3 コミットメント
前項では「やる気」について書きました。やる気なんかに頼っていては何も事は進まないという事です。ついでになってしまいますが、やる気に関して思い出した事が一つありますので紹介しておきます。
自己紹介で触れましたが、私が大学を卒業して最初に就職した会社での事です。その会社は、日本を代表する巨大で有名な企業・・・ではなく、その親会社です。親会社の方が小さいのですが、一応親会社というプライドはあったようです。日本中から多くの大学卒業生が集まりました。院卒の人もいました。全員、1ヶ月だったか2ヶ月だったか忘れましたが長い研修期間がありました。それだけでも贅沢と言えます。お金に余裕があるのです。研修の内容は主に2つあり、工場での実習と座学でした。工場研修は身体を動かしますからそんな事は無いのですが、座学の時には眠くなります。多くが途中でコックリコックリと始めます。もちろん私も時々そうなりました。エアコンの効いた白い部屋でダラダラ話を聞くと大概そうなるものです。
講師である人事の課長だったかな?はそれを見てこう言いました。「やる気っていうのはだなあ、朝起きて鏡の前に立って『今日もやるぞー!オー!』と叫ぶんだ。そうすればやる気なんて誰にでも出るものだ」と言いました。普段大人しい感じの人が、相当に強い言い方をしたので見かねたのでしょう。ですが、その効果は???でした、残念ながら。その頃は皆、寮に入っていましたのでわかるのですが、朝叫んでいる者はいなかったようです。
いえ、別にそれを馬鹿にしているわけではありません。瞬発力には効果があるかもしれませんから。必要な時にアニマル浜口氏のように「気合いだ!」とやってみれば、短期的にはそれなりの効果は望めます。アニマル浜口氏とアントニオ猪木氏とそのあたり何人かに一緒に入社してもらうのも手かもしれません。各事務所を30分置きに回ってもらって寝ていそうな社員に闘魂注入の儀を・・・。すみません。冗談です。
そう言えば・・・、また脱線しますが、就職の時に教授に勧められたある企業を見学に行きました。結果を先に言いますと即断りました。その会社も業界では超有名企業でした。私にあてがわれる仕事は開発でしたし給与レベルもまあまあです。なぜ断ったかと言いますと、それより良い会社があったとか、そういう事ではありません。開発職であっても、自衛隊に仮入隊しての研修があったからです。先に聞いて良かったと思いました。素早くさよならできましたから。こちらも闘魂注入と似たようなもので、やはりやる気重視なのです。私はほとほとそうしたものが嫌いだったのだなと、振り返ってみてわかります。
ですが、こうしたやる気重視の考え方が蔓延するのもわからないではありません。皆さんもきっとわかるでしょう。なぜならば、自分が好きでやっている事でも、なぜか飽きるからです。ずっとやっていて嫌いになったわけではないのに、飽きてやりたくなくなる瞬間があるのです。それはきっと誰にでもあります。やっている事に疑問を持ち始めるのとは違います。ただ何となく、続けられなくなったり、疲れを感じたり、休憩したくなったりする方です。不思議なものです。
そんな時、やっぱり頼りたくなるのは「やる気」です。短期的に有効なのはその時でしょう。でもまあ、休憩でもしてまた始めれば良い程度なので、ここではそれを問題視しません。
ところで、大変回り道になってしまいましたが、やる気よりもう少し良いかもしれない方法が、実はあります。それは「コミットメント」です。あえて「良いかも」としているのは、簡単ですが、人によっては多少難しいと感じる方がいるからです。そして理解し難いという人も実際にいます。ですが、知っておいて損はないでしょう。
※ 私は記事で人生の万能ソリューションを語る気はありません。地獄に堕ちない為に壺を買いなさい、のようなのはしたくないのです。
「コミットメント」という言葉はもともと日本語の概念には無かったので、初期には「決意する」「強く約束する」「責任を持つ」のようなエモーショナルな訳で使われる事が多くありました。未だにその意味で言う方も多い言葉です。その為、やる気の強いバージョンかと考えている方もまだまだいらっしゃるようではあります。ですが、実際にはずいぶんと違います。
コミットメントを理解するのに簡単な説明はWikipediaを読むと良いでしょう。
ちょっと硬い感じの説明ですね。なぜなら経済学の言葉として説明されているからです。これを個人でやる気の代わりに使うと思いますと難しいでしょう。なので、こんなのはいかがでしょうか?
誤解されないように最初に書いておきますが、これを読めばお金持ちになれますという意味で持ち出したのではありません。私も読みましたがお金持ちにはなっていません。貧乏人にならなくて済むかもしれませんけれども。この本を紹介する意味は、ここに「意志の力」というものが書かれているからです。やる気なんてと言いながら意志などと感情に関わる事を言うのは矛盾しているように感じられるかもしれませんが、意外にもそうではありません。
アルカドは自分の持ち金を全部失ってしまいました。にも関わらず後に大金持ちになります。アルカドの話を聞いていた者は、アルカドは自分たちと全然違う特別な人間で幸運だったからそれができたのだと言います。アルカドはそうではないと反論します。アルカドは4年間、自分の稼いだお金の1/10を貯めていただけだと言います。例えとして、何年もの間に魚の習性を研究して風が変わる度に魚のいるところに網を張って魚を多く採れるようになった漁師に幸運という言葉は使わないだろうと言います。また、橋を渡って向こうの街へ行く時に必ず小石を川に投げ入れると決めたら、自分は必ず毎日それをするとも言います。自分が一度それを設定したら必ず最後までやるのです。
※この書籍ではこの事が書かれているのは第3章です。同じ原作を翻訳したものは他にも出版されていますが、この部分が全ての翻訳書にあるかどうかは未確認です。また、翻訳書にあったとしても別のニュアンスに変えてある可能性もあります。
ここを読みますと、何となくやはり根性論のように読んでしまう方もいるかもしれません。ですが、良く読んでみますとちょっと違う事がわかります。アルカドは、ある事を自分自身に「設定する」と言っています。つまり、闘魂や気合いはありません。アルカドはただやっているのです。つまり、設定したら他に選択肢を自分自身に与えていないだけです。簡単に言いますと、その事に関してもう考えるのを止めているという事です。
ちょっとわかって来ましたか? やる気とコミットメントの違いが。
私が最初に就職した会社はどうだったでしょうか? 会社には研修に関わるコミットメントはありませんでした。その代わりに私のやる気に研修の成果を依存していたのです。眠気を誘う講義や研修内容は作成しましたが、新入社員に完全に理解させる方法は考えていなかったのです。ですから私にやる気を出せと言ってきたわけです。毎年寝る新入社員がたくさんいたはずですが、人事はその事を考えずに研修内容だけ気にしていたのでしょう。
会社はどうでも良いですが、自分自身にもそうしたコミットメントが必要な場面は多いものです。やっている最中に迷いが生じて途中で止めてしまう。それ以前に踏み込めないというのもあります。ですから、ミソは「設定した後はもう考えない」事です。考えなければ恐れも迷いも生じませんから。
多少訓練は必要ですが、試してみてはいかがでしょうか?
次の内容ですが、ある大企業の社長さんのメッセージが私のFacebookに流れてきましたが、それについて触れておきたいと考えています。その記事へのコメントはポジティブなものばかりでした。なぜならば、既に大成功を収めているので説得力があるからです。ですが、私の見方は逆でした。ご存知の通り、私はそうした会社に長く留まる事が好きではないですし、先方も私を長く雇いたいとは考えないタイプの人間だからです。では、また。