『ラジオ下神白―あのとき あのまちの音楽から いまここへ』小森はるか監督インタビュー
こんにちは。映画チア部大阪支部の(さや・なつめ)です。
今回は、8月31日(土)よりシネ・ヌーヴォで公開する映画『ラジオ下神白ーあのとき あのまちの音楽からいまここへ』の小森はるか監督にロングインタビューをさせていただきました!!
映画を見て気になっていたことや、小森監督の撮影・編集スタイルについて、そして小森監督の学生時代のお話などなど…どのお話も興味深くて、内容が盛りだくさんなインタビューとなりました。
全ての質問に丁寧にご回答いただいた小森監督に改めて感謝申し上げます。
さて、かなりの大長編となりましたが、どの内容も見逃せない貴重なお話ばかりなので、目次をご活用のうえ、ぜひ最後までご一読ください!!🌟
(聞き手:さや・なつめ)
『ラジオ下神白』の撮影経緯について
チア部:まず、『ラジオ下神白』を撮影するに至った経緯についてお伺いしたいです。『ラジオ下神白』が下神白団地の住民の方々に認知されてから(「ラジオ下神白」の開始から約1年半後)にカメラを持って、小森監督が撮影に入られたそうですが、小森監督はいつから「ラジオ下神白」の取り組みを知っていたのですか?
小森監督:「ラジオ下神白」については、詳しくは知らなかったんですが、そういう事業をやっているということは耳にしていて。アーツカウンシル東京という東京都の文化財団が、文化を通じた被災地支援活動(Art Support Tohoku Tokyo)というのを各地で展開していました。「ラジオ下神白」のディレクターであるアサダワタルさんに声をかけた、アーツカウンシル東京の佐藤李青さんという方は、私も以前から繋がりのある方で。だから、話としては聞いていたけどよく知らなかったんです。「ラジオ下神白」のドキュメントブックを作られた川村庸子さんという編集者の方がチームに入っていて、川村さんから私に「映像記録として関わってもらいたい」という風に相談をいただいて、それで参加することになりました。なので、タイミングとかを自分で決めたりしたわけではなくて、川村さんが文章だけではこの活動を残すのは限界があるという風に思われたっていう、それがすごく大きなきっかけで。なので、気になってはいたけど、行ってみて知っていったというか。
チア部:実際に撮影に携わりながら、「ラジオ下神白」の実態を小森監督ご自身も現場で知っていく過程の中で撮られた作品ということでしょうか。
小森監督:そうですね。それまでやってこられた活動はラジオCDを聴かせてもらったり、資料として触れたりはしていたんですけど、それよりも現場を見る、同行することで何を撮ったらいいのか、に気づくというか。それは行ってすぐにわかっていきました。
チア部:なるほど……ありがとうございます。
撮影するにあたって、ドキュメンタリーでしばしば取り上げられる問題として「撮る/撮られる」の関係性があると思います。特に震災のドキュメンタリーでは撮影されることによって、自分が「被災者」としてのレッテルを貼られるのではないかという懸念から撮影されたくないと思われる方もいるんじゃないかなと思います。でも、この映画を見ていて一番印象に残ったのがクリスマスのイベントで、すごくたくさんの人が参加されていて、皆さんが撮影されていることに嫌悪感を抱いておらず、純粋にイベントを楽しんでおられるのがとても印象的でした。
撮影に至るまでの間にどのようにしてそういった関係性を構築していったのですか?また、「撮る/撮られる」の関係性の中で、小森さんが意識されていることがあればお伺いしたいです。
小森監督:そうですね、私自身福島に関わる前は岩手県に住みながら、その地域に暮らしている人たちを撮るという活動をしてきたんですけど、その時から今おっしゃってくださったような、被災した人としてではないひとりの人を撮りたいと葛藤しながらやってきていて、そういう関係性になるまで、すごく時間のかかることだと思ってたんですね。それは撮りながら積み重ねていくものになると思うんですけど、いきなり下神白団地に自分が入っていってアサダさんたちがやってきたことを壊してしまったり、今までみたいに自然体でお話しするのが難しくなってしまうのかなと思ったりしていたんですが、そんな心配が一切要らなくてですね…何がそうさせたのかはわからないんですが、アサダさんたちの仲間のひとりというか、そこにカメラで記録する人が加わったみたいな感じで、受け入れてくれたんですよね。だから、だんだん撮れるようになったというわけでは正直なくて。
