『精神0』映画監督・想田和弘さん、ロングインタビュー!
こんにちは!映画チア部大阪支部の(タマ)です。
今回は、『選挙』や『精神』、『港町』に『精神0』など、"観察映画"と呼ばれる独自の手法によるドキュメンタリー映画が高い評価を受ける映画監督の想田和弘さんにインタビューさせていただいたので、その様子をたっぷりお届けします!
想田さんが撮る"観察映画"や学生時代の経験、また、映画館への思いなど詳しく聞くことができたので是非最後まで!
(聞き手:はる、タマ)
観察映画の十戒
想田和弘
(1)被写体や題材に関するリサーチは行わない。
(2)被写体との撮影内容に関する打ち合わせは、(待ち合わせの時間と場所など以外は)原則行わない。
(3)台本は書かない。作品のテーマや落とし所も、撮影前やその最中に設定しない。行き当たりばったりでカメラを回し、予定調和を求めない。(4)機動性を高め臨機応変に状況に即応するため、カメラは原則僕が回し、録音も自分で行う。
(5)必要ないかも?と思っても、カメラはなるべく長時間、あらゆる場面で回す。
(6)撮影は、「広く浅く」ではなく、「狭く深く」を心がける。「多角的な取材をしている」という幻想を演出するだけのアリバイ的な取材は慎む。(7)編集作業でも、予めテーマを設定しない。
(8)ナレーション、説明テロップ、音楽を原則として使わない。それらの装置は、観客による能動的な観察の邪魔をしかねない。また、映像に対する解釈の幅を狭め、一義的で平坦にしてしまう嫌いがある。
(9)観客が十分に映像や音を観察できるよう、カットは長めに編集し、余白を残す。その場に居合わせたかのような臨場感や、時間の流れを大切にする。
(10)制作費は基本的に自社で出す。カネを出したら口も出したくなるのが人情だから、ヒモ付きの投資は一切受けない。作品の内容に干渉を受けない助成金を受けるのはアリ。
引用:想田和弘公式サイト(https://www.kazuhirosoda.com/jukkai)
チア部:想田さんは今、日本にお住まいなんでしょうか?
想田:そうですね、今は岡山県の牛窓というところにいます。
一応、アメリカにも拠点は残しているんですけど、主な活動の場所は日本ということになるかなと。
2020年の夏前あたり、コロナでニューヨークに帰れなくなっちゃって、そのまま『牡蠣工場』と『港町』の2本の映画を撮った牛窓に居着いてしまって(笑)。今もここで新しい映画を撮っているという状況です。
チア部:それは過去の映画をきっかけに牛窓という土地に、ということなんですか?
想田:妻が岡山県出身で、その妻の母が牛窓出身なんです。だから妻のおばあちゃんの家が牛窓にあって、生きておられた時は僕もよく遊びに行っていたので、牛窓とは20年以上前からご縁はあったんですよ。
チア部:様々な映画を岡山県で撮影されてるのもそういうご縁があってですか?
想田:そうですね、僕は元々は岡山とは何の縁もゆかりも無かったんですけど、岡山出身の柏木規与子と結婚したばっかりに岡山で何本も映画を……全作品の半分くらいは撮ることになってますね(笑)
チア部:やっぱり岡山県とご縁があってということなんですね。
想田:僕の映画は「リサーチをしないで撮る」という観察映画の手法なので、ご縁がないと始まらないんです。こちらから積極的にあれこれと調べて撮りにいくことをしないから、目の前で見聞きした状況とか人とか、そういうものにインスピレーションを受けてカメラを回していく。
そうすると映画になっていくという形なので、ご縁が導いてくれないとそもそも映画制作が始まらないわけですよ。
チア部:なるほど!では、その観察映画を撮ろうと思った理由やきっかけを教えてください。
想田:やっぱりテレビ番組のドキュメンタリーの作り方に対する疑問ですよね。事前に書いた台本通りに撮っていって、しかもナレーションや音楽で全部説明することに対しての。だから最初はほんと反発が原動力だったと思う。全部テレビの真逆をやってやろうっていう。
「観察映画の十戒」っていうルールを、僕は自分に課しているんですが、あれを全部逆にするとテレビの作り方になるんですよ。リサーチをする、台本を書く、1人で撮らない…っていう。
だから最初はアンチテレビで始まってるんです。ただ今はもう気が済んでるから、そこまでアンチではないけど(笑)。アンチのフェーズはとっくに終わっていて、今はもうどうでもいいやっていう感じで。テレビの作り方で作りたい人はそれでやってくださいって感じで、僕の中では完全に相対化されてますね。
チア部:ちなみにアンチじゃなくなっていく過程はどのようなものでしたか?
