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【空想映画:love story‐恋のはじまり‐】

「小説家になりたいなんて、バカバカしい。小説家なんてね、一部の人間にしか出来ないことなの。そんな夢みてる暇があるなら、勉強でもしなさい」

大きな音を出してドアが閉まった。

(やっぱ、言うんじゃなかった)

妊娠直後、ミュージシャンだった父に捨てられた母が、夢追い人をひどく毛嫌いしているのは知っていた。
でもアリソンは、母が自分の夢を肯定してくれるのではないかと、心の端で期待していた。
しかし、実の娘のアリソンでさえ、例外ではなかったらしい。

アリソンは、母に期待されていない自分にも、母に食ってかかる勇気がない自分にも嫌気がさして、書きかけの原稿をごみ箱に放り投げ、ベッドにもぐりこんだのだった。

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「今日のおとめ座の運勢は……最下位!あらぬ疑いをかけられるかもしれないので、要注意!」

毎朝チェックしている占いはよく当たる。

今朝も、アリソンは万引きと喫煙を疑われ、教師に呼び出されていた。
彼女は、まっとうなことしかしない。しかし、つるんでいる仲間のせいで、いつもあらぬ疑いをかけられていた。
どう軌道修正すればいいのか、もうアリソンには分からない。

人生を適当にやり過ごしていたら、いつの間にか不良グループの一員となっていた。けれど、彼女たちの言動や行動を、魅力的だと思ったことは一度もない。
当たり障りなく話を聞き流し、適当に相づちを打つ生活には嫌気がさしていた。けれど、1人で過ごす気概はなかった。

ふてくされたまま、アリソンは職員室から出て教室に向かう。窓の外から女子の黄色い声援が聞こえた。

「学校の王子様」ことリアムが、バスケでシュートを決めたのだ。
ファンクラブも存在する美男子で、生徒会長。眉目秀麗で性格もいい、非の打ちどころのない男だった。

「うさんくせーやつ」

アリソンはさらに気分が悪くなった気がして、学校をさぼることに決めた。

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むしゃくしゃした日は、小説を読むに限る。
アリソンは、町はずれにある図書館に足を運んだ。

建物自体は老朽化しているが、暖かい日差しがよく差し込み、館内はとても明るい。
以外にも蔵書が多く、ネットでも「穴場の図書館」としてよく紹介されていた。

アリソンは、飾らない、けれど暖かな雰囲気のこの図書館をとても気に入っていた。

「また学校サボったの?」

図書館に入ると、ソフィアがいた。彼女は、この図書館の司書だ。

「うん」

アリソンは悪びれもせず答えた。

「ほどほどにしなさいよ」

ソフィアは苦笑しつつも、今週入荷したおすすめの本を教えてくれた。

彼女は、アリソンが唯一心を開ける人物だ。
金髪にミニスカート、派手なシルバーリングを身に着けるアリソンは、図書館では異質な存在だった。

この強烈な印象を和らげるために、何度も派手な格好を辞めようと思ったけれど、「強くありたい」という欲求を表現するために、この鎧は捨てられなかった。

結局、鎧も大好きな本も捨てることができず、アリソンは派手な格好のまま図書館に行く。
みんながそんなアリソンを白い目で見る中、ソフィアはいつもフラットだった。

「本は人を選ばない」

それがソフィアのポリシーだ。

彼女のおかげで、アリソンは図書館に足を運ぶことが増えた。
治安が悪くなるだのなんだのと文句をつけられないよう、来館者の少ない水曜朝に学校をさぼって図書館に通っている。

今日も早速、図書館の端っこの一番目立たない席で、アリソンはソフィアおおすすめのミステリー小説を読み進めていた。

アリソンは最近、図書館の共有ノートに感想をしたためている。
時々、同じ解釈をした読者からコメントをもらったり、気づきもしないような伏線の解説をもらったりできるからだ。
共有ノートの中では、誰もアリソンを「不良女」として扱わない。アリソンはこのノートが大好きだった。

ソフィアおすすめのミステリー小説は、久々に心躍る作品だった。
頭の中に思い浮かんだ文章が消えないうちにと、大慌てで文字を書いたせいで、いつもよりもかなり乱雑な感想がノートに書かれている。

