見出し画像

映画『一月の声に歓びを刻め』 三島有紀子監督インタビュー

―映画の製作経緯をお聞きしたいです。

大阪の堂島が私のふるさとなんですけど、 いつか大阪で映画監督として、撮らなあかんなと思ってたんですけど、47年前のある事件が大きい存在で、なかなか撮れなかったんです。大阪を描いた時に、必ずその事件が浮かび上がってきてしまうと思ってたんで、なかなか手を出せなかったんです。でも、短編『IMPERIAL大阪堂島出入橋』(2022)で、家族ぐるみの付き合いやったあるレストランが、コロナ禍で取り壊されるということで、「これは映画で撮らなあかん」と大阪で撮ることに決めたんです。ちょうどロケハンしてる時ですかね、47年前の事件の犯行現場に出くわすことになってしまいました。入ったそのカフェから、見えるはずがなかったんですけど、建物が取り壊されてて、ずどんと抜けて、なぜかその犯行現場が見えていました。私もちょっと突然のことにびっくりしたんで、「あっ」て思わず声を上げたんです。

その場で、今回の『一月の声に歓びを刻め』でプロデューサーやってもらってる山嵜さんと一緒に話してたんですけど、「実は、この場所は6歳の時に見知らぬ男の人に性的な暴力を受けた場所」みたいなことを淡々と話せたんですよね。まさか、その自分がこのことを淡々と話すとは思ってなかったんですけど、47年経って「今、 淡々と話してるわ」って思ったら,なんか普通に笑いながらマリトッツォを食べたんですよ。 そしたら、その事件を見つめながら、大阪堂島でなにが生まれてくるのか・・・映画を作ろうかっていう話になって始めたのが、自主映画としてスタートしました。


―脚本を書くことに抵抗はなかったですか?

どっちかっていうと、脚本書いてる時は客観的に自分を見る作業だったんです。「始めます」と言って、「三島有紀子」さんを取材しながら、客観的に自分を見ている感じがあって、その客観的に見ている中で、結果的に前田敦子さんが演じてくれた30歳ぐらいの女性という人物像が生まれてきて、って感じでしたね。なので、脚本を考えてる時には自分自身の過去が辛いとか、そういうことではなかったんです。ただ、なんて言うんですかね、今まで触れてなかった過去を見つめることにもなるので、意外とまだ生傷だったんだなって、いうことに気が付きました。別にね、毎日そのことを考えて生きてきたわけじゃなくて、毎日楽しく暮らして生きてきたわけですけど、過去を覗きに行くと意外と生傷やったなっていう感じです。


―実際、三島監督ができあがった本作を見た感想があればお聞きしたいです。
 
自分自身は基本的には映画館で楽しんでいただく映画と思って作ってるんで。 なんかいつもと変わらず映画館で見てらえたらいいなって。その中でいろんな発見をしてもらえたらいいなと思いながら作っています。一方で、自分みたいな人に向けてこういう言葉が届いたらいいなっていう、映画で寄り添うことができたらいいなという思いを持ちながら作ってた感じなんで、自分自身が 純粋なお客さんとして見るっていうことはまだないですかね。


― 前田敦子さんの出演経緯をお聞きしたいです。

元々、前田さんと一緒に映画を作りたいという思いがあって、前田さんってインタビューとか、作品とか見てると、映画を作ってる人たちも、すごく好きなんだなっていうことが伝わってきます。自分もそうですが、映画を上映してくださる人たちとかも、映画に関わる人、全ての人を好きなんだなっていうのがよくわかるので、この自主映画から始めた、まだ何も決まってない、配給も決まってないし、公開も決まってないし、お金もどうなるかわかんないといった作品に対しても同じような思いで、 向き合ってくださる方なんじゃないかなって思ったのもあります。あと、ご一緒したいって思ってたのは、彼女自身が、青白い怒りみたいなのを内包してるなとかんじたのもあります。あとは私自身、今と違うなにかを渇望している、満たされていない役者さんが好きなのかもしれません。明らかに前田さんという人は、新しいなにかとか、新しい自分を、ずっと求めている人なんじゃないかなと思ったので、今回「れいこ」をやってもらいたいと思いました。あとは、「れいこ」が過去に性被害の経験を持っているんですが、可哀想だったり、被害者意識のすごく高い人というイメージを、あんまり持たない人物像にしたいっていうのがあって、映像に映った時に非常に強くたくましい人に見える女性に演じていただきたかったっていうのも大きいです。

―最初のカルーセル麻紀さんが演じるマキが 話していた「れいこ」と、前田敦子さんが演じる「れいこ」は同じ名前で、同じ6歳の時に性被害を被害にあった人物です。二人の「れいこ」につながりはありますか?
 
いろんな捉え方をしていただいていいのかなとは思うんですけど、1人は、そういう事件があって、人生が続いて生きてきた人で、もう1人は命を絶ってしまう。その両方から見えてくるものがあるんじゃないかと思ったのが大きいですかね。あとは、マキが発する亡くなった子供の「れいこ」に向けて発した言葉は、本当はこう言ってあげたかったとか、こうしてあげたかったという思いのセリフですけど、それがマキの娘だけではなくて、世界中の「れいこ」に届いてくれたらいいなって思いがあったので。また、傷は誰にもあると思いますので、誰の中にも「れいこ」はあるような気もしています。


―なぜ3章はモノクロだったのですか?
 
