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地下迷宮のメロディ ―― リュック・ベッソン『サブウェイ』が描く自由と再生の物語

暗く湿った地下鉄の通路を、一人の男が疾走している。逆立てた金髪に身なりの良いタキシード姿。その不思議な取り合わせは、この映画全体を貫く異質な魅力を象徴しているかのようだ。1985年、リュック・ベッソンが世に送り出した『サブウェイ』は、そんな一筋縄ではいかない魅力に満ちた作品である。


フレッド(クリストファー・ランバード)


地下鉄という閉ざされた空間を舞台に、社会の規範から外れた者たちが織りなす物語は、パンクでありながら詩的で、スリリングでありながら哀愁を帯びている。主人公フレッド(クリストファー・ランバート)は、ある裕福な実業家の金庫から重要書類を盗み出し、パリの地下鉄に逃げ込む。そこで彼が出会うのは、ローラースケートの名手や、花売りの男、そして実業家の妻エレナ(イザベル・アジャーニ)との再会という運命だった。


エレナ(イザベル・アジャーニ)


地上の世界で窮屈な結婚生活を送るエレナと、地下で自由を求めて生きるフレッド。二人の関係は、社会の表と裏、束縛と解放という本作のテーマを鮮やかに体現している。幼なじみであった二人の過去が明かされる場面では、失踪の真相が事故による重傷だったという意外な展開が用意されており、これは後の結末に向けての重要な伏線となっている。



フレッドが地下世界で出会う人々は、それぞれが独自の生き方を持つアウトサイダーたちだ。彼らと共にバンドを結成し、地下鉄構内でコンサートを開こうとするフレッドの行動には、既存の価値観に対する反逆と、新しい可能性への希求が込められている。音楽という創造的な行為を通じて、彼らは社会の周縁に追いやられた者たちの存在証明を試みるのだ。



映画は終盤、エレナの夫が差し向けた追手によってフレッドが撃たれるという衝撃的な場面を迎える。エレナの腕の中で「少しは好き?」と問いかけるフレッドの言葉には、彼の全てが凝縮されている。表面的には軽薄に見えるその問いかけは、実は深い愛情と覚悟を内包しているのだ。

そして最後に、一度は死んだかに見えたフレッドが目を開け、演奏される曲に合わせて口ずさむ場面。この結末は複数の解釈を許容する。現実の物語として捉えれば、フレッドは奇跡的に一命を取り留めたということになる。しかし、より象徴的な読解をすれば、これは地下世界という自由の空間が持つ再生力の表現とも考えられる。あるいは、エレナの愛によってフレッドが救済されたという解釈も可能だろう。

重要なのは、この曖昧な結末が映画全体のテーマと見事に呼応している点である。地上と地下、秩序と自由、死と再生といった二元論的な対立は、最後の場面で奇跡的な調和を見出す。フレッドの「復活」は、既存の価値観に縛られない新しい生き方の可能性を示唆しているのだ。


現代社会において、この映画の問いかけは依然として鋭い切実さを持っている。効率や利益を追求する社会の中で、個人の自由や創造性はしばしば抑圧される。しかし『サブウェイ』は、そうした抑圧に対する抵抗の可能性を、詩的かつダイナミックに描き出す。地下鉄という日常的な空間が、実は自由への入り口となり得ることを、この映画は美しく物語るのである。


リュック・ベッソンの演出は、閉鎖的な地下空間を逆説的な解放の場として描き出すことに成功している。カメラは狭い通路や階段を縦横無尽に動き回り、地下世界の持つダイナミズムを捉える。



一方で、フレッドとエレナの繊細な心理の機微は、二人の視線や仕草を通じて静謐に描写される。この動と静の対比もまた、本作の大きな魅力となっている。


音楽もまた、本作において重要な役割を果たしている。エリック・セラによる電子音楽を基調としたサウンドトラックは、80年代という時代性を反映しつつ、地下世界の持つ反体制的なエネルギーを増幅させる。そして何より、フレッドたちが結成するバンドの音楽は、彼らの自由への希求を雄弁に物語っている。


エリック・セラも出演

この映画が公開された1985年は、まさに大きな変革の時代であった。経済的な繁栄の陰で、既存の価値観や社会システムへの懐疑が広がりつつあった時期である。その意味で『サブウェイ』は、単なるエンターテインメントを超えて、時代の空気を鋭く捉えた作品でもあった。

そして現代において、この映画はさらに新しい解釈の可能性を獲得している。デジタル化が進み、現実の空間の意味が問い直される中で、物理的な「地下」という場所が持つ意味も、また違った形で受け止められるだろう。しかし、既存の秩序からの離脱と、新しい価値の創造という本質的なテーマは、今なお強い共感を呼ぶはずだ。



最後に印象的なのは、フレッドという人物が体現する「自由」の質である。それは単なる無秩序や破壊ではなく、創造的で、人々を結びつける力を持っている。彼の行動は時に無謀で危険なものに見えるが、その根底には常に純粋な憧れと、人々への愛情が存在している。

タキシード姿で地下鉄を疾走する金髪の男の姿は、まさにそうした自由の象徴として私たちの心に刻まれる。『サブウェイ』は、社会の周縁に追いやられた者たちの物語でありながら、実は誰もが心の中に持つ解放への願いを描いた普遍的な寓話なのかもしれない。暗い地下道は、時として私たちを思いがけない光の方へと導いてくれるのだ。


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