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原爆投下のその後のアメリカ。映画「リッチランド」
原爆、原子力事故……
日本では放射線による被害に苦しめられ続けています。
実はアメリカにもそういう地域があるのです。
原爆を作るために生まれた街、リッチランドです。
戦争、軍事力、そんなもののために汚染や搾取、そして人々が分断されている場所があります。
映画「リッチランド」
東欧ルーマニアのチャウシェスク政権を逃れてアメリカに亡命した両親の元に生まれ、ボストンで育ったアイリーン・ルスティック監督がリッチランドの住民へのインタビューを中心に構成した記録映画です。
平和で美しいアメリカの典型的な郊外の町「リッチランド」は、ワシントン州南部にある人口約6万人の町です。
第二次世界大戦前までは農業中心の小さな町でしたが、1943年に原爆開発をめざすマンハッタン計画の拠点の一つとしてプルトニウムの生産拠点がハンフォード・サイトに作られ、この計画に従事する労働者や家族が住むベッドタウンとして新たに建設されました。
地元リッチランド高校のフットボールチームの名前は「リッチランド・ボンバーズ」。
トレードマークは「キノコ雲」と「B29爆撃機」。
このキノコ雲は高校内だけでなく町のいたるところで見受けられます。
通りの名前も「NUCLEAR」通り。
「原爆を作って戦争を早期に終わらせた」ことは町の誇りでありアイデンティティになっているのです。
そのことに疑問が提起されることもあるのですが、「そもそも戦争を始めたのは誰なんだ」という声にかき消されてしまいます。
ここで少しマンハッタン計画についておさらいを。
第二次世界大戦中、原爆製造のための「マンハッタン計画」の実働拠点は、アメリカ国内の3カ所でした。
研究所が設立されたニューメキシコ州ロスアラモス、ウラン精製工場のあったテネシー州オークリッジ、そして核燃料生産工場が置かれたワシントン州、ハンフォードです。
プルトニウムの生産拠点となったハンフォード・サイトはワシントン州東南部に位置しシアトルから約250キロです。
砂漠が広がる乾燥地帯ですが、そこは古くからワナバム族等の先住民族の居住地でした。
広大な敷地があること、近隣に多くの住民が住む都市がないこと、原子炉冷却に必要な水が豊富なことといった条件を満たした土地として1942年に核燃料生産拠点の建設が決定し、1943年から稼働を開始しました。
そして1945年7月ハンフォード・サイトで作られたプルトニウムからロスアラモスで原子爆弾が製造され、8月9日「ファットマン」が長崎に投下されました。
戦後も冷戦による軍拡競争の拡大を受けて、1987年まで核燃料生産が行われ、アメリカの軍事用プルトニウムの約3分の2がここで生産されました。
リッチランドは、ハンフォード・サイトで働く労働者の町として作られ数百人だった人口は約2万5千人に増加し、戦後はさらに発展します。
町の設立当初は、政府により住民の町外との接触は制限され陸軍の承認を必要としました。
土地、建物、インフラまで政府が所有管理していましたが、1957年に政府は権利を住民に移譲。
住民の接触の制限が解除されました。
1987年に最後の生産用原子炉が閉鎖されました。
その後環境浄化技術の開発へと移行したのに伴い、現在のリッチランド住民の多くはハンフォード・サイトの浄化、除染に関する仕事についています。
再び映画の内容へ
映画の中でも、除染する様子がでてきます。
いくら表面的に除染できても地下4から5メートルまで。
家を建てても「ガーデニングはできないよ」と言われます。
一度汚染された大地は10億年後も使用できないと指摘する人たちもいます。
核汚染は長い間秘密にされてきました。
そのため何も知らずに防護服なしで核施設で仕事をし、川の魚を食べ、狩りをし、汚染された土地の家庭菜園で野菜を作っていたという労働者の家族たち。
「暗闇でも体は光らないよ」と自虐ネタをとばします。
そして土地を奪われた先住民たち。
住む場所や文化や風習を奪われただけでなく、放射能に汚染され健康被害に苦しんでいます。
ハンフォード・サイトには日本の広島からも子どもたちが見学に来るそうです。
なぜ原爆が投下されたかを知るために。
でもその答えは見つかりません。
現在もハンフォードのシンボルはキノコ雲。
学校のキノコ雲の校章について話し合うリッチランド高校の生徒たち。
やはり結論はでません。
でもいろんな考えを自由に話せるアメリカは誇らしいと語るインドからの移民の両親をもつ女子生徒。
最後は広島出身で被曝3世の川野ゆきよさんの作品「折りたたむファットマン」でした。
現在のハンフォード・サイトは、廃炉や除染作業のための研究機関や企業が集約した結果、経済的に発展しています。
2015年、ロスアラモス、オークリッジとともにマンハッタン計画を担った歴史的施設として「国立歴史公園」に指定されました。
2000年代以降はワイン産業が急成長をとげ、近郊では200軒以上のワイナリーがあります。
ワイン目当ての観光客が多く訪れているダークツーリズムのような政策。
果たしてみなさんは何を思いますか?
参考資料
映画公式パンフレット
執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン