智之(アニメーションディレクター)
上映時間:全18話
ジャンル:アニメ/ドラマ/SF
浅野いにお原作による「デットデットデーモンズデデデデデストラクション」は、長いタイトルと同じ文字が使われていることによって、なかなか覚えられないタイトルとなっています。
しかしながら、作品を見終えたときには、不思議と頭に残るタイトルとなっているので、作品を見ながらじわじわと頭に入れていただきたいと思います。
原作の漫画、劇場映画、そして、アニメシリーズ版と存在しておりまして、どうすればいいのかわからなくなっている人でしょうが、まずは、アニメシリーズから少しずつみてもらうのがいいでしょう。
結末が異なる劇場映画もいいのですが、アニメの面白さについて、語ってみたいと思います。
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プンプンに次ぐ
浅野いにおといえば、「おやすみプンプン」を思い出す人が多いのではないでしょうか。
多感な少年であるプンプンが、転校生の愛子ちゃんを好きになりつつ、もやもやと成長していく姿を描く物語であり、なぜか、主人公のプン山プンプンは、見た目が落書きしたようなヒヨコに見える、というのが唯一、普通の青春マンガとは異なる点となっています。
劇中でも、ひよこのキャラクターというわけではなく、少なくとも、読者である我々からは、そのように見えているのです。
あるいは、宮崎あおいが主演した「ソラニン」で、浅野いにおを目にした人も多いかもしれません。
そんな作者が、宇宙人がやってきた世界で、女子高生二人の友情や、宇宙人とのやり取りを描いていく、とんでもないセカイ系を逸脱したSFを描きだしたのですから、当時は驚いた人も多いでしょう。
そんな作品のアニメ化は、アニメーションの素晴らしさや、キャラクターデザインの面白さなど、多くの魅力を含んだ作品となっています。
キャラクターデザインの面白さ
アニメーションを見ていると、キャラクターのデザインというのは、ある程度統一されているものです。
ドラえもんの世界に、北斗の拳のようなキャラクターの人間は絶対にでてきませんし、出てきたとしても、それは、一時的なものでしょう。
「デットデットデーモンズデデデデデストラクション(以下 デデデデ)」は、モブキャラく描き方は、抜群にひどくて、面白いです。
主人公たちは、浅野いにおの可愛い絵でつくられていますが、いわゆる、モブキャラとなるような、物語を進めるのに重要ではないキャラクターのデザインは、見事に、ゆるいものになっています。
分かりやすいのは、いわゆる水木しげるが描くようなキャラクターに似ているもの人物たち。
顔が長く、どこかひょうきんなキャラクターは、水木しげるの描く作品ではあたりまえでも、リアル寄りな美少女イラストが中心となっている浅野いにおのキャラクターデザインとはまったく異なります。
ですが、「デデデデ」では、それを露骨にキャラの描き方として使い、違和感がないのです。
たんなる中2病ものではない。
キャラクターの内面も面白いところです。
女子高生が主人公で、物語が展開していくような作品というのは、無数に存在しています。
不思議な語尾をつけてみたり、突拍子もない行動を起こして、周りを驚かせたりするわけですが、「デデデデ」もまた、そんな不思議ちゃんなキャラクターがでてきます。
「はにゃにゃフワー」
という口癖を聞いた瞬間、見るのをやめる人もいるかもしれません。
ですが、本作品は、それも、ちゃんと伏線回収してしまっていて、物語の冒頭だけ、拒絶反応を起こさなければ、まったく問題なく見ていくことができるのです。
声優も良い。
ジブリアニメでは、声優ではなく、俳優が声をあてるというのは、あたりまえになってきていますし、大なり小なり劇場アニメ作品は、そのような傾向がみられます。
「デデデデ」もまた、ご多分に漏れず、声優を生業としていない人がメインの声優を務めています。
あのちゃんです。
テレビで顔を見る機会が多く、紅白でも出場している歌手であり、元アイドルでもある人物です。
しゃべり方にも特徴があるので、好き嫌いも分かれるかもしれませんが、「デデデデ」の場合は、主人公の一人である、中川凰蘭というキャラクターに抜群に合っています。
むしろ、一度聞いてしまうと、これ以外にないと思えるぐらいに合っているのです。
物語の冒頭はちょっと、違和感がありますが、すぐに耳がなじみます。
他の作品でもまた、聞きたくなるような、見事な演技で物語がひっぱられていきます。
ネタバレ解説
本作品は、SFの入った話となっておりまして、その描き方は、見ようによっては、政治的な部分も含んでいます。
2009年に公開された映画「第九地区」という作品があります。
この作品は、エイリアンがある日地球にやってくるのですが、宇宙船の中にいたのは、難民としてやってきたボロボロの宇宙人だったという話です。
難民キャンプそのままに、地球のどこで受け入れるのか、というところや、治安の悪化など、エイリアンの話とはしながらも、難民問題がそのまま描かれたような作品になっています。
「デデデデ」もまた、突然やってきた宇宙船に、人類は驚きますが、宇宙人の存在を認めず、攻撃をしてしまいます。
しかし、宇宙人は、地球に少しずつ侵入していて、コミュニティを形成したりしています。
宇宙人はまるで子供のような大きさで、餌付けをする人や、殺したあとで、自分の行動に疑念をもつ人、偏った思想をぶつけていく人など、様々な立ち位置の人たちを見ることになります。
