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Black Eyeは究極のラブソングという話

⚠️この記事には映画『ファイトクラブ』のネタバレが含まれます。「Black Eye」や「Psycho」のMVを含め多くの作品でオマージュされている映画なので、一度観てみることを強くオススメします。(できるだけネタバレなしで観てほしい作品です)

⚠️また、本記事は『ファイトクラブ』のストーリーを知っていることを前提として書いていますので、実は主人公とタイラーが〜!みたいな説明は一切していません。映画において一番重要なネタバレをしていますので、ご注意ください。




歌詞と『ファイトクラブ』

まずは、「Black Eye」の歌詞が『ファイトクラブ』に描かれている「僕」の心情とリンクして聞こえるという話から始めたい。

「Black Eye」の歌詞は全て英語で書かれており、韓国語が分からない私にとっては正直とてもありがたかった。
MVの英語字幕をオンにして曲を聴こうもんなら、「わかる!わかるぞ…!」状態だ。
とはいえ、もちろん知らない単語もあった。その1つが”muzzle”だ。
日本語字幕を見てみると「猿ぐつわ」と翻訳されている。へえ〜と思いながら、全体的な意味を掴みたくてネットで意味を検索してみると、次のような3つの説明が出てきた。

the mouth and nose of an animal, especially a dog

a
covering put over an animal's nose and mouth in order to prevent it from biting

the end of a
gun barrel, where the bullets come out

Cambridge Dictionary online

まず、1つ目は「動物、特に犬の口と鼻」ということで、そんな意味もあるんだな〜ふ〜んくらいのものだ。

2つ目こそが日本語字幕に使われていた「猿ぐつわ」を指している。なるほど、なるほど。ワンちゃんの口と鼻を覆っている“アレ“が“muzzle”なのか。
そういえば、バーノンもMVの中で、”muzzle”と歌いながら自分の口と鼻を手で覆っている。ジェスチャーでも“muzzle”の意味を示してくれていた。

だいぶスッキリした気持ちで、「なんだ、もう一つ意味があるのか?」と3つ目の意味を読んだ。ここで衝撃が走ったのだ。
3つ目の意味は「銃口」。
ここで私はふと、目の痣やふさふさの服、四面を柵で囲む演出などと結びつけて、「え…『ファイトクラブ』…?」となった。

まあ、落ち着いて考えると、『ファイトクラブ』で主人公の「僕」が行った「銃口を口に入れる」は、英語で“put a muzzle in one’s mouth”になるだろうから、歌詞での意味はバーノンがジェスチャーでも示してくれているように「猿ぐつわ」が正しいとわかる。
しかし、“「Black Eye」の歌詞って『ファイトクラブ』っぽいかも“という呪縛にかかった私は、「猿ぐつわ」という意味の”put a muzzle on me”という歌詞にも『ファイトクラブ』っぽさを感じ始めた。

この部分の歌詞は日本語で「僕に猿ぐつわを噛ませてみろ」と訳されているが、調べてみると”put a muzzle on it”で「猿ぐつわをしとけ」つまり「黙ってろ(=shut up)」の意味になることが分かった。
これを踏まえると、”put a muzzle on me”は「僕を黙らせろ」という意味も含んでいることになる。
『ファイトクラブ』で、「僕」はタイラーを黙らせるために自らの口を銃で撃ち、タイラーを消し去った。このような、自らを自らの力で黙らせたいとする強い思いが「Black Eye」の歌詞(特にサビ)から読み取れないだろうか。

サビは、悪い振る舞いをしている僕を止めないでと言いながら、そのすぐ後に、「出口を教えてくれ」「この悪夢から目を覚させてくれ」と正反対なことを言う。
“my worst behavior”を望む人格と、やめたい人格が、1つの体の中で争い合っているようにも聞こえないだろうか。
また、サビ以外の「僕は何人か友だちがいる、僕、僕自身そして僕さ(just me myself and i)」という歌詞も、自分以外の人格が存在していることを示唆している。

