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記憶屋 【遼一と真希の成長】

公開日に記憶屋を見てきました。ちなみに、パンフレットも買いました。どのように「映画記憶屋」を作り上げていったのか、なぜこのような演出にしたのか書かれていて820円であの内容はお得だな~と感じました。なので、パンフレットの内容を含めて「記憶屋」の感想を書きたいと思います。


山田涼介さん演じる「吉森遼一」の婚約者である蓮沸美沙子さん演じる「澤田杏子」が遼一の記憶を失くしてしまうことから物語が始まる。遼一は巷で噂されている記憶屋が原因と考え、佐々木蔵之介さん演じる「高原智秋」などと協力し記憶屋を探し始める。       記憶屋探しの序盤は遼一と智秋の掛け合いにクスッと笑える部分が多くあった。そこは、監督が山田さんに「もみ消して冬のような演技もほしい。」と頼んだことからも、意図的だったと思う。智秋が遼一をくすぐるシーンでは記憶屋探しでバディを組むうえで関係を急接近させるため言葉だけでなく肉体的な接触で笑顔を引き出したかったと佐々木さんが語っていた。              

記憶屋探しの中、遼一には「怒り」「悲しみ」の感情が多くあらわれる。遼一は真面目で「悪い物は悪い。」「良い物は良い。」と感情が極端に言動に出やすい。「怒り」「悲しみ」この2つの感情はとてもオーバーに演じていたと思う。見ている途中は少しオーバーすぎると思ったが結末を見た後は、あれくらい大げさで良かったと思う。   そんな遼一が智秋の手紙をきかっけに少し変わり始める。芳根京子さん演じる「河合真希」が自分が記憶屋であることと、犯してしまった罪を打ち明けるラストシーン。今までの遼一なら真希 に「怒り」の感情をぶつけていただろう。しかし、智秋の手紙をきかっけに「許す」ことを選ぶ。  山田さんも「人が成長する上で大切なことをこの映画は教えてくれる。遼一は許すことで大人の階段をあがった。」と語っていた。   「怒り」「悲しみ」の感情を大袈裟に演じたからこそ遼一の成長が際立って感じられた。

記憶屋である「河合真希」は陽気で少し幼くも感じられる。これに対して、「大学生でこんな奴いないだろう。」と批判している人もいたが、真希が普段陽気な性格であるからこそ、対比的に彼女が記憶屋であることで抱えているものの重さがより鮮明に伝わる。そして彼女が記憶屋であることを中盤あたりでわかるようにしたおかげで、彼女の葛藤が見られた。                                 また、遼一から見ると真希は恋愛対象にはならない。あくまで、妹のような感覚で守る対象であるということが強調されていると感じた。それは、遼一の「俺が、真希を守るから。」ということからもわかる。真希の演技に関しては監督が「もう少しテンション上げて。」と芳根さんへの指導があったそうだ。それに対して、芳根さんも「健気って切ないと思えた。」と語っていた。

真希と遼一の関係が公園のシーンの後どうなったのかは見た人によって考え方が変わるエンディングだったと思う。 私は、真希の「一度だけでいいから好きになって。」というセリフの意味は、もう、守ってもらうわけにはいかない。償いとして遼一の前からいなくなって、ずっと一緒にいてくれたけど離れる。という決断をし真希自身も成長したと解釈した。しかしパンフレットを見るところ、真希は記憶屋の力を使い遼一から真希の存在を消したという結末だった。それは、それでよりつらいラストになるが、、、、。そうなると、遼一が真希のかつて座っていた席を何気なく見つめるシーンがあったが、記憶はなくなっても人との繋がりは感覚としてどこかに残っているという意味なのだろうか。多く語ることなく、見る人が自由に解釈できるようラストを迎えたのは私は好きだった。

辛い記憶を消したい。大切な人が苦しまないようにするために記憶を消してあげる。他者からしたら、辛いことでも残しておかなければならないものもあるし、その行為は一種のエゴにも感じる。しかし、不条理に直接対面した人ではないとわからない苦しみというものがあるのだ。それは序盤で真希も言っていた。

今回の映画は遼一が自分の過ちを泣きながら打ち明けるシーンに1番感動した。







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