皆さんには「映画にするから撮っています」という許可をとっているわけではなくて、記録で撮影しますよということを伝えているんですけど。その点に関してはアサダさんたちに一任していた部分もありまして…全て許可を取ってやっていくというやり方のほうがより不安にさせてしまうんじゃないかということもあって、その辺りは自治会長さん(住民のどの方ともコンタクトが取れる方)に、映画として公開することとか、どういう感じにするみたいな相談をしながら、お一人おひとりに説明をしてやっていくのとはまた違う形で許可を取らせてもらいました。なので、クリスマス会の時の撮影とかも、お一人おひとりに説明したわけではないんですけど、ラジオ下神白としては十分認知してくれていて、その活動を伝えるための記録であることは理解してくださっている中での撮影になっていたかと思います。それは今までの自分の撮影とはすごく違うスタイルで。どういう形で人との信頼関係を築いているかというのが、私というのではなく、ラジオ下神白という団体として、一つのチームとしてそれを判断するということだったと思うので、それが一対一という関係ではないからこそ、幅広く色んな人たちとのつながりをとれていったと感じています。
チア部:どちらかというと「映画」よりも「ホームムービー」のような、そこに居て、その一員としてカメラがあるような気がしていて。映っている人たちが、「映画になる」と明確にわかってしまったらどうしてもパフォーミングしてしまう部分もあるかと思うのですが、そういったものが全然見えなくて、本当に自然体でいられるのはそういった細部まで伝えない選択によって成し得た距離感なのかなと感じました。
小森監督:これは二重構造になっていて…アサダさんたちもラジオの取材をしているんですが、全然取材している風景ではなくて。一応毎回レコーダーは置いているんですけど。本当に全部がラジオ番組になるかはわからないけど、話を聞きに来ているんだっていうことはすごく大事にしていて。でも、こちらが欲しい言葉を求めているわけではないし、取材時間も決まっていなくて、ただ過ごせるだけ、音楽の話から始まり、人生のことについて聞かせてもらうみたいな。そういうお付き合いをされていたので、映像の方も自然とそうなったし…インタビューでもなければ、ただ頷くだけの傾聴でもない、その間くらいの感じでアサダさんたちが話を聞いているというのがそのまま映像に反映されたという気がします。
チア部:映画を見ているなかで、下神白団地と永崎団地の間の道路が印象に残りました。それぞれそこに避難されてきた方が下神白団地は原発事故の被災者で、永崎団地は地震・津波の被害で避難されてきたという背景があるなかで、道路は両者の心理的な分断を具象化するものなのだろうか…と考えました。クリスマスのイベントは永崎団地で行われたということですが、下神白団地と永崎団地に住んでおられる方々の関係性についてお伺いしたいです。
小森監督:私が行く前から下神白団地はわりと復興公営団地の中でも名前を聞く団地でした。一つには、永崎団地との間の通りというか、隣接した団地で分断が生まれていると報道がされたり、支援に入っている方々の間でも難しいと語られたり、そういう風に知られていた面はあったと思います。あの通りを「見えない壁」というタイトルで作られた番組があったりするんですけど。でもこの映画にも出てくる永崎団地の藁谷さんという自治会長さんと下神白団地の会長さんたちがすごく話し合いを重ねて、少しずつ2つの団地で合同で開催するイベントを増やしていったりとか、そういう風に関係性が構築されてきている中に、アサダさんたちも加わっていったというタイミングだと思います。
