★ 選挙に寄せて(番外編)
今回は統一地方選挙が近いので番外編としてお送りします。最初にお断りしておきますが、私は特定の候補者や政党を支持していませんし、皆さんにお勧めするつもりはありません。ですから名前を挙げる事はありません。
さて、まずは、なぜここで番外編を挿入しようと考えたかという事について簡単に説明しましょう。私はnoteに自分というものを中心に考えた人生というものに関して書いています。その中で、今の社会について多分に批判的に見ているのはお分かりかと思います。その社会は私たち自身の外部環境となって存在しているものです。すぐには変えられません。ですが、どんなにダメな社会であってもそこには人の人生があります。私が死んだ後にも皆さんの人生やその次の世代の人生があります。noteを書いて公開しているのもその為です。回りくどい言い方をしてしまいますが、つまりは、私は年齢が高くなるまで何回も投票という行為をしてきて、こんな社会を皆さんや次の世代に残したまま死んでしまうのではないかという危機感があるのです。(年齢的にすぐ死ぬほど高齢ではないです。多分まだン十年生きます) つまり、私と私の同世代の失敗の結果がこうして今現在の社会となって存在し、その恩恵も被害も若い世代の人たちが被ってしまっているのです。全くフェアではありません。今まで何やってたんだ!という事です。
そこで反省の意味で、長期的戦略になるかどうかはわかりませんが、私の投票行動に関して表明して残したいと考えています。また、しばらく海外にいましたので地方選挙は久しぶりで投票を楽しみにしているという事もあります。海外からは国政選挙しか投票できないからです。
私はある時から、つまり年齢がある程度高くなってからという意味ですが、投票に対する考え方、投票で候補者を選ぶ方法を完全に変えました。というのは、それまでは政党や候補者に関わらずより良い方向になるようにとだけ考えて投票していたのですが、止めました。より良いというのは自分が今後生活していく上で良いという普通の考えでした。短期的な考え方です。
けれども今は、今現在選挙権の無い子供たち(または生まれてきていない子供)にとって良い投票をしようと考えています。実際には候補者も政党もそんな視点を持っていないので難しい選択ではあります。しかしながら、今は、そう考えて投票するのが最も合理的な気がしています。その理由は以下です。
今現在、出生数は急減しています。生まれてくる子供の数を急減させてしまったのは、それが予想できていながら何もしてこなかったからです。私たちの政府は対策という言葉を発してはいましたが、言うだけでした。そして年齢別人口の構成比を以前とは随分と変えてしまいました。それにも関わらず、「人の労働の成果を掠め取る」という方式で税金の取り続けています。そしてそれを変えようとする気配はありません。このままでは人を労働時間をベースとした労働の虜に押し込めてしまうでしょう。モダン・タイムス時代に逆走して行く懸念が大いにあります。
昭和の初〜中期から勤め人比率が増加して現在は9割となっています。9割の人は自分の収入を自分自身で決められません。収入は時間比例とされていますから自分自身で人生の時間をどのように使うかも決められません。それなのに税金の方は政策で勝手に決められて勝手に上がってしまいます。(←なぜか自分たちで投票している人間がやっている) このような事をこのまま続けるのは難しい気がしますが、いかがでしょうか? これは単純な足し算引き算の問題に過ぎません。
もう一つの問題は、現在の日本では低いレベルの技能労働者を養成する学校を作ったりその卒業生を活躍するような事ばかりが(地域の活性化という名目もある)多数行われています。確かにそれは単純労働の訓練ではないのですが、自動継承できなくなった技能や知識を学校という枠組みが代替するものに過ぎません。またサイバーテロに備えた高度人材と銘打っていても実際には創造的な人材ではなくて身につけた技能を活用するに過ぎないものです。高度という言葉の意味がズレているとしか感じられません。
