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「風が吹くまま」鑑賞記録

今日はアッバス・キアロスタミ監督の「風が吹くまま」という映画を観たのでその鑑賞記録を書いていこうと思う。

物語はいたってシンプル。とある村のお葬式を取材するためにやってきたTVクルーの1人が主人公だ。お葬式を見るためには誰かが死ななければならない。村にいる病に伏した高齢女性が狙い目で、村の案内役の少年に毎日その高齢女性の様子を尋ねるがこれがなかなか死なないのである(失礼な話だが)。

この映画を観た感想はなんとも言葉にするのが難しいのだが、言葉にするのならば「もっと気楽でいいのかもしれない」かな。映画の中で、美しく黄金に光り輝く稲だか麦だかの無数の穂が風になびいているシーンが登場する。その中をバイクに乗った主人公と医者が会話をしながら通り抜けていくのだが、主人公はその景色をまるで天国のようだと言う。すると医者は「美しいかもしれない天国や響きのいい約束よりも目の前の葡萄酒」と答えるのだ。

あの世は美しい、というのはたしかに比較しようもないことだ。生きてあの世を見た人などいないのだから。比較のしようもないことに対して考え込むよりも、目の前の葡萄酒のようにたしかにそこにある自分の手に届くものを大切にすることができたなら。そういうものはきっと日常の中に山ほど転がっているだろう。

生きていると色んなことがあるし、このままでいいのかなあとか、考えずにいられないことも沢山ある。わざわざ引っ張り出して比べる必要もないのに、何かと比べて落ち込むことが多い自分だからこそ、なんとなくこの医者の言葉が印象に残った。


ここからはネタバレも含む。


それに何より共感できたのはTVクルーが結局はお葬式を撮れなかったであろうということだ。頼みの綱の高齢女性は少しずつ回復して、死の魔の手から逃げ切ってしまったらしい。仲良くなった案内役の少年とは、理不尽な怒りをぶつけてしまったがために距離を置かれてしまう。色んなことが色んな風に動いていて、本来の目的は達成されなかった。人生とは、生きるとは、そういうものなのかもしれない。強引に何かを変えてしまうような生の力強さもまた強烈な魅力を放つものだが、私にはこんな風なありのままを受け入れて生きる生の柔らかさも光り輝いているように感じられる。

キアロスタミ監督作品を観たのは初めてなのだが、彼の捉えようとした時間や感情の揺れ動きのようなものはなぜだかよく知っているような懐かしさや愛おしさを感じた。他の作品もぜひ観てみたいと思う。

最近新しいことばかりで、自分の成長の遅さやなんかに苛立ちと焦りを感じていたからこそ、ここで流れる時間に癒された。生き急いでもいいことはそんなに多くないだろう。粘り強く、そして気楽に、色んなことを受け入れて向き合っていくことが大切だろう。行動してすぐに結果が返ってくるものならいいけれど、そんな簡単なことばかりではない。気長に、時間をかけてゆっくり生きていくことも大事にしたい。はっぱかけたい時もあっていいけど、そればっかりにはなりたくないな。

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