我ながら良い文章だな、と思いながら、アリソンはソフィアにさよならの挨拶をした。

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1週間後、アリソンはまた学校をさぼって図書館にいた。
共有ノートに返信があるかもしれないと思ったのだった。

アリソンはソフィアへの挨拶もそこそこに、共有ノートへ向かった。
ページをめくると、自分宛てにコメントがあった。

初めて見る筆跡だった。
どこの誰かは知らないが、その返信内容は素晴らしかった。
小説をとても深く読み込んでいたし、アリソンとは異なった解釈が面白い。
アリソンは、自分の顔がにやけないように気をつけながら、急いで返信を書いた。
リスペクトを込めて、アリソンは件の相手を「教授」と呼ぶことにした。

それからというもの、アリソンは教授と頻繁にやり取りをするようになった。
始めは図書館の共有ノートでやり取りをしていたが、このままでは2人だけのノートになってしまうというくらい書きたいことが山ほどある。
教授のおすすめの本も知りたいし、アリソンも教授におすすめしたい本がたくさんあった。

ソフィアは教授が誰なのか知っているらしい。そこでアリソンは、ソフィアの協力を仰ぐことにした。
ソフィアに教授宛の手紙を託すのだ。

ソフィアは、必死に頼みこむアリソンの願いを快く了承してくれた。
水曜の朝、アリソンがソフィアに手紙を託し、翌週の水曜朝に教授からの手紙を受け取るのだ。

面倒なはずなのに、ソフィアは文句ひとつ言わず、郵便配達員の仕事をしてくれた。
おかげで、アリソンと教授の文通は半年以上続いている。

お互いの性別も知らないし、プライベートのことは語らない。
それでも2人は親友になっていた。

アリソンは、ソフィアに「相手が誰なのか知りたくないのか」と聞かれたことがある。
アリソンは、少し迷ってNOと答えた。

教授がどんな人物であろうと構わない。
アリソンは教授を親友だと思っていたし、教授が大好きだった。
きっと教授も同じ想いだろうとアリソンは自信を持っていた。

「まさか教授と同じ答えが返ってくるとは思わなかったわ。ホントに仲良しね」

ソフィアは驚きながら言った。
アリソンは、くすぐったい気持ちになった。

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木曜日の放課後、ソフィアはとてもいい気分で廊下を歩いていた。
手には、「学校をさぼりすぎてごめんなさい」と書かれた反省文を持っていたが、気分は最高だ。
教授からの手紙に書かれた小説談義が、素晴らしかったのだ。アリソンのお気に入りの小説だったこともあり、今回は格別な想いがあった。

アリソンとは異なる解釈だったが、目から鱗が落ちるような深い解釈に、アリソンは衝撃を受けた。

(あんなに深くあの小説を読みこめるんだ……教授ってマジですごい……)

アリソンは、完全に心ここにあらずの状態で廊下を歩いていた。
そのせいで、目の前に学校の王子、リアムが迫っていることに気付かなかった。

「痛っった!!」

アリソンは真正面からリアムにぶつかり、尻もちをついた。思いっきりぶつかったせいで、反省文を落としてしまった。

「ごめん!ボーっとしてた!大丈夫」

リアムに声をかけられたが、アリソンは無視して反省文を探す。下に落ちたはずなのに、反省文がない。
気づくと、リアムがアリソンの反省文を手に取り、まじまじと読んでいた。

「おい!勝手に読んでんじゃねぇよ!」

リアムは、目を大きく見開いてアリソンを見つめた。

「君だったのか…」

「はぁ?」

アリソンは怪訝な表情でリアムを見返す。

「手紙の相手は君だったのか!!」

リアムは、弾けんばかりの笑顔でアリソンの手を取った。
人気の少ない職員室前であっても、人の目は気になる。アリソンは大慌てでその場を走り去ったが、リアムがその後を追うのだった。

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息を切らせながら、アリソンは旧校舎の中庭まで走った。
旧校舎には、校長が趣味で自ら手入れしている小さな庭園がある。ここはアリソンのお気に入りの場所だ。
庭園が見渡せる古びたベンチで、アリソンはいつも本を読んでいる。
人気のないところと言ったら、ここしか思いつかなかったのだ。