想田:最初、『選挙』っていう映画を撮った時に、僕は結構面白いものができたと自分で思ったんですけど、確証は持てなかったんです。僕以外に面白がってくれる人はいるんだろうかって。
実際、最初は映画祭に応募したけど全部落ちたんですよ。20箇所くらいから拒絶のレターが届いて、「なんだダメじゃん、俺しか面白がってないじゃん」って思って。
ところがベルリン国際映画祭の人が観て、上映したいって言ってくれて。それは大逆転というか。自分のやりたいことは誰にも理解されないって思いかけてて、僕の中ではもうほとんど諦めてたから。
それでベルリン映画祭が面白いって評価してくれてから、他の映画祭もどんどん上映したいって言ってきてくれて。世界中のテレビ局にも売れて、200ヵ国くらいでテレビ放映もされて、それでようやく自分だけじゃなくて同じように、とは必ずしも言えなくとも、ある程度は自分のやろうとしてることを面白がってくれてる人はいるんだなと確認できました。
この一連の出来事が無かったら、もう多分映画は作ってないですからね。貯金はたいて作って誰にも見向きされないと、お金も無くなるし心も折れるしで。ベルリン映画祭が拾ってくれてなかったらと思うと、恐ろしくなりますね…でも運ってそういうもんですよね…。
いずれにせよ、『選挙』が一定の評価を受けた時点で、アンチ的な気分はずいぶん弱まったと思います。
チア部:その観察映画の十戒の1つでもあるリサーチをしないというのは、偏見を持たないという理由もあるんですか?
想田:そうですね、知識はバイアス、偏見にもなり得ますからね。実はしっかりリサーチをした上でドキュメンタリーを撮るというやり方は、テレビドキュメンタリーのディレクターだった時に散々やったんです。
事前に対象についての知識を仕入れて、台本を書いて、その台本には起承転結があって、ショットリストも書いて、ナレーション案まで撮る前に書き込んで、というテレビのやり方だと、人情としてまず台本通りに撮りたくなってしまうんですよ。だから既にある構想にハマる画ばかりを求めることになってしまう。そうするとつまらないでしょ?
あと、やっぱりいくら台本を書いても、現場に行ってみると台本以上に面白かったり、全然違う現実が起きてたりするんですよ。それを撮った方が面白い。7年ほどテレビのディレクターをやった中で、こういうことに気づいていきました。
テレビ時代にも「台本な」しや「ナレーションなし」は提案したんですけど、やっぱりテレビ局としては鼻で笑うという感じで却下されて(笑)。だからもうしょうがないから映画として、自分でプロデュースして、お金を出して作らないと自分がやりたいようなドキュメンタリーは作れないと思って、映画を作り始めました。
チア部:その映画を作るお金はどうされたんですか?
