強制することが悪い?それとも優劣をつけることがいかん?
今年の7月、最高裁判決で旧優生保護法が憲法違反であり、被害のあった障がい当事者への賠償も認められました。
その弁護団を務めた藤原精吾弁護士の話を聞いてきました。
旧優生保護法は、なんと戦後、日本国憲法の下でできたのです。
障がいのある当事者(男女)に不妊手術を施すことを強制するという法律でした。
障がいのある者に子どもを作らせないようにする法律、なんとこれが1996の法改正まで成立していたのがびっくりです。😱
障がい者は身体だけでなく、躁うつや、てんかん、知的障がいや、ハンセン病の方なども対象でした。
つまりカートコバーンが日本人だったら手術されていたかもしれません。
今もしこの法律があれば、先日うつ病を公表したサカナクションの山口一郎は処置の対象ですね😱
この法律、もちろん障がい者で長年おかしいと訴える人はいました。
いたのですが、法曹界もマスコミも総スカン。
聞いてくれる人の大切さを改めて感じました。
この法律は過ちです。
過ちから学ぶことは大切です。
藤原弁護士の話を聞いて思ったことは、
この問題から学ぶべきことは、強制性ではなく、人に優劣をつける優生思想がいかん、ということです。
話の中で、1966年〜72年に兵庫県で知事提唱のもと、「不幸な子どもの生まれない県民運動」を推進したと出てきました。
え、それ今もやってね?
私が脳裏に浮かんだのは、出生前診断の問題です。
日本では障がい当事者からの反対も多く、疑問視する声も多いのですが、欧米ではめちゃくちゃフリーでかつ公の補助も出ていたりするのです。
特に国をあげて推奨しているイギリスやばくないですか?😢
1970年前後の兵庫県と同じなのでは💦
これを自分自身の生殖をコントロールする権利として保障するというのですが、結果中絶を選択することが多い中で、それを政府が推奨するのは違和感があります。
また、先日もうつ病を理由にパイプカットをする評論家のエッセイを見ました。
なぜこの旧優生保護法が問題になった時期に公表したのでしょうか。
国家が強制したのが問題であり、そもそもの考え自体は理解できるといったメッセージに思えました。
自己決定権、そういった名目で結局は優劣がつけられ劣を排除することばかり熱心な世の中です。
強制が悪いのか、優生思想が悪いのか、みなさんぜひ考えてみてください。
執筆者、ハイサイ・オ・ジサン