「スパイダーマン/スパイダーバース」 マーベル映画のベストはこれだ!
パート1 マーベルの宇宙は広大
町山智浩さんが週一で映画解説をする事で、映画好きに知られるTBSラジオの「マーベル映画ランキング」と言う放送が2024年8月末にあった。映画ライターのてらさわホークさんや宇多丸さん、ラジオパーソナリティーの宇垣美里さんなどが、リスナーのベスト発表にコメントをすると言うような企画だ。そこで、同じマーベル映画好きとして個人的にもベストを選んでみたいと考え、好きな作品を絞ってみた。今回は1番面白いと思うマーベル映画とシリーズの今について話したい。
ちなみに今回「アベンジャーズ/エンドゲーム」や「アイアンマン」といった鉄板作品はあえて入れていない。これは別に好きではないと言う意味ではなくて、感覚的にはパリに住んでいる人が、毎日エッフェル塔やルーヴィル美術館に行かないのと一緒だ。マーベルというシリーズと生活していても、最初熱狂していた観光名所に行く段々と頻度が減り、その代わり自分だけのお気に入りスポットを見つけるようになる。
それに、MCUだけで30作品も作られたこの巨大都市の一箇所にだけ人が集中するべきじゃないとも思う。ある作品の話ばかりがされ、ある作品については話す人が減ってくる。話されなくなった地域は過疎化状態だ。
例えば、ファミリー映画として楽しい「アントマン&ワスプ」。今作は、タイトルに女性ヒーローの名前が入った初のMCU映画だと言うだけでなく、ヴィランが自分の壊れた体を直したいだけの「いい人」で、主人公達がそれを助けようとすると言うかなりの異色作だった。
ヒーロー映画は、主人公達とそれを応援する観客の視点から見れば「正義」と言い切れることも、彼らの敵(反対の意見を持つ人々)からしたら「悪」になる場合もあると言う話は、現代でもよくある問題だ。今作のトーンは全体的にライトなので、そのテーマについてそこまで深く踏み込んではいないものの、「シビルウォー」のジモや、後に語る「ホームカミング」のエイドリアン・トゥームスといったキャラクターと同様、見方によっては「被害者」である人物が主人公達の敵として描かれるところが興味深い。
また、内容はコメディなのだが、「アリを呼んだら鳥に喰われた」とか「敵に捕まり、緊迫した場面でアヒルの鳴き声の着信音が流れる」とかいう一発ギャグの数々をこれだけの予算でやれるのは羨ましくもあった。
そして、これも面白いポイントとして、本作は買収後、最もディズニーの色が強いマーベル映画としても見れる。流血シーン、残酷シーンは全くないし、人が死ぬ事もほとんどない代わりに、キティちゃんのおもちゃが登場し、ディズニーの「ミクロキッズ」みたいな巨大なアリがドラムを叩いたりする。
そして、「スパイダーマン/ホームカミング」も、とても重要な作品だ。
甘酸っぱい青春映画なのはもちろんだが、裏テーマとして、トニー・スタークと言う知的労働職に就く大企業の金持ちがエイドリアン・トゥームス(別名ヴァルチャー)のような肉体労働者の仕事を奪っていくと言う現実社会の問題が、そもそものストーリーの発端になっている興味深さがある。
そして、今作は他のマーベル映画以上に脚本家の数が多く、その理由は作り手の側がアメリカのティーン向けシットコム(1話20分くらいで、作中で笑い声が聞こえるコメディドラマ)の持つノリを再現しているからと言うのもある。
そうしたTV作品は、特定の作家を持つと言うより、多くの脚本家によって話し合って作られた。そして、そんなドラマの数々から生まれたスターがマイリー・サイラスであり、オースティン・バトラーであり、今作にも登場するゼンデイヤなのだ。なので、見方によっては本作は有料放送ディズニーチャンネル(もしくはDlife)製のマーベル映画と言い換えれる。
実際にディズニーチャンネルを含めたシットコムの歴史をオープニングまで見事に再現したのが「ワンダヴィジョン」だったが、「スパイダーマン/ホームカミング」の制作過程はそれに非常に近いものがあるのだ。こうしたライトなMCU映画については言及が少ないので、ここでお気に入りのマーベル映画として紹介した。
パート1余談:さらに広大なマーベル宇宙
こうしたMCU作品、ソニー作品、20世紀フォクス作品がまだよく見られている一方、2000年より前のマーベル映画も、(全てはまだ見れていないが)話だけ聞く限りだと面白そうだし、実際MCUの並行マルチバースのどこかに登場キャラクターがいるのだろう。