想田:最初は貯金です。自分の貯めたお金で機材を買って。でも僕の映画はそんなにお金かからないからね(笑)。自分でカメラを回すし、音声もアシスタントもいないし、時々手伝ってくれるのは妻ですし。だからそんなにお金いらないんですよね。
撮影機材を買って、編集のシステムを整えて、あとは撮影先の宿泊費などの経費とか。でも例えば撮影クルーが50人もいたら経費も1日何百万円とかの世界だけど、1人か2人だから普通に旅行するのとそんな変わらないんですよ。
実はそこに僕の観察映画の肝があって。今も僕は台本を書かないから、「こういう映画を作りたいからお金を出してくれ」みたいな提案は人にできないわけですよ。
つまり自己資金でやるしかくて、どうやってそのお金だけで回していくかというと、肝はコストを抑えるということです。これによって自由と独立性を手に入れるんですよ。そうするとストレスなくというか、お金が集まらなくて撮れないみたいなフェーズはゼロなわけですよ。
今撮ってる新作も、牛窓で暮らしながら「あっ」と思ったものを撮り始めて。野良猫が主人公なんですけど(笑)。野良猫さんたちがいて、その保護活動なんかもあって、僕らも巻き込まれる中でカメラを回し始めたんです。
企画について、誰にもお伺いを立てる必要はない。それが楽というか、クリエイティビティにとっても良い。
というのも「これが映画になるんじゃないか」と僕がひらめいても、それを人に言っても皆んな普通は映画になるとは思わないんですよ。自分には「これが映画になる」という可能性は見えていても、それが他の人には分からない。「野良猫?そんなの映画になるの?」って感じで。
それってまぁ、当たり前といえば当たり前で、皆んなが思いつくような映画だったらそんなに独自性ってないわけですよね。だから独自性が強ければ強いほど、自分しかひらめかないものなんですよ。
そういう独自性の高い企画を他人に説明してお金まで出してもらうって、並大抵のことじゃない。時間もかかるし、もしかしたら不可能。しかもドキュメンタリーの場合は、その説明をしてる時にも状況がどんどん進行していくから、そんなことしてたら実際に撮る前に状況が終わっちゃうわけですよ。
だから僕らはドキュメンタリーを自分たちの資金で作って、配給会社やテレビ局、ストリーミングとかに売って、そのお金で生活しつつ、次の作品を作るというサイクルで15年くらいやってます。
チア部:そうやってご縁でというか、独自にクリエイティブに作っていくのは、カメラを向ける人や物事から信頼を得る必要があると感じたのですが、それはどのように勝ち取っていくのでしょうか?
想田:ひとつは正直であること。例えば僕は被写体の方々に「自分の映画はノープランで作るのでどんな作品になるのか分かりません」って正直に言います。「観察映画と呼んでいて、自分で観察してその結果を素直に映画にしていくので、こういう目的のために撮る、というのは無いんです」と。
「だからどんな映画になるか分からないし、もしかしたら映画にならないのかもしれないし、試行錯誤でやっていくので」とお伝えするわけです。被写体の方から聞かれればね。
でも聞かない人がほとんどですね。大体は「ドキュメンタリーを撮っているんですけど、撮らせてもらっていいですか?」って聞いたら「いいですよ」って。それで済んじゃうんですよ。
チア部:意外とスムーズに進むんですね!
想田:ほとんどはそうですよ。『精神』はちょっと例外ですけど。『精神』の時は8割、9割くらいの人がノーという返事でした。でも普通はあんまり嫌だという人はいないですね。
あとは、信頼うんぬんについて、信頼関係を作るためにカメラを回さずにかなりの時間を一緒に過ごすみたいな作家もいらっしゃると思うんですけど、僕はそういうことを一切しないんですよ。
というのは、カメラを回してないその時に面白いことが起きちゃうかもしれないじゃないですか(笑)。だから撮影の許可が出たらすぐにカメラを回します。
僕の持論では信頼関係って時間でどうにかなるものというよりも、人間ってもっと一瞬で好き嫌いを判断するような気がして。だから重要なのは、ニコニコすることだと思います(笑)。
要するに「敵意を持ってません」ということを全身で示すということ。「あなたに興味があって、敵意はありません」と本当に思ってますからね、それをしっかり示すのは大事なんだと思いますね。
チア部:正直さ、が大切なんですね
想田:やっぱりそうですね。後々で話が違うということになるとこじれちゃうので、なるべく嘘がないように、ストレートに、取り繕わずに、ですね。それでもときどき、行き違いも生じてしまいますけど。
チア部:想田さんが映画好きになり始めたのはいつ頃ですか?