「ご、ごめん、急に大きな声出して。すごくびっくりしたから……」

リアムは言った。

アリソンは返事に窮した。
教授に会うなんて想像もしていなかった上に、相手は同じ学校に通っている男子で、しかも「学校の王子」だった。
心臓が激しく同期を繰り返していて、うまく息ができない。
言葉が上手くまとまらず、アリソンは下を向いたまま棒立ちになっていた。

「ごめん、追いかけたりして……。嫌だったよな」

リアムは、アリソンが激怒していると理解したらしい。大きな体が半分くらいに縮こまっている。

「別に、嫌ってわけじゃ……。そりゃ……驚いたけど……」

「俺も……驚いた。君みたいなタイプの子が小説を読むなんて」

「はぁ!?失礼なこと言うんじゃねぇよ!」

「ご、ごめん!でも、まさか君があんなに素敵な文章を書くなんて、思ってもみなかったんだ!こんなに近くに文通相手がいるなんて、想像もしてなかったから……」

それはアリソンも完全に同意していた。リアムが教授であるという事実を、まだ上手く受け入れられていない。

「それにしても、君の小説への向き合い方は最高だ!いつも君からの手紙を本当に楽しみにしてたんだ!この間の小説の感想だって……」

話したくてたまらないというように、リアムは饒舌にしゃべった。
今日のリアムはいつもと違う、とアリソンは思う。
「完璧な王子様の微笑み」ではなく、年相応の無邪気な青年の表情をしていた。

(こいつ、ほんとに教授なんだ)

アリソンはリアム=教授であることをすっかり実感した。彼の口から出る言葉たちは、まさに教授のそれだった。
リアムの話を聞いているうちに、アリソンも話したくてうずうずしはじめていた。
教授に伝えたかった言葉を直接伝えられることがこんなに楽しいなんて、アリソンは思ってもみなかったのだ。

(ヤバい……!楽しい!!)

いつの間にか、アリソンはリアムと小説について大盛り上がりで話していた。
時間を忘れて語り合ったせいで、辺りはすっかり暗くなってしまった。

おかげでアリソンは反省文を提出し忘れ、2枚目の反省文を提出することになったが、アリソンは人生で初めて心から笑った気がした。

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それからというもの、2人は時間を見つけては小説談義に花を咲かせた。
お互い着眼点が異なることもあり、時には議論し、時には共感しあい、話は尽きることがなかった。

アリソンのこれまでの人生は、いつも「適当」か「その場しのぎ」で構成され、いつも灰色だった。
しかしここ最近は、小説を読む時間以外でも、人生が急に色鮮やかになった気がする。

悪い仲間とつるむことも減った。
仲間からの誘いを断るようになってから、徐々に疎遠になっていったのだ。
そのせいで学校では一人ぼっちになったけれど、アリソンはちっとも寂しくなかった。

アリソンとリアムは、急速に仲を深めた。カフェや図書館でも一緒の時間を過ごすことが増えた。
学校では、既に2人が付き合っているという噂が流れていたが、アリソンは気にしないフリをしていた。
少しでも長く、リアムとの時間を過ごしたい。
アリソンの思いは、ただそれだけだった。

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今日もアリソンはリアムと先週読んだ小説について語らう予定だ。今回は旧校舎の中庭のベンチで待ち合わせをしていた。

(今日はこの間おすすめされた本について語ろ)

あの作品を、リアムはどんな風に解釈しているだろうか、とアリソンは楽しみで仕方なかった。
わくわくしながら待ち合わせ場所に行くと、そこには見慣れない人影があった。

「彼と別れてください」

学校で有名な美人で、生徒会の副会長を務めるリリーだった。

「は?」

「リアムと付き合ってるんですよね?彼と別れてください」

「いや、付き合ってなんかないけど」

「でもいつも2人でいますよね!?何を話してるんですか!?」

小説について熱く語っているだけなのだから、リリーに真実を伝えても何の問題もない。
でもアリソンは、2人だけの大切な時間を土足で踏みにじられる気がして、伝えられなかった。