ラジオの方も第4集まで作った時に、永崎団地の藁谷さんにインタビューが収録されて、下神白の皆さんが聞くことになりました。直接ぎくしゃくしているような場面を見かけることは私はなかったですけど、それにしてもクリスマス会を永崎団地で開催できたということは特殊なことだったんじゃないかなと思いますね。下神白団地のイベントに永崎の人たちが来てくれるとか、一緒にやりましょうといった風景は耳にもしていたんですが、永崎の方に下神白の人たちが行ってというのは、イベントとしてはほとんど無かったんじゃないかなと思います。下神白はイベントが常に集会所で行われているような活発な団地なんですが、永崎の方はどちらかというと静かな感じに見受けられました。そういう中でのクリスマス会というのは、住民さんも「一番いい時が映ってるね」という風に映画を見て言ってくださったので、そういう実感なんだなと思いました。
チア部:そういう風にお伺いすると、クリスマス会の意味がより深く感じられるというか…何も知らない人からすると、二つの団地があって、クリスマス会をやるためにただ場所を借りただけじゃないかと思うかもしれませんが…。私が二つの団地の関係性に難しさがあるのかなと感じたのは映画内のテロップで、どういう方がそこに住まれているのかという説明を読んで「おそらく難しい関係にあった中で、永崎団地での開催に行き着いたのかな」と想像していたので、そのお話を伺ってクリスマス会の背後にある色々な関係性、人と人との関わりに思いを巡らすことのできるエピソードでした。
小森監督:それをわかってほしい気持ちもありつつ、でも説明するとそれはそれで映像が死んでいくというか…「そういう会ですよ!」と言わないから良い部分もあると思ったので。テロップを入れるのもチームの皆さんと相談したんですけど、せめてというか、その攻めぎわの中で、違う背景を持った被災をされた方たちが隣に住んでいますよということだけは最低限入れようとなって。どこまでそこから想像してもらえるかはわからないと思いつつ。でもそう受け取っていただけたんですね。
チア部:すごく絶妙なバランスだなと思って…説明的ではないんだけど、あのテロップがなければ私はそのことに気づくことが出来なかったと思います。押しつけのように、教えられているというよりも、純粋に情報だけで留められたテロップが活きて自分に響いてきたなという感じがします。
小森監督:ありがとうございます。入れてよかったです(笑)。
「音楽」というアプローチについて
チア部:次に、作品におけるアプローチについてのお話をお伺いしたいです。私が今まで目にしてきた震災ドキュメンタリーでは、被災者に震災の記憶について、もしくは震災前の生活や街についての話を聞くものが多かったのですが、「震災についての記録」という側面が個人や個性よりも上回ってしまうと、個人を型にはまった「被災者」にしてしまう危険性があるのではないかと感じていました。『ラジオ下神白』ではそういったアプローチとは異なり、個人の記憶とそれを引き出すメディウムとしての音楽というものに焦点が当てられていたように感じます。人それぞれに思い出の音楽があったりして、「音楽」は多くの人にとって記憶を呼び起こす装置になっているんじゃないかなと思いますが、それがこの映画でお話しされている方々を「被災者」に括らない一つの方法なのかなと思います。また、山形国際ドキュメンタリー映画祭のトークセッションにもあった、「それを知らない世代と分かち合うものを探して」を体現しうる一つの表現だなと感じました。方法論的なアプローチについて、どのように考えて撮られたのかをお伺いしたいです。
小森監督:音楽をきっかけに個人の、お一人の方のお話を聞くって自分の中でも驚いたというか。「震災前の話を聞かせてください」といった思い出話を聞かせてもらうだけだと、よかった時代とか、楽しかった話しか出てこなくて。もちろんそれはそれで大事な話なんですけど。音楽だと、苦しかった時代の話、たとえば嫁いで大変だったとか、戦時中に敵国の言葉だと言われたけどそれでも勉強したかったとか、苦しいなかでも踏ん張ってきた時に自分が聞いてた音楽、支えてくれた音楽みたいな話が出てきて。もちろん故郷に戻りたいとか、その土地を大事に思いたいという気持ちはあるんですけど、いい思い出ばかりじゃなかったぞ、みたいな(笑)。