『シン・ウルトラマン』
監督:樋口真嗣、企画・脚本:庵野秀明
さあ、やはり書かずにはいられません。
ザクッと所感を述べますと、意外とベストムービー入りではありません。
いえ、めちゃめちゃおもしろいです。
ど頭から散りばめられた小ネタは、昭和ウルトラマンフリークの私としては十分すぎるくらい楽しめました(開幕タイトル、ゴメス≒ゴジラネタ、宮内國郎サウンド、東宝効果集団SE、ウルトラマンのマスク造型ネタ、バラゴン系統着ぐるみネタ……)。
シナリオ的には、オリジナル版『ウルトラマン』('66)のうち、第1、3、9、18、33、39話がベースになっています。
後にも先にもこのレベルのウルトラマン映画は二度とないでしょう。
他方で、モヤモヤした事も否めません。
『シン・ゴジラ』は『ゴジラ』の本歌取りとして独立していました。
一方の『シン・ウルトラマン』は『ウルトラマン』の焼き直しだな……というのが私の結論です。
引っかかった点は以下の通りです。
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西島秀俊の台詞ですが、なんでその台詞をそういう風にアレンジしちゃったのかな、という点。
オリジナル版は小林昭二のセリフ「暴力を振るう者と戦う」が、本作では「秩序を乱す者と戦う」
意味が全然違います。この理屈では「暴力に抗議する市民団体」を「秩序を乱す」として排除できてしまう……
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そして長澤まさみの「匂い」の件りは、せめて直前の示唆的表現に留めるべきだったのではないかと。
「怪獣映画にポリコレは不要だ」と言われるかもしれませんが、「フェミニスト」と「フェミ」、「右翼」と「ネトウヨ」に意味のズレがあるように、「ポリティカルコレクトネス 」と「ポリコレ」も、言葉が指すものを一旦切り分けて考えないと、匂いの件りに関しては議論しにくいんじゃないかと。
とりあえず、あれを長澤まさみに背負わせてしまう必然性ってあるのでしょうか(文脈的というよりは、映画制作それ自体として)。
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なお「巨大フジ隊員ネタ」の件りもセンシティブとは思いつつ、これに関してはネット民の下衆な行動を描写することで、逆説的・打消し表現として成立しているという理解です(もちろんこの理解も男性的な思考なのだとは思いますが)。
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他、小ネタ的に語りたいことはたくさんありますが、たぶん私がやらなくても誰かが既にやっていると思うので割愛します。
宮内國郎サウンドに浸りながらティータイム。脳内で初代マンのバトルを楽しむとしましょう。