「別に。なんでもよくね?」

「何でもよくないです!」

「はぁ?あんたに何の関係があんだよ。部外者はひっこんでろ」

アリソンは、わざと強い言葉を遣い、リリーをひるませようとした。しかしリリーは一歩も引かなかった。

「あなたのせいで、リアムが非行に走ったんじゃないかって悪いうわさがたってるんです!このままじゃ、彼の進路にだって悪影響があるかもしれない。付き合ってないなら、もう彼と会わないでください!」

「え……?」

「あなたはリアムにふさわしくない!彼の人生の足を引っ張ってます!」

「なんであんたにそんなこと言われなきゃいけないわけ!?」

「リアムのことが好きなんです!」

「はぁ?」

「リアムが私に気持ちを向けていないのは分かってます。でも……私は彼を守りたいんです……」

「なんだよそれ!」

「今のままあなたがリアムと過ごしていったら、先生方やご両親はどう思うと思いますか!?実際に、非行に走ったなんて悪いうわさが流れてて、リアムは先週、先生に呼び出されたんですよ!」

身体中の血液が沸騰したかと思うほど怒りに震えていたのに、一瞬で体中の熱が奪われた気がした。
アリソンは、リアムが教師に呼び出されたことを知らない。こんなに毎日のように話しているのに、気づきもしなかった。

「リアムは、あなたといることが悪影響だって気付いていないんです。だから、周りから何て言われているのか気にもしていない」

リリーの言葉がアリソンの胸に突き刺さる。

「あなたも……リアムのことが好きなんでしょ…?リアムのことが好きなら……どうか身をひいてください。それがリアムのためなんです。彼を、もう解放してあげてください」

リリーは深々と頭を下げた。アリソンは彼女の小さくなった背中を見つめるしかなかった。

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その夜、アリソンは初めて、自分の気持ちと向き合った。
気付かないふりをしていただけで、アリソンはかなり前から、リアムを「親友」としてではなく「男性」として意識していたのだと分かった。

「そりゃそうだよな……」

リアムは魅力的だ。聡明でやさしく、気遣いもできる。
正しいと思ったことはしっかりと主張する胆力もある。
人としてのバランスがとてもいい。

彼が「リアム」ではなく「教授」だったときから、親友だと思うほどだったのだから、好きになるのは時間の問題だったのかもしれないとアリソンは思った。

恋を自覚したのだから、普通なら浮足立つだろう。
しかし、アリソンの気持ちは暗かった。
振り返れば振り返るほど、自分はリアムに釣り合わないと思ったからだ。

これまで本気になったことなどなかった。趣味に逃げて、大切なことから目を背けてきた。
小説家になりたいと言いながら、反対する母親を説得することはなかったし、不良グループにいるのは嫌だと思いながら、ずるずるとその場に残っていた。

リアムに出会って、少しずつ状況が変わってきたものの、アリソンには大したことではないように思えた。

【アリソンは、リアムの足を引っ張る】

それは、純然たる事実だった。

おそらく、リアムも少なからずアリソンに好意を抱いているとアリソンは思う。しかしその感情は、リアムを蝕む気がしてならない。

「そっかぁ……。あたしじゃダメかぁ……」

アリソンは、何かの小説で「初恋は実らない」と読んだことがあった。

「ほんとだったなぁ……」

頬をつたう水滴を拭いながら、アリソンはどうやったらリアムに会わずに学校に行けるのか、作戦を立てようと思った。

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水曜日、アリソンは学校をさぼって図書館に来ていた。
朝はどうしても起きる気になれなかったから、今日は夕方になってしまった。