それを含めて今戻れないという話が聞けたのは、『ラジオ下神白』ならではというか…それこそ、誰にも話したことなかったような、特に女性はそうだなと思うんですけど。だから、次から次へと別の思い出話も出てくるというか。こっちが聞きたくて、求めようとするのではなく、語られているという状況を作り出してくれたのは音楽だったと思います。あとは、故郷に対して震災前はこうだったという感じの記憶ではなくて、その時その瞬間の音楽との思い出で、かつ聞く側の私たちも聞いたことのある、馴染みのある音楽についての話であるっていうことが、それがすごく意味があったと思います。
小森監督:あとは、被災された方たちのお話を聞くなかで、自分のおばあちゃんの話とか身近な人の話を思い出したりすることにつながればいいなと思っていて。一人ひとりの人生ってやっぱりとんでもない、みんな面白いと思っていて。なんでそういうことを語ってくださるんだろうって毎回感動します。その人は何でもないみたいな感じで言うんですけど。私たちの世代ではまだ経験していない、時代も違うのでわからないことっていっぱいあって、そういう話って普段なかなか聞けなくて。被災した人だから聞きたいというわけではなく、普通に自分たちよりも長く生きてきた人たちの話を聞きたいと思っていて。だから見ている人にも、そういう捉え方をしてもらえたらいいなと思っています。このおじいさん、おばあさんかっこいいなと思ったり、「身近な人に話を聞いてみよう」というその一歩につながるような、そっちの方が伝わってほしいという思いがあって。『ラジオ下神白』の取り組みを伝えるという目的ももちろんあるんですけど、それだけではなくて、関わることに躊躇する気持ちを解いたり、大丈夫だよ、聞いていいよって伝えたいです。自分よりも若い人たちにはそういう風に映ってほしいなという思いもあります。
チア部:そういった思いが、いわゆる「震災ドキュメンタリー」みたいには括られないこの作品のスタイルにつながっているのでしょうか?「この人たちの話を教訓として伝えたいんです」みたいなものがこの作品からは感じなくて。もちろん、お話の中で震災の影は見えますし、その方の記憶や歴史を語る中で、震災を経験されているからこそ垣間見えることはあるんですけど、でもそれを主題としていないというか…。おじいちゃんやおばあちゃんに話を聞いてるみたいに身近に感じるというか。
カメラも、インタビューしている方々も映しながら、そのインタビューの光景をちょっと離れたところから撮ったり、ご本人に近づいて撮ったり、みたいに距離感も絶妙で。1対1のインタビューって、対象の方だけ映すようになってしまうことが多いと思うんですけど。
一番印象的だったのが、野球の試合中継のテレビがついていて、インタビューを受ける方がソファに座っておられて、ダイニングテーブルに3人いて、っていう構図です。野球が映ってる!テレビもついたままお話ししてるんだ!っていう驚きがありました。かしこまって、すべての音とか視界に入るものを遮って話を受ける、みたいな姿勢ではなくて、日常の中にピンポーンって訪ねていって、あぁ来たか!みたいにちょっと話をして、っていう姿勢なんだなと感じました。
小森監督:すごい細かいところ見てますね(笑)。
チア部:生活の中でテレビがついてる光景を、インタビューとしても、映画としても滅多に見ないですし。まして、テレビに対面するようにインタビュアーが座ってお話ししてるっていうその構図が面白かったです。テレビを見ながらお話ししてたのかなとか、テレビが気になってたのかなとか、本当にそういう日常を想起させるような。特別感というよりも、この方たちの日常の中にインタビューという形で入ってお話しして、だからこそ自然体や本音が見えるんだなと。作り込んだ話ではなくて、今その瞬間の感情が表に出て、映画を観ている自分に伝わってくるなと感じました。
小森監督:今自分がすごく納得しました(笑)。
カメラのフレーミングとラジオの「音」について
チア部:カメラのフレーミング、つまり、どこをどのように撮ろうかということを、その場でどのように決められたんですか?