想田:うーん、難しいですね。直接的には大学を出る頃なんですよ。それまで全然観てなくて、というより観てはいたんだけど、シネフィルとか映画好きとかそんなんじゃなくて。
栃木県の足利市出身なんですけど、高校生くらいの時までは昔ながらの映画館が街に3軒くらいあって、ハリウッド映画やジャッキー・チェンの映画なんかが3本立てとかで1本分の値段で上映されてたんですよ。だから友達と一緒に映画館に入り浸って、朝から晩まで観てました。
でもすごいボロい映画館で、椅子がいきなり壊れて尻餅ついたり、しょっちゅう映画が途中で止まっちゃったりして、映写室に僕が言いに行ったり(笑)。そういう状況の映画館でメインストリームのものは観ましたね。
でも、いわゆる映画好きで、体系的に芸術的な映画を観るとかは全然やってなくて。東大を出る時に、人生で何をするかが分からなくなっちゃってたんです。そういうときに、ふと「もしかしたら俺は昔から映画を作りたかったんじゃないか」って思いついた(笑)。ほんとアホだよね。
当時、映画好きの友達に「俺、映画監督目指そうと思う」って言ったら、「全然映画観てないお前なんかが、なんで映画監督なんだ」って結構本気で怒られて(笑)。「観てないから、これから観るんだ」って言って(笑)。慌てて小津安二郎を観たりして。
それであれこれ観初めて、ヴィム・ヴェンダースとかジム・ジャームッシュとか、面白いなと思って。で、そのころ読んだ雑誌でジャームッシュがインタビューに答えてて、「俺はニューヨークの大学で映画を学んで、卒業制作が評価されて映画監督になったんだ」って発言してたんですよ。その手があったか!って思って(笑)。それでもうそのままアメリカに行っちゃったんですよ。ほんとに何も考えてなかった。当時は分別がなくて無鉄砲だったから出来たけど、今だったら絶対出来ないです。
チア部:そういう風に感覚的に映画の道を選んでいくことに迷いはなかったんですか?
想田:消去法ではあったんですよ。他に選択肢が無くて。就職活動もちょっとやって、大企業の説明会にも行ったんだけど、そこで衝撃を受けたんです。全員がリクルートスーツを着てて、で僕も着てたんです。
これは結構衝撃で。というのは、企業は「こういう服装を着てきなさい」とは一言も言ってなかったんですよ。だからルールじゃないんです。だけど全員が同じ、寸分違わぬ服装をしてきたことに何これ!ってなって。それに自分も含まれてるということがかなり衝撃的だったんです。
僕は東大時代、当時はかなり左派だった東大新聞の編集長もやってて、反体制のはねっかえりで反骨精神に溢れてたはずなんです。なのに企業様が望む格好を自分からしたことが情けなくなっちゃって(笑)。忖度してたわけですから。
あとはその時に壇上に立った担当者が、「うちはこんなにも給料や休暇が充実してます」とアピールするために給料体系とか休暇日数の話をしていて。ところがよく話を総合すると、入社してから退職するまでの休日の日数から給与やボーナスの金額まで、入社した時点で全部決まってる感じなんですよ。これはキツいと思ったな。担当者はアピールとして言ってるのが、僕には地獄の使者の声に聞こえたわけです(笑)。
それで嫌になって就職活動も途中でやめちゃって。じゃあどうしようって考えた時に、なんか映画やりたいなと思って。
でも日本で映画の下積みをするのは、きついだろうなと思ったの。
よく噂で聞いたのは、助監督は監督から殴る蹴る怒鳴られるとか。後で実際そうだって知ったから、噂じゃなくて本当だったんだけど。
そういうのは嫌だなあと思っていたら、ジム・ジャームッシュ(笑)。だからもうそれしかない(アメリカ行く)という感じだったんですよ。その手があったか!みたいな。
ニューヨークにも一度行ったことがあって、いい場所だなっていう印象もあったし、日本以外の世界もちゃんと見たかったし。昔から知らない世界に行ってみたいという願望は強かったので。
チア部:学生時代に持っていた反骨心は今、映画を作る時にも繋がりはありますか?