例えば、「ガーディアンズ」や「エンドゲーム」にも登場したハワード・ザ・ダックのオリジナル映画だとか、東映の「スパイダーマン」とその相棒のレオパルドンとか、マルチバースにこれらのキャラクターがいて、MCUにもしかしたら合流できると思うと、想像するだけで楽しい。
個人的に好きなのは、先ほどから話している放送局のディズニーチャンネルで放送された「フィニアスとファーブ」と言うディズニーアニメーション・TVシリーズとマーベルキャラクターのコラボ回だ。
この世界のアベンジャーズは「フィニアスとファーブ」と言うシリーズの枠内で生活している訳だが、となるとメインキャラクターのフィニアスなどもMCUに入れてしまうことになる。
さらにややこしい事に、天才発明家の話であるこのSF TVシリーズには「マルチバース」についてのエピソードもあり、もしこの世界のアベンジャーズがMCUの並行ユニバースとしてカウントされるなら、並行マルチバースの1つの世界でまた別の次元に行く機械があると言う事になりとにかくややこしい。
それから、忘れてはならないのは薄々マーベルとの接点があるコミック映画の数々だ。マーベルのロゴすら入っていないがディズニーの「ベイマックス」もマーベルコミック原作の映画で、少なくとも原作の「 THE BIG HERO6」を実写映画として作って、MCU参戦させることは可能だし、それから、「キングスマン」と「キック・アス」といったマシュー・ヴォーン組と「メンインブラック」もマーベル傘下にあるので、将来的なMCUとの関わりは(誰も指摘していないが)全くゼロではない気もしてる。マーベルの宇宙は広大なのだ。
パート2 「くもりときどきミートボール」について
このように良い作品はたくさんあるが、あえてベストを決めるなら外せない作品がある。それが、「スパイダーマン/スパイダーバース」だ。そして、その理由を話すには、まずはある映画の話をする必要がある。その名も「くもりときどきミートボール」。
2000年以降に生まれ、幼少期に今作をDVDで見まくった人は少なくない。もちろん、母数で言うなら、ピクサー映画やドリームワークス映画を見まくった人数よりも確実に少ないはずだが、それを見た子供達は忘れ難いほど、アメリカのカートゥーンがどんなノリなのか学習する事になる。
まるで「シンプソンズ」のようなブラックユーモア(子供への接し方が分からない主人公が雪合戦で子供を殺しかける場面など)やアメリカンドリームと言う名声を得る事への孤独、カラフルで甘すぎて毒々しい食べ物の世界などアメリカと言う国の背景がなくしては生まれなかったかのような作品だ。
公開は2009年。それはメディア業界にとって、どんな時代だったのか?
・会社を畳む案すら出たディズニーが3DCGに力を入れ始めていた時代。
・スーパーヒーロー映画はクリストファー・ノーランとジョン・ファブローにより、次の巨大なブームの下地が作られ、3D上映が流行り、スピルバーグとスコセッシがその新技術に興味を示し、最終的に2つの子供向け映画に結実した時代(「タンタンの冒険」「ヒューゴの不思議な発明」共に公開は2011年)。
・その一方、VHSを集めていた人はブルーレイと格闘する事になった時代。
・ミニオンが登場した時代(「ミニオン」の「ミ」の字もアカデミックな映画評論で見ることはないが、この黄色い生き物のお陰で1作品につき日本で52億円ほどの興行収入がある。これは「ドライブマイカー」を30回作っても、お釣りが来る額だ)。
・ピクサーと言う会社が、工業的にも、芸樹的にも、技術的にも、経営的にも、「トイストーリー」好きのタランティーノが語るように「黄金期」を迎えていた時代(そんな彼が生涯ベストアニメーションに選んだ作品の1つである「トイストーリー3」は2010年にやって来た)。
見ての通り、それは、まるで子供達にとっての夢の世界だった。
そして、同時に大人達にとっては、古い価値観が壊れ始めている時代でもあった。2007年のiPhone登場以来、スマートフォンが世界に浸透し始め、ロバート・アイガー(当時のディズニーCEO)が2009年にマーベルの買収手続きを終えた。