この手のものの王道とはいえるのですが、悪だと思っていた側は悪ではなく、向こうにも向こうの事情があった、というのは定番ではあります。
また、二人の主人公の女の子たちが、実は、世界の崩壊に関わっていた、というのも、じわじわと明かされていく展開も面白いです。
彼女がいない世界
突然、主人公である中川凰蘭の頭の中を覗いた宇宙人は、予想外のものを見ることになります。
既に主人公たちは、過去に宇宙人たちと会っており、その世界では、宇宙人たちの道具をつかって、大変なことが起きてしまうのです。
突然ですが、映画「バタフライエフェクト」というのは、非常に有名なタイムリープものの作品となっています。
何度も何度も人生の岐路をやりなおして、幼馴染を助けようとするのですが、どんどん悪い方向にいってしまう、という気分が重たくなる作品となっています。
バタフライエフェクトという言葉そのものは、非常におおざっぱに言えば、未来は色々な要素が絡んでいて、何が起きるかはわからない、といったようなことになってしまうカオス理論の話だったりします。
アフリカの蝶の羽ばたきが、アメリカでトルネードを起こしてしまうか、といったように。
「デデデデ」では、実は宇宙人と門出たちが出会うことで、宇宙人の一団が地球にくるのを防ぐことに繋がっていた、ということがわかってきます。
ただ、その結果、一人の女の子の運命を変えてしまうことになる。
あのときこうしていれば、と思ってしまうのは誰しも一度は経験することでしょうが、そのもしもを実現してしまう、マシンがあったとき、乗らないという選択肢は、なかなか選べないことでしょう。
タイムリープすることで、世界を変えてしまうことができる、というのが「デデデデ」の根本にある設定となっており、その結果、キャラクター達の性格や人生、運命が変わっていくのが、実は、本作の一番の見どころとなっています。
違う選択をしてしまったことで、結果として、彼女たちは、地球を滅亡させるきっかけを作ることになってしまうのです。
いそべやん
これ、そのまんまドラえもんじゃないか、とつっこみを入れたくなるような国民的な漫画が存在するのが、「デデデデ」の世界です。
そして、主人公の一人である、小山門出(かどで)は、劇中作のいそべやんの大ファンです。
宇宙人がもってきた道具をみては、「いそべやんでみたやつ」と驚いたりしません。
物語をみていると、まるで、宇宙人のもっているものが、たまたま、漫画いそべやんに似ているだけなのかな、と思ったりするのですが、その一致はあまりに多すぎるのです。
念のため、アニメシリーズのネタバレを書きます。
物語のラストには、いそべやんという漫画そのものが無くなり、ずんだっち、という別の漫画となっています。
タイムリープする機械によって、過去を書き換えるのですが、なぜか漫画まで変わってしまっています。
なんとなく、そんなものもありかな、と思ったりするのですが、主人公たち以外にも、タイムリープしていた人間がいた、ということを示しているところがたまりません。
宇宙人がその身体を隠すのにちょうどいい、等身大いそべやんのぬいぐるみ。
宇宙人とのコンタクト。
スティーブン・スピルバーグ監督が「未知との遭遇」を作っていますが、その筋の人たちは、宇宙人がきたときに、地球人が驚かないように、事前に教育しようとしているのだ、なんていう話が、まことしやかにささやかれていたりしました。
超有名作品である「ET」もまた、そういう意味では、宇宙人と仲良くしようね、というメッセージといえなくもないでしょう。
さて、「デデデデ」もまた、いそべやんを書いた作者は、実は、来る宇宙人との邂逅のために、漫画を描いたのだろうと思われるのです。
それを見た門出がファンになり、結果として地球を救ったこともあれば、崩壊させることにもつながってしまった世界が存在した。
ただ、その土台となる世界線には、いそべやんをつくった作者が存在していたのは、間違いないでしょう。
最終的には、いそべやんの作者が、宇宙人と出会わない世界、ずんだっちを書くことになって、そもそも宇宙人との出会いは、一切なかった世界である、現実で我々は生きている、というところが、いい感じです。
エヴァのように
「シン・エヴァンゲリオン」が完結して数年が経つわけですが、「デデデデ」もまた、エヴァンゲリオンの終わりと同じような雰囲気を感じるところが面白いです。
「シン・エヴァンゲリオン」は、最後に、我々が存在する現実へと帰ってきます。
「デデデデ」も、決して宇宙人なんてこないですし、事件は起きるかもしれませんが、どこまでもくだらなくて、面白くない日常が続いている。
でも、そんな現実を生きることを肯定して、作品が終わる、というのが、非常に面白かったです。
ちなみに、少し前ですと、新海誠監督「天気の子」で、ヒロインのひなという女の子を選ぶと雨が降り続けるけれど、彼女をあきらめれば、今までの世界に戻る、という選択があったりするのですが、これにも似ていたりします。
「デデデデ」では、中川凰蘭は、門出を選ぶという点では、「天気の子」のような選択なのですが、物語の最後には、「シン・エヴァンゲリオン」のようなラストへとつながる。
物語というのは、色々な形をとりながら、トレンドがあるのだなぁ、としみじみ思ってしまうところでした。
ちょっと、様々な作品のネタバレに触れてしまっているのですが、どうかご容赦願いつつ、もし、これらの作品に興味がでた場合は、併せてご覧いただくと、また違った見方ができるかと思います。