想田:それはすごくあるかな。反骨心とは違うかもしれないけど、少なくとも東大新聞時代の活動はとても今に活きているところがあります。
というのは東大新聞ってちょっと変わってるんですけど、財団法人なんですよ。当時、予算が年間6000万くらいあったんです。それで週刊の新聞だったから、新聞を毎週出さないといけない。記者の部員には活動保障費という形でお金を払うし、業務部という部署では一般の方を3人雇って働いてもらってました。東大の先生たちが理事をやっているんですが、編集長である僕は内容に責任を持つのはもちろん、経営にも事実上責任を持ってたんですよ。
これがすごい大変で、20歳そこそこでやらなくちゃいけないのは重圧でした。実質、小さい会社を経営するのと同じような感じ。やりたいことをやるお金を稼ぐために、たくさん売れる号も作らなきゃいけない。そのためにはどういう特集組むか、とか。
例えばその頃は「就職特集号」がドル箱だったんですよ。まだバブルで就職氷河期の一歩手前の売り手市場だったから、企業はものすごい東大生を欲しがって。だから企業は東大生が読む東大新聞に広告を出したいわけですよ。就職特集号を出せばたくさん広告が取れるんです。それが上手くいくと、なんとか経営が回るわけです。
そういうことも、編集長として計算してやっていかなくちゃいけない。それって今、僕が妻と一緒に映画を作って、それを世に出して、破産しないように採算を合わせて、生活もできて、ということをしていく原体験というかトレーニングにはなっていたと思います。
チア部:たしかに大きな規模感でお金を動かして、どうやりくりするかというのは今の活動にも通じてますね。
想田:あとやっぱり、お金を握られたら自由はない、ということは実感しました。資本主義の世の中だから、お金を出した人が決定権を持つということになる。NHKの番組を作ってる時、なんで僕の意見が通らないかと言ったらお金を出してないからなんですよ。
そういうことが積み重なっていって、“経済的に独立することが芸術的にも独立することである”という今の僕の映画作りの基本的な考え方に繋がってますね。
テレビ番組は何十万人、何百万人の人が見るけど、作り手に自由がない。だから数万人の小さい規模でもいいから、自由に作りたいように作って、見せたいように見せるという方が自分には合ってると思ったんです。
決してテレビ番組を作ることを否定しているわけではなくて。それにも意義があって、制約の中で作るというのが得意で大好きな人もいると思うので。でも僕はやっぱり小さい規模でもいいから自由に作る方が性に合ってるんですよ。
チア部:観る側としても、色々な作り方があったり、色んなパターンの映画がある方が楽しみは多いですね。
想田:映画の多様性ということを考えると、色んな作り方をする人がいる方がいいと思います。
チア部:それでは想田さんの観察映画だったり、独自のスタイルの後継者みたいな存在は出てきてほしいと思われてるんですか?
想田:そうでもないかな(笑)。
作家って自分の方法論を見つけた時に作家になるんですよ。やっぱりそれは、その人に合った作り方・スタイルが見つかれば作家としてやっていけるし、見つからないうちは悩んで他人と同じような作品ばかり作るようになっちゃうんです。
これは映画に限らなくて、例えば画家なんかもそうで。ピカソが一見してピカソだと分かるような絵を描くまでは、もっと普通の平凡な絵を描いてたりしたじゃないですか。そういう試行錯誤で模倣もしながらやっていって、これだ!というのを見つけた時に作家になるわけですからね。
僕の映画の作り方を模倣して作り始めるのはいいと思うんですけど、多分その人にはしっくりこないと思うんです。そこからちょっと違うなって、もっとこうしようってやっていった時に、その人のスタイルが見つかるんだと思います。
チア部:そのそれぞれの人の試行錯誤の繰り返しで先程おっしゃってた映画の多様性も実現していくということでもありますね。
想田:そうですね。色んな人が色んなやり方で作ることが、映画文化にとって良いと思いますね。
チア部:想田さん自身が自分のスタイルを確立していく時に、これが自分のやり方だ!と確信を持った出来事やタイミングはあったんですか?