こうした事は、昨今のニュースを見てわかる通り、日本が技術で勝負して国際社会で生きていくとしたら無意味だというのは誰にでもわかります。例えばAIの技術者を養成とか言っている企業が多数ありますが、それを盛んにやっている国で働くにはマスター、ドクターでないと相手にされません。実際に日本の大学の卒業証書がビザ発給に役立たない場合も出てきています。日本は創造的な活動の元になる大学教育や研究への予算を削っているそうです。
その行き着く先は最近流行りのインバウンド需要、つまり外国人観光客相手に日本人全員で忍者の衣装を着けてお土産物売りでもするって話でしょうか? そういう手もあるにあると思いますが、皆さんはお子さんにそれをしろと言えますか? ン十年前に、ある国へ旅行した時にバスを降りると手にお土産物をぶら下げた子供たちが群がってついて来ました。私が歩くとその後方にはその子たちで三角形ができました。今はもうその国は豊かになってそんな事は無くなりましたが、日本がそうなる可能性が全く無いとは言えません。
さらに気になる事がまだあります。それは人権の問題です。人権と言いますと、大上段に構えた言い方ですが、そうではなくて身近な問題です。例えば、母子家庭、父子家庭というのがあります。これに関していろいろ言う人がいます。多くは結婚の問題は個人の問題だから自己責任という言い方です。ですが、理由あってそれを選択する方や子供に人権はありますから、不利益は許されません。そして個人の自由でその状態を選択するのも権利として認められなければなりません。人の自由とはそういうもののはずです。そしてそうした状態にいる方々は昔からたくさんいます。つまり一定の社会現象でもあります。見て見ぬフリはできません。
にも関わらず、自己責任だからという事が言われます。そうです、自己責任です。ですが、自己責任の問題と社会側の問題は区別して考えなければなりません。それをその人が選んだにせよ、仕方なくにせよ、社会はその人たちや子供たちを不利な立場に置いておくべきではないのです。なぜならば、それを不利にしてしまうと個人の自由を制限してしまうからです。それでも現在の政治や社会はずっと放置したままで昭和の時代と変わっていません。これでは、子供が多く生まれるわけはありません。
例えば、氷河期世代というのがあります。ある世代の人たちはたまたま景気が悪かったという事のみで不利な立場に置かれました。そして政府は今頃になって援助していると言っています。21世紀の今でも企業は新卒一括採用をしていますし、就業年数に応じた給料を払いますのでいくら援助しても不利は変わりません。つまりこれも放置です。もし独特の慣習を止めていればそもそも氷河期世代というものは無かったはずです。自分で学びたい時に学び、自分で働きたい時に働けるようになっていれば良いわけです。年齢も世代も関係ありませんし、何度でも知識や思考をアップデートできます。そして転職も不利にはなりません。ですが、現実は世代間格差、転職不利のまま誰も何もしてきませんでした。つまり、人権と自由を奪ったままに放っておいたのです。よく、民主主義の限界のような事を言う方がいますが、私たちは民主主義を限界どころかほとんど何も試していないと言えます。
話を元に戻しますが、私たちは次の世代に何を残しておくべきでしょうか? このままホワイトカラー時給労働者を続けてもらいたいでしょうか? 政府が公休日を決めないと休暇が取れず、自分と家族の休暇を自分自身で決められない人たちでいてもらうのが良いでしょうか? 自分自身を紹介する時に会社名や仕事によってしか言えない人になってもらいたいでしょうか? 勝手に決められた定年によって生き甲斐を失い、残された余命をテレビの前に座って過ごす人にしたいでしょうか?
私やそれより上の世代はもうどうでも良いのです。ほとんど手遅れですから。だから私がすべき事は自分の失敗の精算だけです。自分にとって良いと考えての投票など意味がありません。人間、年金の事や退職金の事が頭をよぎったら、すべき事は次へのお膳立て、環境作り、そして下働きにすべきだと考えます。どうせ前へ出ても時代遅れなのですから。
というわけで、私は投票を楽しみにしています。
※タイトル画は海外で使われる日本の忍者のイメージを新たに描いてみました。日本人が思う忍者とはずいぶん違ったものになっています。フォントもそれらしいものを選んでいます。笑ってください。
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