今こそみるべしパンク映画【D.O.A.】
本作がセックス・ピストルズ初のアメリカツアーを追ったパンクドキュメンタリーの最高傑作とされていたのは、当時は一部のライブ映像やブート盤しか残っておらず、彼らの貴重な映像を拝む事が出来たからであろう。監督は、レック・コワルスキー。
1977年10月、1stアルバム「勝手にしやがれ」を全英チャート1位に送り込み、米ワーナーと契約を結んだ次のターゲットはアメリカだった。
1977年12月29日から1978年1月3日までに予定されていた公演は、バンドの犯罪歴がビザの問題を引き起こしたためキャンセル。
最初で最後となる伝説のアメリカツアーは次の日程により行われた。
以下:⚠️ネタバレ注意⚠️
D.O.A.(1981年)
1978年1月5日 ジョージア州アトランタ
1978年1月6日 テネシー州メンフィス
1978年1月8日 テキサス州サンアントニオ
1978年1月9日 ルイジアナ州バトンルージュ
1978年1月12日 オクラホマ州タルサ
1978年1月10日 テキサス州ダラス ロングホーン
1978年1月14日 カリフォルニア州サンフランシスコ ウィンターランド
ウィンターランドで迎えることになってしまったラストライブでは、ヴォーカル:ジョニー・ロットンが「騙されたと感じたことはあるか?」と冷笑して締めくくったことで有名。
ツアーは最初から予想通りの混乱だった。これはピストルズのマネージャー、マルコム・マクラーレンによって仕組まれたものだからだ。
かつてのヒッピーの聖地ウィンターランドと表現されるこの地は、ジョニーが嫌っていた自己満足の60年代文化に、最後の一撃を加えるには、うってつけの場所として、設定されたのかもしれない。
しかし、注目を集めたのは、アトランタからダラスのロングホーンを巡るツアーであったこと。
マクラーレンが目論んだ通り南部戦略はハマった。
当時世界でトップクラスに物議を醸すバンドを都市部ではなく、ディープサウスに送り込み、スキャンダルを巻き起こしたのは、さらにバンドを売るため。
当初9公演の予定だったツアーは、シド・ヴィシャスの薬物使用、ジョニーとマクラーレンの関係破綻により、7公演で打ち切られ、バンドは解散。
その後、彼らについてはよく知られている通り。
1978年4月 ジョニーは本名ジョン・ライドンに戻しP.I.L(パブリック・イメージ・リミテッド)を結成
1978年10月 シドが恋人ナンシーの殺害容疑で逮捕
1978年12月 P.I.Lの革命的なデビュー・アルバム「Public Image: First Issue」をリリース
1979年2月 シドは薬物の過剰摂取によって死亡
ピストルズの軌跡は、活動期間はわずか2年余り。シングルを4枚、アルバムを1枚リリースしたのみ。
パンクが登場した最大の意義とは、それまでのロックが積み重ねてきたものに対するもうひとつのロック革命だ。
これまでのことは一旦リセットして、ここから先は新たな未来であると宣言した。
閃光のように現れ、あらゆる既存の価値観を徹底的に破壊し、一瞬の輝きにより、あっという間に消えていった。
世界を変えたその存在は永遠に忘れ去られることはない。
noteではパンク映画を紹介。
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