小森監督:まず、テレビについては、消していいかどうかとか、すごい迷うんですよね。『ラジオ下神白』の撮影に限らず、人のお家にあがったとき、取材や撮影の約束をしていても、テレビってついていることが多いんですよ。ついてる番組にもよるし、音は小さくさせてくださいとか消させてくださいとか相談することもあるんですけど、ついてていいかどうかって難しくて。
あのときは甲子園がついていて、多分福島の高校が出てたんじゃないかな?これを消してはいかんと感じて、音だけ消させてもらいました。野球のテレビ画面、甲子園球場のテレビ画面は、なんか映ってもいい気がしたっていうか、映像の中にあってもいい気がしたので。映画本編には入ってないですけど、もっとはっきりテレビ画面が映ってるショットを撮ってもいました。生活感もあるし、季節感もあるし。あの日は日差しが強くて、その光と高校球児たちと、いみ子さんの苦労話とが、対比っていうか、こっちが演出しても生まれないような、心地よい感じがあって。なのであれは敢えて撮ってました。
構図は、基本的にはお話ししてくださってる方の表情をどこから見ているのがいいかっていうので位置を決めます。ただ、より記憶が立ちあがっていくと、目線とか手とか、体が動き始める人もいて。だんだんと動きが細かくなっていくというか。その本人の中で何かが起きていることが伝わってくるようになったときに、それは引いたほうがいいのか、寄ったほうがいいのか、あるいは聞いてる人が見てる反応のほうがいいのか…とか、それを基準に。直感なので全然計画的ではなくて、視覚的なもので判断していると思います。
チア部:演出しているものと違って、撮り直しがきかないと思います。その場でお話しされている音は別で録られているかもしれないんですが、カメラを持ってその時自分がどう動くかで映像は全部決まっていきますよね。
何箇所か、映像と音が別になっているところがありました。映像は引きで撮っていて、人の口の動きと音声が違って、ある種映像と音の乖離を感じました。編集のタイミングでどういうことを思われてそのようになったのか、そういう音の使い方について、おうかがいしたいです。
小森監督:音声だけ使っている部分は、ラジオで収録された音声、ラジオ収録で聞けていた話の音声を使っています。ラジオであることを映画の中で必ず見せたいわけじゃないですけど、存在として入れておきたいっていう思いがあって。これがラジオですよ~みたいじゃなくて、かといってナレーションとかでもなく、映像の時間とまた別の時間軸としての声を収録していた記録を重ねたいという思い。ただ、それがどう聞こえるかわからなくて。自分ではラジオとして入れているんですけど、何にも知らないで見たら映像と音が切り離されて使われているって思うよねと後で気づいたというか。
チア部:今思い返すと、その場で録られたものというよりも、エフェクトがかかったわけじゃないですけど、ラジオ特有の音声や伝わり方で、何か間に物質的なものを感じる音だったなと思います。そういう使い方がされていたんだと今すごく納得しました。
ラジオの存在を入れるとき、画としていわゆるラジオの再生機を見せたらいいっていう問題でもないですし、かといって音でラジオを伝えるのも難しいですし。今からラジオの音源流しますよっていうのも全く面白いものにはならないし…。
小森監督:ラジオに関する映画を観るとやっぱり、それを聞いている人たちの日常の中であたかもそれが流れてますよみたいな映像とラジオの音声とが組み合わさることが多いんです。ただ、ラジオ下神白はまずそういうラジオではないんですよね。つければいつでも流れてくるものではなくて、わざわざCDをセットして押さないと流れないものだったから、それは嘘だなと思って。聞いている人というよりは、話している人に結びつけるほうがいいかなと思って。
物質的なモノと「記憶」
チア部:ラジオ下神白は、公共放送とかではなくて、CDをすべての家に配って、ほとんどの方が聞いてらっしゃるとは思うけど聞くも聞かないもその人の自由で、その人に委ねられたものというのが、最初は想像がつきませんでした。普通住んでいてそういう経験ってないじゃないですか。どういうふうに消費されてるのかなって最初は思ったんですけど、元々レコードに親しまれている方とかカセットテープとかも出てきて、物質的な媒体を通して何かを聞くことに親しまれている方が多いのかなと感じて、CDとして配布されるラジオが何の違和感もなく受け入れられていった背景を考えました。
小森監督:確かに。モノであることに皆さん何の違和感もなくあれをラジオと言ってくれていたのは、そういう風にメディアと接してきた世代だったからだと思います。それから、震災の後に何カ所も避難するうちに持ってこれなかったものとして、CDとかレコードとかっていう、物質的なもの。そういう状況の中渡されたラジオ下神白のCD、それを再生してみようと思うことが今の暮らしの中で発生したのって、忘れてきたものや持ってきたかったけど持ってこれなかったものの記憶との接続が起きていたんじゃないかなと思います。多分、ちょっと嬉しかったと思うんですよね。そういうアクションが1つ生まれたことが。
