冷戦期のマッカーシズム。映画紹介「トランボーハリウッドに最も嫌われた男―」
皆さん赤狩りとは、聞いたことありますか?
喜劇王チャールズチャップリンは映画「殺人狂時代」撮影後、非米活動委員会の公聴会に召喚されました。
公聴会には出席しませんでしたが、その後、反米、社会主義者の疑いをかけられアメリカから追放されてしまいます。
冷戦下の1940年代後半から1950年代前半にかけて、アメリカでは、共産党や共産主義に関わりのある者を、政府や公共機関など社会の主要領域から一掃しようとしたのです。
それはアメリカ政府主導で行われました。
これが、「赤狩り」です。
共和党上院議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーが活動の中心だったのでマッカーシズムと言われます。
当時、十分な証拠もなく、スパイ容疑や共産党との関連の疑いのある者を下院非米活動委員会に喚問し尋問しました。
自ら証言するだけでなく他人を密告することも強要しました。
これにより全米で数千人が不当に標的にされ、嫌疑をかけられた人々の多くが仕事と社会的地位を失いました。
失業、破産、離婚、自殺したものの中には教師、兵士、公務員とその家族もいたのです。
下院非米活動委員会は1975年まで国民を調べ続けました。
それにハリウッドも標的にされたのです。
マッカーシーを中心に、共産主義者あるいはその支持者と疑われる人物の名簿(ブラックリスト)を作成しました。
ブラックリストには、映画監督、脚本家、俳優などの名前が載せられ、ブラックリストに名前の載った人物はハリウッドから追放されました。
その数は数百人と言われます。
その中でも特に有名なのが「ハリウッド・テン」と呼ばれた人たちでした。
ブラックリストに載り、下院非米活動委員会の聴聞会で証言を拒否したり、召喚に応じないことによって、議会侮辱罪で有罪判決を受けたハリウッドの映画関係者10人を指します。
その10人の中でも特に有名なのが、脚本家ダルトン・トランボです。
彼はなんとあの「ローマの休日」を書いた人です。
しかし、ローマの休日が、彼の脚本であることは長い間知られていませんでした。
映画のクレジットに彼の名前が加えられたのは、制作から60年近く経った2011年のことです。
赤狩りによって大きく狂わされた彼の人生を描いた映画「トランボ ―ハリウッドに最も嫌われた男」を紹介します。
実話を基にした映画です!
「トランボーハリウッドに最も嫌われた男―」(2015年 米)
何より個人の自由を重んじる国アメリカのはずが、国民から、内心の自由、良心の自由、思想信条の自由を奪うばかりか、多くの善良な国民の人生そのものを破壊してしまったのです。
そして仕事を失いたくないために友人や知人を密告した人たちは、その後の人生で良心の呵責に苦しむことになりました。
アメリカも所詮は国家です。国内外で自由と民主主義を弾圧することを平気でやります。
ただ中国やロシアなどの強権的な国と違い、アメリカのすごいところは、自由と民主主義を守ろうという人たちが必ず出てきて国家と戦うことです。
トランボたちハリウッドテンのメンバーも赤狩りに対抗して戦い抜き、最後にはブラックリストを無効にしました。
しかし、その戦いには長い時間がかかりました。
1956年「黒い牡牛」のアカデミー原案賞はロバート・リッチという架空の人物に贈られましたが、正式にトランボにアカデミー賞が贈られたのは1975年でした。
トランボが亡くなる前年に、ブラックリストは、ハリウッドから完全になくなったのです。
この映画のテーマである赤狩りは、 ハリウッドそしてアメリカの黒歴史と言えるのではないのでしょうか。
参考文献
「トランボーハリウッドに最も嫌われた男―」
ブルース・クック著 東京・世界文化社
※ 合衆国憲法修正第一条
「連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。」
アメリカの要とも言える条文です。
執筆者、ゆこりん、ハイサイ・オ・ジサン