『必殺仕置屋稼業』 -「稼業」という宿命を背負った主水とおこうの切ない絆
時代劇の金字塔「必殺」シリーズの第6作目として1975年に放送された「必殺仕置屋稼業」は、裏稼業に生きる者たちの葛藤と絆を描いた異色の作品である。藤田まことが演じる中村主水が、南町奉行所への転属を機に再び裏稼業の世界へと足を踏み入れる物語は、殺しという稼業に携わる者たちの宿命を鮮やかに描き出している。
物語は、主水が髪結いのおこう(中村玉緒)との出会いを契機に、裏稼業への復帰を決意するところから始まる。近江屋利兵衛という悪党への仕置きを依頼されたことをきっかけに、主水は銭湯の釜番・捨三、破戒僧の印玄、そして冷徹な殺し屋・市松(沖雅也)を仲間に加え、「仕置屋」という組織を立ち上げるのである。
市松という人物は、整った顔立ちの色男でありながら、情に流されない冷淡な性格の持ち主として描かれる。殺し屋としてのプロ意識が非常に高く、幼少期に殺し屋だった父親を同業者の罠により失うという過去を持つ。その父を殺した張本人こそ、市松を育てた鳶辰であった。
物語は、仕置屋たちの活躍を軸に展開していくが、最終話「一筆啓上崩壊が見えた」において、彼らの運命は大きく変わることとなる。市松が殺した男が殺し屋の元締・睦美屋の息子だったことから、睦美屋は仕置屋のメンバーを洗い出すべく、おこうを拷問にかける。
印玄とおこうの最期は、とりわけ印象的な場面として描かれる。印玄は、おこうを救出しようと単身、敵陣に乗り込む。彼は壮絶な最期を遂げるが、その犠牲によっておこうは救出される。しかし、救出されたおこうもまた、すでに瀕死の状態であった。
おこうは最期の言葉として、主水に「この稼業やめたらあきまへんで……いつまでも……続けとくんなはれや」と遺言を残す。この言葉は、主水の「必殺」の人生を決定づける重要な転換点となる。
市松は奉行所に捕らえられるが、主水は彼を護送中に巧みに逃がす策を講じる。その代償として、主水自身は伝馬町牢屋敷の牢屋見回り同心という最下位の地位に降格されることとなる。しかし、おこうの遺言を受けて、主水は以後も裏の仕事を続けていく決意を固める。
雪のちらつく寒い日、逃亡する市松は主水から握り飯を受け取る。その中には小判が隠されており、粋な計らいに思わず笑みがこぼれる市松の表情には、それまでの殺人マシーンの面影は微塵も感じられない。
この作品は、単なる殺し屋の物語を超えて、人間の業の深さと救済を描いた作品として評価される。特に市松という人物を通じて、殺しという稼業に生きる者の孤独と、そこから救い出される可能性が示唆されている。
印玄の「市松はそんな男じゃねえよ!」という言葉は、市松の固く冷たい心を砕く決定的な瞬間となった。人は人を裏切るものと諦めていた市松が、初めて真の信頼を知る契機となったのである。
結末において、仕置屋は表面上は崩壊を迎えるが、それは同時に新たな始まりをも示唆している。主水と市松の最後の別れの場面に象徴されるように、彼らは殺しという稼業を超えて、人としての絆を確かめ合うのである。
この作品が描き出したのは、殺しという極限の世界に生きる者たちの、救いを求める魂の軌跡であった。おこうの遺言は、単なる裏稼業の継続を求めるものではなく、主水という人間の生き方そのものを規定する言葉として、深い意味を持つものとなったのである。