「アリソン!!」

急に名前を呼ばれ、思わず振り返る。声の主はリアムだった。
アリソンは、急に手の感覚がなくなったような気がした。身体中がしびれて、上手く声が出せそうにない。

「ごめん。ずっと学校休んでるって聞いて……。図書館なら会える気がしてさ」

それでもアリソンは、自分を奮い立たせた。

「……何?」

リアムには、冷たい態度で接すると決めていた。上手くできているか、アリソンは不安だった。

「この間は、待ち合わせに遅れてごめん。先生に捕まってたんだ。慌てて中庭行ったんだけど、もう君はいなくて……ずっと謝りたかったんだ。ごめんな」

「……別に気にしてない」

あの日、待ち合わせしていたはずのリアムがどうしたのか、アリソンは考えもしなかった。リアムを待たせてしまったことを申し訳なく思った。

「今日も、いくら待っても中庭にこなかったから……何かあったのかなって」

「なんもない」

手のしびれがどんどんひどくなっているせいで、アリソンは拳を握りしめなければならなかった。

「あのさ……俺、君に嫌われるようなことしたか?それなら謝る。だからなんで怒ってるのか教えてほしい」

「怒ってない」

本音だった。アリソンは、これまでもリアムに対して怒りを感じたことなど一度もない。

「でも、俺のこと避けてるよな?」

「避けてない」

「避けてるじゃないか!今日も中庭に来なかったし、この1週間、一度も顔を合わせてない!」

「それは……」

痛いところを突かれて、アリソンは動揺した。思わず顔を上げてしまう。

「……寂しかった。君に会えなくて」

「え?」

「アリソン、君が好きだ」

アリソンは心臓を突き刺されたかのような衝撃を受けた。思わず倒れそうになってしまい脚を踏ん張るものの、力が出せない。

「手紙のやり取りをしていた時から惹かれてた。でも君と実際に話してみて、さらに好きになった」

アリソンは、段々呼吸が荒くなっていくのが分かる。こぶしを握りすぎて、手のひらが痛い。

「アリソン、どうか避けないでほしい。君とまた、あんな風に過ごしたいんだ。」

リアムの真っすぐな言葉は、アリソンの心に強く響いた。

(リアム……あたしもリアムが好きだよ……)

だからこそ、アリソンは言わなくてはならなかった。
今を逃したらいけないと思った。
アリソンは足にぐっとちららを込めて、姿勢を正した。

「あたしは、あんたのことを好きだと思えない」

「え……?」

「私は、あんたを好きじゃない」

(好きだよ、本当は……。でも……)

私は、リアムの足を引っ張るから。

「だから、もう会わない」

アリソンは、真っすぐリアムの目を見て言った。
手の震えを誤魔化すために、アリソンは強く腕を組んだ。

リアムは目を大きく見開き、すぐに目を伏せる。
リアムの長いまつ毛が震えている。アリソンは、今すぐにリアムを抱きしめたい気持ちを必死で抑えた。

少しの沈黙の後、リアムが口を開く。

「そうか……。分かった。今日は、こんなところまで、追いかけてごめん」

リアムの声がわずかに震えた気がして、アリソンは顔を上げた。
リアムは既に背を向けて歩き始めていた。アリソンはすがりたい気持ちをこらえ、また下を向いた。
もう一度顔を上げたときには、リアムはもういなかった。

(リアム、大好きだよ……)

アリソンはその場でしゃがみ込み、肩を震わせた。

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「アリソン」

アリソンの背後から、ソフィアの声がした。

「ごめんね。全部、見ちゃった。のぞき見みたいで申し訳なかったんだけど、あなたたち職員専用出口前にいるんだもの……」

アリソンは、目にいっぱいの涙をためながら顔を上げた。

「私お腹すいちゃったんだ!近くにおすすめのカフェがあるからさ、ご飯食べるの、付き合ってくれない?」

ソフィアは優しく主人公の手を取るのだった。

ソフィアおすすめのカフェテリアは、家族経営のこじんまりとしたところだった。
それでも、カフェの中は予想以上に混雑していて、忙しそうだ。
ところどころ老朽化している箇所があるのに、全く気にならない暖かな雰囲気は、図書館を思い起こさせた。

「ここのパスタグラタン、絶品なんだよ~」

ソフィアはパスタグラタンセットを、アリソンはアイスコーヒーを頼んだ。
過度なダイエットは禁物よ?と言いながら、ソフィアはあっけらかんと聞いた。

「それで、なにがあったの?」

ソフィアの優し気な微笑みに促され、アリソンはぽつり、ぽつりと話し始めた。

教授が同じ学校の同級生リアムだったこと。
リアムは「学校の王子」と呼ばれる、人気の生徒なこと。
いけ好かないやつだと思っていたけど、話してみると全く違っていたこと。
彼と小説について語り合う時間が、人生で一番楽しいと思ったこと。
このままこの時間が続くようにと願っていたこと。
そして、自分の存在が彼に迷惑をかけると言われ、反論できなかったこと。
彼の足を引っ張るのが嫌で、彼を好きな気持ちを隠し、彼を突き放したこと。