想田:何度かありますね。ひとつはNHKの番組ディレクターとして養子縁組の話を撮っていた時。新生児の養子を迎えたい人が、子を育てられない生母から赤ちゃんを渡してもらう現場を取りに行ったんですよ。ニューヨークからは離れた所で、最初は3人のクルーでホテル住まいをして撮影を始めたんです。
ところが途中で赤ちゃんを産んだお母さんの気が変わって、子どもを渡したくないってなって。それでもしかしたら「子どもを渡す」という場面が成立しないかもしれない。成立するとしても、それは1ヶ月後か2ヶ月後か、あるいは明日かもしれない。いつ撮影が終わるか分からなくなっちゃったんです。
予算が潤沢にあればその現場にずっといればいいわけですけど、テレビ番組ってそんなにお金はないから、プロデューサーに「現場にはお前だけ残れ」って言われちゃって。それまでは大きなテレビカメラでカメラマンが撮って、プロのサウンドの人が録音してたんです。
でも彼らはニューヨークに帰して、僕はちっちゃいデジカメ渡されて、1人残ることになった。「これからが本番なのになんで帰すんだ」って抵抗したんですけど、結局1人で密着したんです。
ところが1人で撮影し始めると、これが面白かった。被写体と僕(カメラ)との距離が急に縮まるんです。やっぱり3人のクルーで、照明たいて大きなカメラと大きなマイクをかざして撮影するのは、不自然なんですよ。撮れるものが全然変わってくるんです。僕だけで撮った映像の方が、下手だけど圧倒的に力があるし面白かった。
何より1人だと決定的瞬間に立ち会うことができる。それまではなんとなく雑観を撮ってインタビューを撮って、過去に起きたことでもインタビューで説明してもらえれば編集で構成できるみたいな撮り方をしてたけど、1人だとそうじゃなくて。今ここで何かが起きてて、それを僕が必死に追いかけるという感覚を体で覚えたんです。
これはもう観察映画そのものなんですよ。観察映画というのは、次の瞬間に何が起きるか分からないけど、とにかくそこに目撃者として、観察者として立ち会うってことなんです。
目の前で何かが起きてる、本当に何かが生成してるという瞬間を撮るのがドキュメンタリーの醍醐味というか、1番大事な部分なんですけど、これはそれまでのテレビ番組のやり方、この時間にはこれを撮ってというスケジューリングの組み方、台本を書いて台本通りにという方法では絶対撮れないんです。そのことに気がついのは非常に貴重な経験でしたね。なんだ、1人でカメラを回せばいいじゃないかって思いました。
あとはこれもNHKの番組を作ってた時、ナレーションも音楽も全部入れて仕上げをして最後にスタジオで全編を通して見るっていう時に、エディターの人がミキサーのボタンを押し間違えてて、ナレーションと音楽なしで現実音しか入ってないバージョンをプレイしてどっか行っちゃったんですよ。
間違ったんだな、ナレーションも音楽も抜けてるなと思って見てたら、そっちの方が面白かったんです(笑)。あんなに一生懸命ナレーション書いて録音して音楽もつけてピッカピカに磨いたつもりだったのに、無い方がいいじゃんって思った。
だからこの2つの体験はすごい大きいですね。観察映画の発想の原点になってます。
チア部:2つともハプニングなんですね(笑)
想田:そうですね、みんな行き当たりばったりの偶然なんですよ(笑)
チア部:それで今まで観察映画を撮り続けてるわけですから偶然も侮れませんね。
想田:自分にはこのやり方が合ってたんですよね。まぁ、ちょっとずつ僕も変わってきてるから、スタイルも変わってはいくんですけど、基本線はそんなに変わらないというか。つまり事前になにも決めなかったり、目の前に起きてることを大事にしたり、ナレーションで説明はしないこととか。
でも僕が撮影者としての存在を全然隠さなくなってたり、という変化はあるんですけどね。今撮ってるのなんて、僕が普通に被写体の人と会話して声が入りまくってるだけでなく、妻もメインキャラクターみたいに出てたり(笑)
チア部:その今のスタイルもまたこれからの撮影でどう変わっていくかというのも面白さでもありますね。
想田:そうですね、毎回撮影では経験したことのないようなことを経験してるからね。どうなるか自分でも分からない面白さはありますね。
チア部:昨年は、シネ・ヌーヴォ支援Tシャツ企画「may the Ciné Nouveau be with you」をきっかけに、僕たち映画チア部大阪支部を取り上げてくださりありがとうございました。
想田さんのおかけで、映画チア部を知らない方々にも届いたと思います。
ちなみになぜ僕たちの企画を取り上げてくれたのかお聞きしてもいいですか?
想田:それはもう、僕は映画館が大好きで、映画館で映画を観てほしいと思って映画を作ってるわけですよ。
でもご存知の通り、映画館はものすごいピンチというか、衰退の一途をたどっていて。自分の好きな場所がこの世から消えてしまうんじゃないかという危機感をもってるんです。
僕の映画は日本各地のミニシアターで上映していただくので、上映の時はよく映画館を廻るんですよ。どこへ行っても支配人の方たちはそれぞれユニークで魅力的で楽しい人たちで、なんらかの頑固さとこだわりとクリエイティビティをもって仕事をしていて、僕は彼らと一緒に仕事をするのが大好きなんです。でもいつも彼らから聞くのは、経営が厳しい、厳しいと(笑)
チア部:コロナ禍の以前から、ずっと厳しいという話は聞いてたんですか?
