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フィルモグラフィと、オリジナル脚本のこと
今年の東京国際映画祭で「入江悠監督特集」を組んでもらえることになりました。
「え、うそでしょ、俺でいいの?」というのが本音です。
おそれ多いことです。
これを機に、ぼんやりとフィルモグラフィについて考えてみました。
【映画監督のフィルモグラフィについて】
監督特集、といえば、東京の映画館だと、神保町シアターや渋谷シネマヴェーラなどで毎日上映されています。
大阪では、九条のシネ・ヌーヴォさんも素晴らしい特集をしています。
そこで取り上げられる監督といえば、生涯を通してフィルモグラフィに一貫性がある人です。
日本の監督でいえば、取り上げられることが一番多いのが小津安二郎でしょう。
次に、成瀬巳喜男、溝口健二が来て、その次に黒澤明でしょうか。
フィルモグラフィ的に作家性のある監督がだいたいにおいて特集の対象になり、職人監督的な人はあまり対象にならない印象があります。
現在の日本でいえば、濱口竜介、三宅唱、深田晃司、今泉力哉、是枝裕和といった人が特集されがちな気がします。
うむ、なんとなくフィルモグラフィに一貫性があるぞ。
わたしの大学の先輩、沖田修一さんもなんだか一本筋が通っています。
そこで、ですね。
我が身を振り返ってみると、あんまり一貫性がありません。
まったく、ない、と言ってもよいかもしれません。
昔、『ジョーカー・ゲーム』と『日々ロック』がニューヨークの映画祭で上映されたとき、プログラマーの人が「YU IRIEはカメレオンみたいな監督だ。作品ごとに色が変わる」と英語でスピーチしているのを聞き、「それって褒めてないよね?」と思ったことがあります。
でも、言い得て妙、ではあります。
自分自身でも一貫性がないのは自覚があります。
わたしも一貫性のあるフィルモグラフィに憧れた時期はありました。
なんだったら今でも憧れています。
死んだらシネマヴェーラで特集してもらえる監督になりたかった。
じゃあ、なんだって、今のようなフィルモグラフィになってしまったのか。
撮影中にふと我が身を振り返ってみました。
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