「悔しかったし、悲しかったけど、事実だったから言い返せなかった。今まで、タバコだって盗みだってやったことない。でも、こんな私じゃ……やってないって言っても信じてもらえない。私みたいな奴は、リアムの側にいるべきじゃないんだって……」

ソフィアは最後まで話を聞いたあと、サラダのレタスをフォークでつつきながら静かに言った。

「アリソン、あなたの辛い気持ちはよく分かった。でも私は、もう一度リアムくんと話し合うべきだと思う」

「え?」

「今あなたは、リアムくんの気持ちをすべて無視して、リリーちゃんの意見と自分の考えに固執してる。それが、事態をすごくややこしくしてるわ」

ソフィアはフォークを置いて、アリソンの目を見て言った。

「リアムくんは、アリソンが好きだって言ってくれた。それはすごく勇気のいることだわ。それなのに、あなたはリアムくんの言葉よりも、リリーちゃんの言葉を優先してる」

「だってそれは……リアムが足を引っ張られるって気づいてないから……」

「分かるわよ。将来有望なイケメンが、自分のせいでダメ男になるのは見たくないわよね?でも、彼はそんな簡単にダメ男にならない気がするけど」

パスタグラタンをウェイトレスから受け取りながら、ソフィアは続けた。

「あなたはリアムくんの解釈の深さに感銘を受けたんじゃなかったの?彼の解釈の深さは、本に対してだけなのかしら」

アリソンは答えに窮した。

「彼は、もしかしたら、あなたの悪い噂を聞いていたかもしれない。それに、自分の行動を周囲がどう思うか、しっかり分かっていたはず。それでもあなたが好きだと伝えてくれたのよ?そんな彼の気持ちを無視するのは、とても失礼なことだわ」

ソフィアはきっぱりと言った。

「アリソン、あなたこそ、リアムくんの気持ちを一番深く理解してあげなきゃいけなかったのよ」

アリソンは、心からソフィアの言う通りだと思った。下を向いて涙をこらえたけれど、今にも滴がこぼれてしまいそうだ。

「だからアリソン、あなたは自分の本当の気持ちを、文字にしたらいいと思う」

「え……?」

「あなたたちは、文章で絆を深めていったんだから、その絆が弱まったなら文章でリカバリーしないと!私、あなたの書く文章、大好きよ。それはきっと、彼も同じ」

アリソンは目に涙をいっぱいに溜めて、ソフィアの言葉に耳を傾けた。

「手紙の方が、伝わることがあるんじゃないかな」

ソフィアはアリソンを優しく見つめる。アリソンは、そんな彼女を見つめ、尋ねた。

「私にできるかな……」

「人間、やろうと思ったらなんでもできるの。できるまでやればいいんだから!」

「そっか……」

「そうよ。頑張って、アリソン。今が踏ん張り時よ!」

ソフィアはまたほほ笑んだ。そして、気を取り直したように両手を合わせて言った。

「さてと!このパスタグラタンは、猫舌の私が美味しく食べられる温度になってくれたかしら?」

結局、ソフィアは舌を火傷し、アリソンは1週間ぶりに笑ったのだった。

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翌朝、アリソンは机に向かっていた。
レターセットを取り出したが、どうにも筆がのらない。
どうやって書きはじめればいいのか、最初の一文が全く思いつかないのだ。

「はぁ~書けね~~」

7時から机に向かっているのに、1文字も書けないまま1時間も経っている。

「何を書けってんだよ」

目を落とすと、ごみ箱に書きかけの小説の原稿が放り投げられていた。

「あ……」

アリソンはひらめいた。しかし、自分にできるとは思えない。けれど、方法はこれしかないと思った。

小説を書くのだ。自分自身を主人公にして。

夢を追いかけただらしない男のせいで、自分の人生を棒に振ったと嘆く母。
夢など追いかけても無意味だと言われ、小説家になりたいという夢を追いきれない自分。
そんな時に出会った、尊敬する司書。
そして、偶然出会った唯一無二の親友で、初恋の相手。