チア部:音楽を聞くだけだったら、スマホを持っている人であればスマホで再生すれば「聞く」ことはできると思うんですけど、ラジオ下神白やその周りでそういうことをすることはありませんでしたよね。日常生活の中ではそういうふうに聞かれているかもしれないけど、物質的なモノに愛着を持っておられる方が多いのかなぁと想像を膨らませました。
小森監督:ちょっと映画の中に映っているんですけど、ちっちゃいちゃぶ台みたいなところにラジカセが置いてあって、ラジオ下神白のCDが積み重なってて、そこに、音楽を聴いたことで思い出した女学生時代のすっごい古くて大事にしてる写真が写真立てに入れられておいてあって、なんだか祭壇みたいな一角を作ってくださっている方がいらっしゃいました。それを見た時は、さっきおっしゃったようなことをすごく感じました。これは音楽とかではなく、その方にとって写真と同じような機能を持ったモノとして、手元に届いたお手紙のように、すごく大事にされているんだと。手渡しをするモノがあったから、それによってやりとりが生まれたことも大きいと思います。そこまでアサダさんたちが狙ってやっていたかはわからないんですが、結果そういうことが起きていたっていうのはすごいことだなと感動しました。
チア部:施設に移られるおじいさんがラジオ下神白に出た時のCDを結構たくさん渡されて、これを持って行って施設の方に配ってねみたいな時も、全く違和感なく宝物のように受け取っておられて、他の人にも渡そうとか渡してもいいなという考えが生まれるってすごいなと思いました。
小森監督:ラジオ下神白自体、説明するのが難しいじゃないですか。でも、住民の人たちはもっと違うところで理解してくれていて。これを渡せばきっと自分のことがわかってもらえるとか、何かのきっかけになるとか、何の違和感もなく受け取ってくれて、接してくれていて。皆さんも一緒になってCDを手作りしているシーンもあるんですけど、それくらい溶け込んでいるというのに私も驚きましたし、しょうがなく受け取っているみたいなものじゃないのがすごく良くて。清さんが「施設に行ったら、みんなこういう(ラジカセ)持っているだろう?」とか、自然と施設でも聞いてほしいと思ってもらっていることがすごく嬉しかったですね。
「ラジオ」と震災
チア部:『空に聞く』(2020)でも、ラジオパーソナリティを務めていた阿部さんに密着されていましたが、「ラジオ」というメディウムと震災(報道)との関係性(他のメディアにはないもの)について、小森さんが感じることがあればお聞きしたいです。
小森監督:大きな余震や沿岸部で津波警報がでる状況を何度か経験しましたが、詳細な情報を得ようと思った時に、ラジオがローカルな情報源を担っていることの重要性を感じました。『空に聞く』を撮影している中では、復興期の中でのラジオの役割について気付かされることが多かったです。陸前高田災害FMでは、情報だけではなく、家の中の環境音であったり、祭りのお囃子の音であったり、あらゆる生活のそばにある音を大切に収録されていました。それは一見ノイズと思われるような音も混ざっていたと思いますが、災害によってコミュニティが離れ離れになってしまったとき、その場に居合わせなくても、同じ時間を共有している感覚をもたらしてくれるものとして、その音たちを拾っていたことに心動かされました。災害が起きたあとに続く、生活を立て直していく時間、ラジオはその先が見えないような時間に寄り添ってくれるものだと思っています。
小森監督の学生時代について
チア部:学生時代に観て影響を受けた作品、学生に勧めたい作品はありますか?
小森監督:大学生の時に特に影響を受けたのは、アピチャッポン・ウィーラセタクン監督やペドロ・コスタ監督の作品だったと思います。
その頃はドキュメンタリーを作りたいという考えではなかったですが、ある小さなコミュニティの中で、その土地に暮らす人たちが自分や物語の登場人物を演じるような作り方に憧れていたと思います。
お勧めしたい、というのとも少し違うかもしれませんが、学生の頃に授業で観せてもらった映画の中で、その時は何がすごいのかよくわかっていなかったですが、後になって面白さに気づいた映画があります。佐藤真監督の『阿賀に生きる』をよくその一つとして挙げています。
またリュミエール兄弟、メリエス、フラハティなど、映画史の最初に触れられるような作品は、今思い返すとわからないなりにも心に残っていて、学生の時に観せてもらってよかったと思っています。
チア部:学生時代に東日本大震災が発災し、ボランティアとして東北沿岸地域を訪れたとのことですが、何がそのアクションにつながったのでしょうか?