大阪の「れいこ」には、この大阪っていうのが、どう見えてるかっていう風に考えたんですね。もしかしたらモノクロにみえてるんじゃないかと。彼女が過去に戻ったかのような効果も含めてモノクロにしました。ロケハンしてる中で、大阪を実際に歩いてみて感じたのが、大阪って人が活気のある町だということに改めて気が付きました。その活気と「れいこ」の距離感を考えた時に、「れいこ」はもっと距離感を持ってるだろうなと思って、浮遊感も考えて撮影部やスタッフみんなに相談したら賛同してくれました。


―2章についてお聞きしたいです。

自分の性被害みたいなものをモチーフにして考え始めた時,なにが1番核になるのかなと思ったら、「なんで私が罪を感じなきゃいけないんだよ。やられたの私やん」でした。その罪の意識みたいなことをちょっと見つめてみようかなと思った時に、その傷つけられた人の家族や残された人たちの、本当はこう言ってあげたかったとか、こうしてあげたかったって罪の意識や後悔が見えてきました。でも、傷つけられた側だけ見ててもダメなんじゃないかなと思いました。なぜなら自分も傷つけられることもあれば、誰かを傷つけてることもある。傷つける側の罪の意識っていうのを、ちょっと考えてみようかなと思った時に、性暴力をやる人間に生まれる罪の意識っていうのは、あんまり自分の中で深まらないというか、非常にわかりやすい罪の意識にしか到達できなかったんですよ。もっと日常の中で、自分自身も重ねているような罪ってなんなんだろうと思った時に、八丈島で描いている、家族が交通事故にあった時に、延命治療を続けるか続けないかっていうことだったり、自分の娘が、かつて罪を犯した人間の命を身籠って帰ってきた時に、その命をどう捉えるのかっていう。見てくださってる人たちも、自分の日常の延長の中の罪の意識みたいなことにすれば、見えてくるものがあるんじゃないかなと思って、八丈島を入れました。あと、八丈島編では、どんな人も、好きな人とsexをして、子供を生むことはとても豊かなことだということも描きたかったんです。そういう意味では、罪の意識から紐解いた「性」と「生」の映画と思います。


―八丈島と洞爺湖を舞台として選んだ経緯をお聞きしたいです。

八丈島はかつて古い昔、罪を犯した罪人が流される場所、流刑地でした。そういう意味では、罪を背負った人間が住んでいたという島なので、罪を重ねる側の人間を描く時に、八丈島で撮りたいという思いがありました。今は観光地にもなっていますが、7年前ぐらいに初めて行った際、とても荒々しい自然の力強さを感じたんです。生命力というか「生」みたいなものを。あと、太鼓の文化です。各家に太鼓があって、辛い時に叩くと、隣近所の誰かがやってきて、一緒に叩いてくれるという文化がとても素敵に思いました。洞爺湖は『しあわせのパン』(2011)で撮影したんですが、ロケハンで中島に行った時に、新聖な場所というか、本当に高い木がどこまでも続く森で、光が漏れてきたり漏れなかったりする中で、霧深く野生のエゾジカがいるような世界だった。私はたまたまロケハンに1人で行って、本当に神が降りてくるみたいな美しい場所という感覚があったんです。ちょうどその時、一頭の鹿と目があったんです。大げさに聞こえるかもしれないですけど、神の使いのような。それで、なにか決着をつけるようなシーンをその島で撮たいなっていう思いが元々ありました。『しあわせのパン』では、そういうシーンを撮らなかったので、今回ちょうどいいなって思った時に、洞爺湖に建物を持っているフードスタイリストの石森いづみさんから、「もうすぐ家(劇中マキが住んでいるあの建物)を取り壊すんだけど、なんか撮らない?」って言われて、「そうか。中島で撮れってことか」って思いました。


―『一月の声に歓びを刻め』のタイトルについてお聞きしたいです

元々脚本を書いた時のタイトルは、『パーツ・オブ・シップ』だったんです。人間っていろんな傷で形成されてんのかなって思うこともある。その人というのは、その人がなんに傷ついてきたかの歴史でもあるな、と。船もいろんなパーツで出来上がって、そのパーツ1つ1つって、重くて海に沈んでいきますよね。だけど、そのパーツを組み立てると、船となって、浮かんでどこかに行くことができる・・・われわれの傷はこの船のパーツみたいなものなんじゃないかなと、全部組み立てられると進んでいけるのかもしれない・・・そんな思いを込めて、『パーツ・オブ・シップ』と脚本に書いていました。でも実際に撮影したら、やっぱりこの映画、前田さんの声だったり、カルーセル麻紀さんの叫びだったり、哀川さんのつぶやきだったり、声がダイレクトに自分の心に響くなと思って、この映画は声なんだなって思って、声というものをタイトルに入れよう。この映画の始まりがお正月から始まって、なおかつ、12月は終わりの月で1月ははじまりの月、新しい時間、新しい再スタートっていう意味を持っているなと思った時に、その再スタートの月に聞こえてきた声なのか、それともご自身の声なのか、その声に歓びが刻まれたらいいなっていう願いを込めるようになりました。


―学生にメッセージをお願いします。
 
この前、映画館の方と話してたんですけど、映画が始まる時って、暗闇から始まるよねって話になったんですよね。その暗闇に光が差してきて誰かの物語が始まる。われわれも、暗闇の中に一筋の光が差してきて、自分達の物語を始められたらいいなっていつも思います。生きていく中で、そんな物語がいくつかあったら幸せですよね。


三島有紀子 監督

関西の公開情報(2/29日以降)
アップリンク京都
シネリーブル梅田
詳しい情報は各劇場のホームページをご覧ください。

©️bouquet grni films

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?