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『ライト・オブ・マイ・ライフ』レビュー 【未確認映画解放同盟】7/10-7/16出町座で上映!


7/10-7/16出町座にて、「未確認映画開放同盟」第1弾として『ナイフ・プラス・ハート』『ライト・オブ・マイライフ』『ソーリー・エンジェル』の3作品が上映されます!

映画チア部が紹介する2作品目はこちら!

『ライト・オブ・マイ・ライフ』

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2019年/アメリカ/119分
原題:Light of My Life

監督・脚本:ケイシー・アフレック
出演:アナ・プニョウスキ、ケイシー・アフレック

あらすじ

伝染病によって、ほとんどの女性がいなくなってしまった世界。生き残った女性が男性たちに襲われる、危険な社会から守るため、父は娘のラグに息子のふりをさせながら、隠れるように暮らしている。娘を守ろうと必死な父、父のやり方に多少の不満を抱いているラグ。ひっそりと生きていた二人だったが、ある時、ついにラグが娘であることがばれてしまう。彼らは安息を求め、困難に遭遇しながらも、遠い地へと向かう。

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イントロダクション

『オーシャンズ』シリーズなどの数々のヒット作に加え、『マンチェスター・バイ・ザ・シー』による繊細な演技で第89回アカデミー賞主演男優賞を受賞したケイシー・アフレック。今作は、彼が自ら制作・脚本・監督・主演を務めた初の長編物語映画となる。
スクリーンデビューとは思えないほどの自然な立ち振る舞いを見せている娘のラグ役には、カナダの新生アンナ・プニョフスキー。さらに存在感を放つ母親役は『ザ・スクエア 思いやりの聖域』、テレビドラマ『ハンドメイズ・テイル/侍女の物語』など様々な場で活躍を続けるエリザベス・モスが務めている。
撮影監督には『トップ・オブ・ザ・レイク』『トゥルー・ディデクティブ』などのテレビシリーズで2度のエミー賞を受賞し、別世界を作り出すことに定評のあるアダム・アルカポー。カナダの雄大な自然をどこか物悲しく映し出し、ディストピアらしい独特の雰囲気を漂わせている。

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レビュー

終焉後の世界を描いた物語といえば、これまでその世界の核心部分に触れるような人々の冒険が多く目立ってきた。今作はそんなドラマチックな変化とは無縁な場所で、しかし私達のような観客の身にも起こることを淡々と救いあげている。
松任谷由美の名曲『やさしさに包まれたなら』に、「小さい頃は神さまがいて 不思議に夢をかなえてくれた」という歌詞がある。ケイシー・アフレック演じるこの物語の父親は、愛娘・ラグにとってそういった存在でありたいのだと感じる。どんな危険からも彼女を守り、人を攻撃することはせず、いつでも頼りになる幼いこどもだけの身近な神さま。濃い霧はいつまでも晴れず、剥き出しの寒さに晒されるような自然の中で、二人は寄り添うように密かに暮らしている。
しかし、それは時として娘の成長を阻んでいくことにもつながる。彼女は賢く、勇敢で、人に優しく接することができる。それまで加護を必要としていた小さな生き物が、完全ではないにしろ、自分だけの力で人生を切り開けるようになっている。その兆しを、父はチラチラと感じはじめている。
ケイシー・アフレックが自身の経験をもとにこの物語の構想に着手したのは6年前のこと。新しいものは生み出せないが、自分の中にあるものを取り出すことはできるとそれまでの人生を振り返って物語に込めてきた。寂しさを認め、子供を信じてその背中を見送ること。誰もがいつかは通る別れ。手を離さなければならいない時はすぐそこに迫っている。2人の息子と過ごす中で、彼はいつ、このことに気づいたのだろうか。
「大丈夫、愛の冒険だから」
ラストシーンでラグがささやくこのセリフを、彼女が母親と同じ大人の女性になったのだと私は解釈していたが、実はたくさんの意味が含まれた言葉だったのだと思う。二人のこれまでが二人のこれらを作ること。どんなに傷ついても帰ってくるのはあなたのところだということ。
父のつたない愛は彼女に届いている。ラグはこれから彼が知らない女性になるような道をつき進んでいく。けれどいかなる冒険の時も、そして暗闇の中でこそ、彼女は父と過ごした日々を思い出すだろう。父が妻との時間を思い出してきたように。それが娘の足元を照らす光となるだろう。
本当は、彼にとって、そのことだけで充分なのだと思う。
互いが1番に影響を与えている親子関係でいれるときは一瞬だ。この映画はその一瞬を切りとった、静かで濃密な時間が流れている。(井上)