とはいえ、この歌詞の話し手は、本当に人格分裂をしているのかというと、そういうわけでもない。『ファイトクラブ』の主人公は完全に人格分裂を起こしていたが、「Black Eye」では自分の中に確かに存在する矛盾や、理想の自分と実際の自分とのギャップの間で苦しむ様を表しているとも考えられる。

バーノンはインタビュー(*1)の中で、MVについて「混乱していて、最後には解消されて」と語っている。
自分の中にある正反対の人格に苦しむ様子こそが、この「混乱」状態と言えるのではないか。

『ファイトクラブ』のタイラーは、「僕」の中に眠るイヤな男性性(ひいては「僕」を捨てた父親のこと。「僕」が自分の中に“ない“と思っているものであり、あってほしいと思っていると同時に“あるべき”という呪縛から解放されたいと願うもの)の象徴である。
そして、映画のラストで、「僕」はそんなタイラーを消し去り、弱い自分を受け入れて、マーラ(好きな女性)と手を繋ぐ。

「Black Eye」の歌詞の最後で、話し手はドアをノックして「誰かいませんか」と問いかけている。
友達は自分自身だけだった話し手が、また“U”(=you、日本語字幕では「君」)を避けるような態度を取っていた話し手が、自分を受け入れ、他人とのつながりを求めたことがわかる。



「Black Eye」とラブストーリー

マーラの名前が出てきたところで、少し『ファイトクラブ』に関する話がしたい。

上述したように『ファイトクラブ』のテーマの1つは、「主人公のように、理想の自分じゃないとしても、弱い自分を受け入れることで一歩を踏み出せるよ」というようなものだ。

しかし、この映画には他にもテーマが隠れている。
資本主義へのアンチテーゼだとかそういうことは一旦置いておいて、もう1つのテーマ「究極のラブストーリー」について話したい。

『ファイトクラブ』の印象に残るシーンの1つとして、癌患者のクロエのスピーチシーンがある。
このシーンでクロエは「死を恐れなくなりました。ただ一つ耐えられないのは孤独です」と語っている。その後、セックスをしたいだのなんだのと下ネタを話し始めて主催者に止められてしまうが、つまりここで重要なポイントは、“死は怖くないけど孤独には耐えられなくて、いま何がしたいかというと、誰かと愛し合いたい“といった内容が語られている点だ。
「僕」も映画のラストで、マーラの姿を見かけることで決心がつき、自分の口を銃で撃ってタイラーを撃退し、それからマーラと手を繋ぐ。

つまり、この映画は、死は怖くない(飛行機が傾いたら事故になれと願うことからもわかる)けど孤独には耐えられない主人公「僕」が、マーラという女性との愛を見つけて終わる究極のハッピーエンド・ラブストーリーなのだ。

「Black Eye」に話を戻すと、歌詞に“Solitude(孤独)”という単語が出てくるし、さらに話し手は「暗闇の中に僕を置いていかないで」「君がもし近づきすぎたら、僕は君を丸ごと燃やしてしまうかもしれない」などと話す。この歌詞の話し手も、『ファイトクラブ』の「僕」と同じように孤独に苦しんでいるのだ。

しかし、先ほども言ったように、歌詞の最後は“君“が閉めたドアをノックして、そこにいる“誰か”を求めるセリフで終わっている。

“君”を「無垢な瞳で君は眩しく微笑む」「君の輝きを無駄にするのはやめてくれ」「一晩中踊ろう」と描写しながら、“君”が自分に近づくことや自分を救ってくれることを拒絶していた話し手が、最後には「何もない」自分を受け入れて、“君”を求めて、この曲は閉じられる。