こうした当時のメディア業界の情勢は、この「くもりときどきミートボール」と言う隠れた名作に関係している。後に続編まで作られたこのソニー・ピクチャーズの大ヒット作は、まさしくピクサー的な3DCGを駆使した「変わり者が世界を変える」話だ。これは当時の技術革命が変わり者のガレージで生まれたことを表現しているようにも見える。さらに作中には、3D映えする立体感のある描写が取り入れられ、会社経営的にソニー・アニメーションは「ミニオンズ」のイルミネーションと競合して、ピクサーと肩を並べようとしていた。
そして、作品の中で描かれる主人公の天才科学者フリントは「コミュ障でいじめられっ子の科学オタク」だ。これはピーター・パーカーと全く同じではないだろうか。同じテーマは後にロード&ミラーの名で呼ばれるこの大ヒットコンビの全ての作品に共通して見られることになる。そして、彼らが脚本と制作を手がけた「スパイダーバース」にも。
いくつか例を見ていこう。先ほど挙げたフリントに加え、彼が出会う女性も「変わり者のオタク」として登場し、「レゴムービー」のレゴの主人公は「普通すぎる」と周りから呼ばれアイデンティティの危機に直面する(そもそもレゴのスタンダードフェイスは「普通」を目指して作られている事をメタ的に使う構図!)。「スパイダーバース」のグヴェンも「周りから違っている」と言う事に葛藤する。
こうしたキャラクター描写に加え、彼らの作品には毎回予想を裏切る問いを観客に突きつける。ただのアニメだと思って子供を連れて行った大人が不意打ちを喰らうのだ。例えば、「空から降ってくる食べ物」が可愛くて楽しい映画として宣伝された「くもりときどきミートボール」は、ぐちゃぐちゃの地獄絵図へと変わる。食べ物の大量生産が環境を破壊するメタファーが60年代に流行ったLSDアートにぶつかり、真っ黒になっていくような感じだ。「レゴムービー」は「レゴとは何か?」と言う哲学的な問題に切り込んでいく。では、「スパイダーバース」とは改めてどんな作品だったのだろう?
パート3 なぜ「スパイダーバース」は最高のマーベル映画なのか
マーベルはある時期からシリーズの各作品に強い個性、言うならば作家性のある監督を起用する事で、スーパーヒーローものと言う、繰り返しになってしまいがちなジャンルに多様性を投入しようとした。
ニュージーランド生まれで、自国のマオリ族の文化をコミカルに描いてきたタイカ・ワイティティや、アメリカの大自然の神秘をドラマチックに描くクロエ・ジャオ、黒人問題を扱う社会派のライアン・クーグラーなどがその代表だ。
こうした計画について、失敗例はもっと面白く、まさに「もしこうなっていれば」と言うパラレルワールド、マルチバースを考えさせる。エドガー・ライトの「アントマン」、アリ・アスターの「ドクター・ストレンジ/マルチバースオブマッドネス」、ジェームズ・キャメロンの「スパイダーマン」などが例だ。
そして、指摘している人は指摘しているが、このロード&ミラーの起用もある意味その文脈で考えるべき作品だと言える。ただ、残念なことに今作の監督は彼らではないのだ。しかし、勘のいい映画ファンは、ロード&ミラーが関わった作品が絶対に面白くなる事と、その持ち味が再びそうした作品で見受けられることに気づいている(冒頭に挙げた宇多丸さんなどはロード&ミラーファンを公言する一人だ)。
そう、今作はMCUとの繋がりがありながら、キャラクターの動きはいつしか僕たちが「くもりときどきミートボール」で見たあの手触りを、どこか思い出させるのだ。本当に懐かしくて、アメリカチックで、ポップなあの空気感。現実的で、現実にはあり得ない不思議なタッチ。
周りに溶け込めない主人公や「もっと変な事が起きるぞ」と言う豚のスパイダーマン、カラフルで見方によっては恐ろしい破壊的な描写の数々。白黒の世界に生きると自分で言う(出た!独特のメタ表現!)コミックから来たスパイダーマン、とんでもない事が起きてても余裕そうなキャラクター、落下、気絶、憧れの女の子のムッとした表情、父親との葛藤。
もちろんスーパーヒーローものとして、「宿敵がサノスのように奥深い人物か」といった問いや、それぞれ思うことはあるかもしれないが、今作はそもそもマーベル映画というより、アニメーション映画であり、ロード&ミラーの作品だったのだ。
そして、仮に今作のマーベル映画的要素に注目したとしても、この「スパイダーバース」と続編の「アクロスザスパイダーバース」はマーベル映画として原点から遡った時に、多くの人がかつて望んでいたものが詰まっていた。それは実のところ本家MCUの「ノーウェイホーム」以上だ。それは何か?サプライズ登場ではない。カメオ出演でもない。芸術性だ。