サブ1 2

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『容疑者、ホアキン・フェニックス』撮影時の女性スタッフから、セクシュアルハラスメントで訴えられたケイシー・アフレック。騒動後に今作が公開されたことから、「彼自身の女性嫌悪が反映された物語か?」とゴシップ的に論じられる事も多いようである。では実際のところ、これはどういった作品なのだろうか?

ケイシー演じる父は、伝染病で妻(ラグにとっては母)を亡くしている。
「娘を守ってやれるのは自分1人だけ」と必死にラグを守る姿は、過剰ともいえるほどだ。
父が、危険な男たちから娘を守るという、よくありそうな構図。しかし、この父が行うのはそれだけではない。
ある晩、父はラグに、少女から女性への成長について話そうとする。たどたどしいが、とても真剣だ。生理や妊娠の話を娘にする、恐らく生きていれば母がしたであろうことを、うやむやにするのではなく、父が行う。これはなかなかできることではない。
父は、世界からむやみやたらに娘を守っているのではない。圧倒的に女性が少ない、異様な状況下で仕方なくそうしているのである。本当はもっと自由にさせてやりたい。臆することなく女性として生きて欲しい。そう思いつつ、不器用ながらも真摯にラグに向き合っているように感じさせるシーンだ。
ただ、彼なりに努力はしていても、それは完全ではない。例えば、冒頭で父がラグに聞かせるお話は「メスのキツネの物語」として始まるが、気づけばオスのキツネの話にすり替わっている。女性の事を語っていると言いながら、結局男性メインの物語になっている。また、ラグに生理の話を聞かせる時も、安心させようとしているのだろうが、「大したことじゃない」と言い、生理痛など、辛い面については言及しない(ここまで求めるのは難しいかもしれないが…)。
故意ではなく、ほぼ無意識に行っている女性の軽視、男性をメインとする考え方…これらは、現実の世界でも広く蔓延していることで、この作品では、それらが浮彫りになっている。

この映画では「努力はしているが結局は男性視点からしか物を考えられない」という父の人物像が描かれている。相手の立場を分かろうと努力はするが、努力するのは自分が安心・安全でいられる範囲の中でのみ、という構造は、男女間の問題に限った話ではなく、人種や宗教間でも起きている問題だ。
ここには、おそらく、表面上は各方面に配慮しようとしていながらも、根本には「自分さえよければそれで良い」と思っている個人の存在がある。しかし多様な人間が存在する社会では、このような個人ばかりでは相互理解は進まず、何も解決しない。この個人と社会の関係性は、今作においては「外界をシャットアウトし愛する娘を連れて生活する父とウイルスで女性が激減した世界」として表れている。
ケイシーの女性嫌悪(と受け取れる表現や台詞)、という1つの側面だけでなく、この映画には、現代の「自分の安全な範囲で自分の生活を守りたい個人と、多様な人々が存在し相互理解を必要とする社会」という対立構造が現れているのかもしれない。(藤原)

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『ライト・オブ・マイ・ライフ』上映スケジュール@出町座
2020/7/10(金)〜7/16(木)
7/10(金)~7/12(日)13:55(~16:00終)
7/13(月)~7/14(火)18:35(~20:40終)
7/15(水)~7/16(木)20:35(~22:40終)
*7/16(木)で終映。
https://demachiza.com/movies/6872
あらすじ:藤原萌
イントロ:井上素野子
レビュー:井上素野子、藤原萌




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