アリソンは、頭の中に花火が打ちあがったかのようなひらめきを覚え、急いで原稿用紙を取り出した。

最初の一文を書いた後は、もう止まらなかった。書きたいことが次々に溢れでてくる。文字を書く指が追い付かない。
思いついたセリフや情景が消えてしまう前に、必死に書いた。

母に声をかけられた気もするが、よく覚えていない。
とにかく、思いついたことをすべて文字に起こした。

いつの間にか机の脇にはサンドイッチとコーラが置いてあったけれど、手をつける暇がなかった。
ようやく空腹だと気付いたときには、空は白んでいて、部屋中に原稿が散らばっていた。
アリソンは、何十枚と散らばった原稿を拾いながら、カピカピになったハムサンドと、ぬるいコーラをあっという間に平らげたのだった。

翌日は推敲に充てた。ストーリーに矛盾はないか、主人公の気持ちは正しく描けているか、何度も確認した。
10回目の推敲を終え、ようやく納得いくものができたとアリソンは思った。

「できた……!」

アリソンは、原稿を整えると、さっとシャワーを浴び、メイクもそこそこに急いで着替えて図書館に走った。今日は水曜日。もう学校も終わっている時間だ。
リアムは、図書館にいるだろうか。

アリソンは、どうしても今日でなければならない気がして、脚が絡まるかと思うほど走った。

(リアムに会いたい)

リアムに会えなかったらどうするかなど、考えてもいなかった。

気付くと図書館の前にいた。この時間は来館者が多い。中に入るには勇気がいった。

「本は、人を選ばない」

小さく呟いて、アリソンは中に入った。
図書館の人々の視線が、一気に自分に集まる。キャミソールにミニスカート、金髪の女子高生は、図書館ではかなり目立つ存在だった。

ひと際強い視線を感じて視線を移すと、そこにはリアムがいた。本棚の前で、立ちすくんでいる。
目が合うと、気まずそうに視線をそらされてしまった。

ずきっと心が痛くなる。へこたれそうになるが、アリソンはつかつかとリアムに歩み寄った。

「な、なに?」

困惑しながら、リアムが言う。

「これ、読んでほしい」

アリソンは、かなり分厚い原稿をリアムに差し出した。

「何この原稿……?無題……ってタイトルなの?」

「まだ、タイトル決めてない。私が書いた」

「え……!?これをアリソンが……!?」

「読んだら、感想教えて。1日で読めると思う。明日、中庭で待ってるから。それじゃ」

アリソンは、リアムの返事も聞かずに踵を返した。

ソフィアがこちらにウインクした気がしたが、アリソンは挨拶もせず逃げるように自宅に戻った。2日間、ほぼ徹夜だったせいか、その日は気絶するように眠ったのだった。

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翌朝の木曜日。アリソンは学校を無断でサボった罰を受けに、自ら職員室に向かった。しかし、予想に反して怒られることはなかった。

「お母様が、事前に連絡してくださったんだ。なんでも、絶対にやり遂げたいことがあるらしいと。だから2日ほど学校を休ませてほしいと言ってたぞ。お前何してたんだ?」

母親がそんなことを言っていたのかと、アリソンは心底驚いた。
あまりに驚きすぎて適当に相づちを打ったせいで、真剣に勉強していたと勘違いされてしまうほどに。

(今日帰ったら、ハムサンド、ありがとうって言わなきゃ)

小説家の夢を否定されてから、母とはまともに会話していない。それなのに、自分のことを慮ってくれていたことが、アリソンは嬉しかった。

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夕方、アリソンは緊張の面持ちで中庭のベンチに座っていた。

(リアムは来てくれるかな……)