60年代にアメコミを子供っぽいと馬鹿にされたコミックファンは、その芸術性を主張した。そして、その後のマーベルは知っての通り絵画、音楽、経営、映画、TV、コマーシャルどれを取っても、全く無視できない分野になった。しかし、コミックスの持つ「芸術性」は、それら全てに見受けらるわけでは当然なかった。
僕が「シビルウォー」や「エンドゲーム」を1番好きな作品に持ってきずらいのも、その点がある。コミックの持つ芸術性を見てしまったら、マーベルに対しての考え方は変化する。
「シビルウウォー」のコミックにおいて、ピーター・パーカーは正義の名のものとに正体を明かし、家族諸共襲われ、死にかける。MCU映画の「ノーウェイホーム」や「シビルウォー」どころの描写ではなく、互いに殺し合うことのグロテスクさがコミックでは哲学的に、芸術的に描かれていたのだ。
ヒーロー活動の失敗で子供を亡くした母親が怒りのあまりトニー・スタークに唾をかけ、内部分裂した組織で本気の殺し合いがあり、下水道で血みどろのスパイダーマンが汗をかきながら逃げ回り、殺し合った仲間の葬式を開くことになる。
「スパイダーバース」のコミックはここまでダークではないが、マーベルの持つ力はこの芸術的とも言えるグラフィックにあったはずだ。そして、それは到底実写の合成として作ったCGで生み出し得ないものだった。
「スパイダーバース」はスパイダーマンと言う商標、知的財産を使って、行ったファンサービスではなく、アート活動に従事するすべての人が目をひらくような血眼の努力が結集した作品だったのだ。続編も含めるなら、家族との関係の変化や、同じ集団内でのアイデンティティの喪失といったテーマが描かれている。そして、これこそがマーベルに必要なものだった。
この数年のマーベルの供給過多とファンサービスの過多で、多くの人がマーベルの本質を見失いつつある。しかし、それはシンプルだ。「誰にでもヒーローになるチャンスがあること」。そして、「ヒーローと言えども、現実的な問題に直面している」と言うことだ。「スパイダーバース」2作はロード&ミラー流にコミカルにラッピングされているかに見えて、深い本質をつくと言うスタイルのおかげで、この2つのテーマを「会話」を通して見事に掘り下げている。結果として、今作はピクサー作品の「インクレティブルファミリー」やディズニーの「シュガーラッシュ:オンライン」を超え、オスカーを手にした。彼らにしてみれば、不意打ちにも程があっただろう。
最後に:マーベルの今と未来
先ほども指摘したマーベル作品の質の低下、供給過多をめぐる言説はYouTubeを中心に溢れまくっている。かつてのマーベルがそうであったように、失敗から立ち直る時に最も良い作品が生まれたりするので、個人的には未来のマーベルに期待しかないが、他の多くのそうした動画と同様、今の状況を変える案をいくつか残してこの記事を終えたいと思う。
それは「適切な評論・批評を届ける事」だ。
2023年にピクサーは「マイエレメント」と言う作品を発表したが、大コケした。さらに、コロナ下でやむなく配信限定公開となった2020年の「ソウルフルワールド」も不振に終わった。しかし、前者には「アジア人とアメリカ人の考え方の違い」が、後者には「哲学史」が表現されている非常に深い作品だったのだ。問題は、作品の裏側にあり、作り手が伝えたいことが観客に届いてないことではないだろうか。「ブラックパンサー」がライアン・クーグラーの「フルートベール駅で」の文脈抜きに語れなかったり、「スパイダーバース」の魅力がロード&ミラーの持ち味を理解していないと完全に理解できないように。
映画は観客が座って、一方的に「面白い物を出してくれ」と注文をつけるような物では当然ないし、もし仮にそうだとしたら、そうした観客が楽しめる作品は非常に限られてしまうだろう。面白い作品はこの何十年と作られてきて溢れている。問題は、どう楽しんでいいのか、何がどうすごくて、どう面白いのか理解できないことだ。
「ノマドランド」のクロエ・ジャオは本作のインタビューで「観客に異なる物の見方を提供できたと思う」と発言していた。芸術の素晴らしいところは、観客の側が作品ごとに物事の基準や見方を変えることで、心が豊かになるところだ。
そして、評論家にはそれが何であるか伝える仕事が必要があり、観客はそれを探しに行く必要があるのではないか。
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