想田:もう以前からずっとそうですよ。毎回、次の作品の時はこの映画館はないんじゃないかなと思いながら行くんです(笑)。
映画館の停滞の1番の理由は、若い人たちが映画館に行かないことなんです。だって今どの世代が映画館を支えてるかって言ったら、圧倒的にシニアですよ。15年くらい前からよく言われ始めたのは、夜の回に人が入らないということ。レイトショーはもちろん、18時台とか19時台とか、ちょっと前までは1番客が入る時間帯だったのに、客が入らなくなった。
その代わりに午前中に1番入るって言われるようになった。だからその時にやばいなと思ったんです。昼間に仕事をしている人が映画を観に行かなくなってる、と気づかされて。
不思議なことに、この現象は日本以外では聞かないんですよ。未だにヨーロッパやアメリカではやっぱり夜の回が1番人が入るんです。
だからどうやったら日本の若い世代が映画館に来てくれるか、いつも考えてるわけです。そこで映画チア部がミニシアターを応援するっていう活動をしてくれてるので、僕にとっては嬉しいことなんです。願ってもないことですよ。
チア部:15年くらい前から日本で映画館に行く若者が少なくなったのはどうしてなんでしょうか。
想田:それはいろんな要因があると思うんですけど、ひとつは働いてる人たちが疲れてる。会社終わった後に映画を観に行くって、元気がないとできないじゃないですか。
あとはやっぱりインターネットかな。今の僕たちはネットと時間を奪い合ってる。1日が24時間しかない中で、空いた時間に何をするかという時に、映画に限らず色んなメニューがあるわけですよね。
テレビ、インターネット、演劇、読書、スポーツジム、ディズニーランド、色々。その中でやっぱりインターネットが余暇の過ごし方の王様みたいになってきて、既にテレビに負けていた映画が更に負けているという悲しい状況なのかなと。あくまで僕個人の感覚ですけど、そんな気がしますね。
チア部:スマートフォンやサブスクリプションなどは映画館にとっては対立しうる存在ですよね。
チア部:最後に、想田さんが思う、学生や若者に観てほしい映画を教えてください。
想田:そうだな…俺の映画観てほしいかな(笑)
まぁそれが1番正直なところですけど、とにかく好きな映画を観てほしいですね。自分が面白いと思うものを。やっぱり映画って観るのが楽しいっていうのが基本にあって、義務感とか勉強とかじゃなくて、好きだなぁ面白いなぁって観るのが正しい見方だと思うんですよね。
だからすごい評価されてて権威のある賞獲って、皆んなが好きじゃなきゃいけないみたいな映画を嫌いだ、全然ダメだって言ってもいいんですよ。逆に誰も評価してないような映画を好きだって言っていいし。
自分の好きな映画監督や俳優、カメラマン、時代、国、そういうのを自分で発掘してほしいですよね。
と言っても多くの人は、そういう掘り下げる楽しみの入り口にまだ立ってないというか、する機会もないんじゃないかと思ってて。だって年に一本とかじゃ無理だよね(笑)。
なのでやっぱりまずは、どんどん観て好きなものを探していく、という風になればいいんですけどね。
チア部:そのきっかけを作れるように映画チア部としても頑張ります!
想田:小学生や中学生の頃から、映画館の楽しさを知ってほしいよね。だから小中学生向けに、映画館で映画を観てもらうという企画をいっぱいやるといいんじゃない?映画館に行くと楽しいことがあるということを、幼い頃に洗脳するわけ!(笑)
僕も子供の頃、映画館って親とかに連れて行ってもらうところだったんですけど、すごい楽しかったしワクワクしたんですよ。そういう原体験があるから、映画作りに対して憧れもあって、自分でも作りたいって思ったんだと思います。
あの重々しい扉を開けて暗闇に入っていって、みんなで同じ方向をじっと見る、しかも親や兄弟、友達と一緒に行ったり、皆んなが繋がる場所であって、子供の頃の僕にとっては本当に楽しくて神聖な空間でした。
チア部:そういう体験ができる機会を僕たちでも作っていけたらと思います!
想田:是非!シネヌーヴォでやってください!
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