今思えば、かなり勝手なことをしている。リアムがここに来ないことも十分にあり得る状況だった。

立ったり座ったりを繰り返し、お気に入りのピンクのスカートはくちゃくちゃになっている。
あと5分で待ち合わせ時間だった。

「やぁ」

後ろから声がして、飛び跳ねる。

「久しぶり……。って言っても、昨日会ったけど……」

「き、来てくれてありがとう」

アリソンは、かすれた声で応えた。

ベンチに座り、リアムが口を開く。

「読んだよ。小説」

「あ、ありがとう……」

「すごく……すごくおもしろかった」

「ほ、ほんと!?」

うれしいあまりに勢いがつきすぎて、思った以上にリアムに顔を寄せてしまったらしい。
2人とも弾かれたように離れた。

「ご、ごめん……」

「い、いや……こちらこそ、ごめん……」

「ど、どこが良かった…?」

「そ、そうだな……主人公の心の機微がすごく繊細に描かれていて引き込まれた。彼女がどんなふうに過ごしてきたか分かって、心が痛かったよ。でも、同時に応援したくもなった。何度も、頑張れって呟きながら読んだ」

「ふふ……」

「あとはそうだな……お母さんは主人公を応援してるんじゃないかと思った。引っ込みがつかなくなっただけで、本当は心から娘を想う普通のお母さんなんだと思う」

「そっか」

「うん。あとは……主人公はすごくその……ヒーローのことを好きなんだと……思った。ヒーローの告白を拒否するシーンでは、主人公の気持ちが溢れでてて、ちょっと泣きそうになった」

「……」

「もし、俺が勘違いしてないならだけど……あれって主人公は君で……ヒーローは、俺……?」

「……うん」

「だとしたら、タイトルは『love story』が良いかな。安直だけど、ストレートにしたほうが魅力が増すし。あと、結末はうやむやにされてたのが惜しいね。ヒロインは……ヒーローと結ばれるべきだと、俺は思う」

アリソンが顔を上げると、リアムが真っすぐこちらを見つめていた。リアムの瞳にアリソンが映っている。

「じゃあ……結末、変更する」

「うん。その方が絶対いいよ」

リアムは、やさしくアリソンを抱きしめた。

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4年後、アリソンは華やかな白のスーツを着て、ホテルの前に佇んでいた。
今朝の占いでは、おとめ座が1位だった。なんでも、素晴らしい決断をする日だという。
それも当然だ。今日は、『love story』映画化記念パーティー当日だからだ。

あれから、アリソンは『love story』の推敲を重ね、アメリカの権威ある文学賞に応募し、見事特別賞を受賞した。
現役高校生の受賞は初だったこともあり、当時メディアで大きく話題となった。以後、作家として徐々に台頭を表し、年に1冊は本をだせるようになっている。

「すごくきれいだよ」

リアムが言った。

「こんな場に立てるなんて、本当に君は凄い」

あの後、アリソンはリアムと気持ちを確かめ合い、交際を始めた。
当初は反対もあったが、その内、雑音は無くなっていった。
リリーには、アリソンから直接想いを伝えた。リアムが好きだと。
最終的には、リリーも2人を応援してくれた。

アリソンとリアムは、現在別々の大学に通っているが、交際は続いている。卒業後の進路も確定しており、リアムは大手商社に入社、アリソンは作家を続けていく予定だ。

「改めて映画化、おめでとう」

「ありがとう。王子のおかげだ」

「王子って……辞めてくれよ……」

「ふふ……。でもほんとにそう思ってる。私が小説家になれたのは、リアムのおかげ」

「そんなに真剣に言われると照れるな」

「……本当にありがとう。リアムに出会えて本当に良かった。私の人生の救世主だ」

「そんな大げさなことはしてないけど、でもいい気分だな」

「ふふ……」

「いい気分ついでにいうんだけどさ、『love story』のラストは、ヒーローとヒロインが結婚するだろ」

「そうだね」

「あれは僕たちの物語だよな」

「……うん」

「『最初は君が紡ぐ文章に心惹かれた。でも今は君自身に惹かれてるんだ』」

「……!」

「『この先の人生も、ずっと君の隣で、君の紡ぐ文章を読んでいたい。これは僕のワガママだけれど、どうか僕と結婚してくれませんか……?』」

「……改めて聞くと、本当に王子が言いそうなセリフだね」

「どうだった……?」

「演者はポンコツだったけど、気分は最高!!」

アリソンはリアムに飛びつき、彼をぎゅっと抱きしめた。

その日、パーティーでは『love story』のモデルとなった男性と新人作家の結婚が発表され、大きな話題を呼んだのだった。


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