小森監督:瀬尾さんがニュースを見た際に小学生の子でもボランティアしていた姿を見たんだそうです。私たちでも行ったら何かやれることがあるんじゃないかと、誘ってくれたことがボランティアに行くきっかけでした。自分の力だけでは、ボランティアに行く行動力はなかったと思います。
また、私たちの大学が茨城県にあったので、県内の被災した地域でのボランティアを最初は目指しました。最初から遠くまで行こうとはしていなかったのも、動き出せた理由になっていたと思います。
チア部:また、それをきっかけに「小森はるか+瀬尾夏美」名義で震災後の東北を映像と文章で記録する活動や映像作品制作を始めて続けてこられましたが、どのような思いがありますか?
小森監督:私たちがここまで活動を続けて来られてるのは、東北に訪れて、偶然にも出会えた人たちが、見ず知らずの学生を快く受け入れてくださったこと、そして聞かせてくださった大切な話がたくさんあるからです。そして「伝えてね」と言ってもらったことに対して、何か応えたい気持ちがずっと続いているからだと思っています。
これから映画を観る学生へのメッセージ
チア部:最後に、これから映画を観る主に学生に向けて、メッセージをお願いします。
小森監督:私は、誰かが話してくれたことを、また別の誰かに渡したい、小さな継承をしていくことをやりたいと思っています。でもそれって、身構えちゃうとできないんですよね。自分もそうなんですけど、自分がそれをやっていい立場なのかとか自己満足じゃないかとか、悩んでしまって一歩踏み出せないことがあるんですけど、そういうことをしてみてもいいっていうか。誰でも受け止めることはできて、その後どうするかは自分でゆっくり考えられるし。背負いすぎなくて大丈夫っていうことを今の若い人たちとか学生に伝えたいなと思っています。すごく思慮深くて、いろんなことを考えている上で、それをやっていいんだろうかと悩んでいる若い人が多いなという印象があります。私が学生の頃は全然、逆にそんなこと考えている人はいなくて自由勝手に動いていたし、私自身も行動したり引っ越したりしてたんですけど、今の若い人はすごく慎重に考えているし、いろんなことを勉強している。この映画に、「お互い手を握り合って温かければそれでいいじゃん、それがいいじゃん」みたいなセリフもあるように、それでいいって私も思ってて。そういうふうにこの映画が伝わったらいいなと思います。大丈夫だよ、っていう気持ちでいます。どんな人にも会えるし、聞けることがあるよっていうことを受け取ってもらえたら。
チア部:この映画を観た後に感じた温かみみたいなものを今感じました。胸がなでられるような。ありがとうございました。
最後までお読みいただき、ありがとうございます!
ここからは、イベントのお知らせです💁💁
★舞台あいさつ&トークショーのお知らせ★
8/31(土)10:50の回〈上映後舞台あいさつ〉
ゲスト:小森はるか監督、アサダワタルさん(企画)
9/1(日)10:40の回〈上映後トークショー〉
ゲスト:小森はるか監督
聞き手:小田香さん(映像作家)
9/8(日)19:35の回上映後〈伴奏型支援ミニバンドによる演奏付きアフタートーク〉
ゲスト: アサダワタルさん(ラジオ下神白ディレクター/Dr、Gt)
岡野恵未子さん(ラジオ下神白メンバー/Cl)from 伴奏型支援バンド(BSB)
米子匡司さん(ゲストメンバー/pf、etc)
と、連日イベントもたくさんありますので、ぜひ何度も足をお運びください!!
加えて、嬉しいお知らせです!!!
★『ラジオ下神白』公開記念特別上映 『息の跡』★
8月31日(土)よりシネ・ヌーヴォXで上映されます!!『ラジオ下神白』を観た同じ日に観られるのが嬉しい!!
こちらも併せてぜひご覧ください!
シネ・ヌーヴォ座席のご予約は7日前の朝10時から🔽