“君”と一緒にいると決めたことで、「孤独」という苦しみが「解消」される。
まさに究極のラブソングだ。



余談:MVと『ファイトクラブ』

ここまでは歌詞に注目しながら曲の解釈をおこなってきたが、MVの映像にも少し注目しておきたい。

とはいえ、言いたいことはすでに言い終わったので、この項目では、主に「Black Eye」のMVにも『ファイトクラブ』っぽいシーンがあるよねという事実だけを羅列している。

この項目は余談として読みたい人だけ読んでいただければ十分だ。

まず1つ目は、初っ端の、バーノンが片目を押さえて叫ぶシーン。バーノンはビハインド(*2)の中でこのシーンを「鏡を見ていたら突然 目に痣ができた姿を見て大声で叫ぶ」と表現していた。
鏡は人格分裂の象徴として、多くの映像作品で使用されてきたド定番アイテムだ。
バーノンは左目を押さえていたはずなのに、痣が浮き上がるのは右目になっている点を踏まえると、片方は鏡の中のバーノンということになる。画面の左下に枠があるので、おそらく痣が浮かび上がるバーノンが鏡の中のバーノン(=もう一つの人格)ということになるが、ここでは鏡の外と中のどちらが本物の人格かという点はあまり重要ではない。それよりもむしろ、片方の人格が片方の人格を傷付けた=自らで自らを傷つけ痣をつけたこと、そしてそれを別人格がおこなっているので、片方の人格は”他人”に傷つけられたと思ってしまっているという点が重要だ。
本当は自分で自分を苦しめているのに、それを”他人”のせいにしたい、“他人”のせいにしてしまう経験は誰にでもあるものだろう。
そんな普遍的な、しかしとても強烈な苦しみがこのシーンに現れている。

2つ目は、自分が映るテレビをバッドで壊すシーンだ。
これも鏡と似ていて、テレビに映る自分はもう一人の自分と解釈でき、それを壊す行為でもう一人の自分から解放されたいと願う気持ちが表現されている。

3つ目は、”f***ing”の歌詞とともに流されるピー音と、そこでサブリミナル効果的に一瞬の映像が映し出されるシーン。
『ファイトクラブ』では、タイラーがファミリー映画にセクシーな映像を一瞬だけ映してサブリミナル効果を狙うという悪事を行っていた。
MVの方では、もちろんセクシーな映像なんかではなく、バーノンのアップや砂嵐が映し出されるだけだが、Fワードと共に一瞬だけ映像が乱れるというのは『ファイトクラブ』を彷彿とさせる。

さらに、四面を囲むフェンス(リング=ファイトする場所をイメージさせる)や、カメラの中のバーノンがビデオカメラを持っているシーン(第四の壁の崩壊)など、『ファイトクラブ』っぽいシーンはこじつけていけばいくらでも見つかりそうだ。

MVがこの映画をオマージュしているのかどうかは分からないが、とにかく『ファイトクラブ』というフィルターを通してMVを見てみると、新たな曲の解釈が生まれるかもしれないので、気になった方は試してみてほしい。


最後に、X(旧Twitter)でも言及したが、MVの中でバーノンが穴を覗き込んでいるシーンは、おそらく『ストレンジャー・シングス』のオマージュだ。
これは正直、穴のビジュアルがそっくりなので、オマージュで間違いないと思われる。

そう考えると、赤と青が効果的に使われていることも、点滅するシーンも『ストレンジャー・シングス』から引用しているのかもしれない。
(『ストレンジャー・シングス』において、表の世界=現実世界は青色で、裏の世界=穴の中の世界は赤色で演出がされている。また裏の世界にいる人物との交信手段は光の点滅)

しかし、私には『ストレンジャー・シングス』と「Black Eye」のつながりを見つけ出すことができなかったので、今回の記事では触れなかった。


この点に関して、何か思いつくことがあった時には、追記したいと思う。

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*1. [17:terview] EP. VERNON: ‘Black Eye’
*2. [INSIDE SEVENTEEN] VERNON ‘Black Eye’ BEHIND

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