人生に終わりも始まりもない。映画「スローターハウス5」
公 開:1975年
監 督: ジョージ・ロイヒル
上映時間:104分
ジャンル:SF/戦争
映画「スローターハウス5」は、カート・ヴォネガット・ジュニアによる小説を原作にした作品となっています。
また、「ガープの世界」や、「スティング」、「明日に向かって撃て」などで有名なジョージ・ロイヒル監督がメガホンをとった作品ではありますが、特殊な演出がされている作品であるため、好き嫌いが分かれるところかもしれません。
ただ、逆に本作品が気になる方であれば、オススメの作品もありますので、映画「スローターハウス5」をみた後、または、見る前にも本作品と併せてご覧いただきたかったりします。
戦争体験とSF
我々人間は、三次元的存在です。
いきなり三次元と言われてもピンとこないかもしれませんが、時間を自由に行き来することができる存在がいたとしたら、それは、我々にはとうてい認識できるものではないでしょう。
あたかも、紙の上に描かれた人間が、我々を世界を知りようがないように。
戦争映画というのも、数多く存在しています。
戦争帰りのトラウマもちの主人公を扱ったものであれば、「ランボー」が有名なところですし、ロシアンルーレットを行うシーンが印象的な、純朴な鹿撃ちをする田舎の青年たちが戦争によっておかしくなっていく「ディア・ハンター」など、戦争を取り扱った作品には、名作もまた多いところです。
原作者であるカート・ヴォネガット・ジュニアもまた、第二次世界大戦で従軍し、壮絶な経験をしています。
「スローターハウス5」は、そんな作者のほとんどそのままではないかという体験に、SF的な要素を盛り込んだ作品となっております。
SF要素
本作品はたんなる戦争映画ではありません。
トラルファマドール星人によって、主人公日であるビリーはある日連れ去られてしまいます。
宇宙人?って、いったいどういう話なのだ、と思うところでしょうが、本作品は、荒唐無稽な作品では、勿論ありません。
映画「メッセージ」をご覧になったことのある人であれば、イメージがつきやすいかと思いますが、「スローターハウス5」は、生まれた時も、死ぬ瞬間も、あらゆる出来事が等価である、というところがポイントとなっています。
四次元的な存在であるトラルファマドール星人によってなのか、たんに主人公が頭を怪我した際に、致命傷を負ってしまったのかはわかりませんが、少なくとも主人公の主観において、未来と過去をいったりきたりしているのです。
タイムリープに近い感覚ではありますが、おそらく、正確な理解ではないでしょう。
実に映画的手法といえるところですが、主人公は、ちょっとしたショックであるとかイメージによって、自分の人生に係わる様々な出来事を、過去と未来関係なく体験することになります。
少し話はずれますが、認知症の老人の状況を追体験できる映画「ファーザー」は、アンソニー・ホプキンスの演技や、演出が素晴らしい作品となっています。
自分ではしっかりしているつもりでも、見えている世界がおかしくなっていたり、勘違いをしてみたり、娘の旦那だと思っていた人物が考えていた人物と違っていたりと、認知が飛んでしまう瞬間が描かれます。
「スローターハウス5」もまた、ちょっとした影響で、主人公が未来や過去に飛んでしまうというところの演出が非常に似ているので、この手の演出が好きな方は是非、併せて「ファーザー」や、「ア・ゴーストストーリー」も見てもらえると、気に入ってもらえるのではないかと思います。
美しき町ドレスデン
ドレスデンという町は、多くの美術品があり、とても美しい町だったとされています。
連合軍による爆撃によって一夜にして無くなってしまった町ですが、「スローターハウス5」は、そんなドレスデンの爆撃が描かれています。
ネタバレになるので書きませんが、その爆撃のあとの、ふいに行われる悲劇もまた戦争の恐ろしさを感じさせるところです。
同じく第二次世界大戦を描いた戦争映画で、人の命のあまりの軽さをユーモアとともに描いている作品として「ライフ・イズ・ビューティフル」があります。
少年の目から見た戦争が描かれており、大人たちとはまた別の視点でみることができます。
何より、命の儚さが伝わってくる名作です。
世界は可能性に満ちている
「スローターハウス5」は、ビリーという男の一生を、SF的な要素を用いて、過去や未来に囚われずに生きるさまを描いています。
主人公が一番体験している世界は戦争というところは皮肉なようにも思いますが、決して、悪い人生ではないこともまたわかるところです。
死が溢れている戦争を経験した作者が、死が終わりではない、ということを示すところも、希望を感じさせる終わり方となっています。
存在した瞬間から、終わりも始まりも全てが決まっている世界観。
運命というものがあるとすれば、人間の自由意志なんていうのは無意味なのかもしれません。
トラルファマドール星人は、地球人の特異性について語っていますが、漫画「惑わない星」でも、人間が自由意志を持つという点において不思議がっている描写があります。
人種というよりは、次元を超えた存在との比較の中で、主人公の認識も変わっているのも興味深いところです。
そういう意味では、映画「メッセージ」の主人公が、異星人の言語を学ぶことによって、異星人の時間感覚に染まっていく描写なんていうのは、まさに、同じイメージによって作られた作品ともいえるかもしれません。
未来も過去も決まっているにしても、選択することで人間の可能性もまた変わります。
そんな可能性も含めて描いているのは、ジャコ・ヴァン・ドルマル監督「ミスター・ノーバディ」です。
母親についていくか、父親についていくか、離婚した両親の間で揺れ動く5歳の少年が、あらゆる可能性の中でビックバンを起こすまでを描いています。
映画「スローターハウス5」で、似たような印象の作品を見たい場合は、是非ご覧いただきたいと思います。
映画の面白さ
映画「スローターハウス5」からずれた部分も書いていますが、映画の面白さは、一つに編集の面白さが重要だったりします。
同じ物事でも、映像と映像のつなぎ方一つで印象は大きく変わる。
映画「スローターハウス5」は、未来と過去を行き来する中で、ありえないようなタイミングでカットが繋がっていきます。
それは、音であったり、気分であったり、暴力であったり様々ですが、作中で主人公がいう「so it gone(そういうものだ)」というものが端的にあらわしているように思います。
「世界は瞬間の集合だ。良い時だけをみて生きればいい」
主人公は、広島以上とも言われ、10万人以上が死んだとされるドレスデンの爆撃を生き延びてもなお、トラウマに悩まされるのではなく、良い時だけを生きることを説いています。
一見逃げのように感じる人もいるかもしれませんが、全ての運命が決まっていて、死も生も等価であったならば、わざわざ悲劇的な瞬間を選ぶ必要はないでしょう。
SFをつかった戦争映画かと思いきや、本作品は、人間がそもそもどう生きるべきか、ということも教えてくれる作品となっているところもまたポイントです。
さて、最後に、トラルファマドール星人のあいさつで締めくくりたいと思います。
こんにちはさようなら。永遠の絆と永遠の抱擁を。
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