コロナやりました
せっかくなので記録しておこうと思います。
8月25日(金)の午後。
ライヴ観覧に出かけるに先駆けて腹ごしらえを…などとルートを考えながら化粧をしていたらムムムッ、これはおかしい。熱があるんじゃない? 急激に体がポッポしてきて頭痛がガンガン。もしや熱中症だろうか。だったらイヤだなあ、いかにも中高年だなあ。測ってみたら37.6度。風邪をひいたって熱なんか滅多に出さない私としては驚異の数字である。なにはともあれライヴはキャンセル。そのまま寝てしまう。コロナか? コロナなのか? ついにきたのか?
8月26日。
熱、下がらず。だからといって38度を超えるでもなく、ワクチン以来常備しているカロナールの登場には至らない。そもそも熱というのは悪いものを追い出すための闘いの成果であって…などと理屈を捏ねて耐える薬嫌い。ワクチンも2回しか受けていない。2度目のモデルナの副反応で40度に迫る熱が2日も続き、腕も真っ赤になってなかなか腫れが引かなかったので、もう絶対イヤだ!と、やめてしまった。あれに比べれば、発熱に限っていえばコロナ本番の方がずっとラクだ。あぁ、しかし抗原検査キットを切らしていた今、かあ。買っておかなきゃって思ってはいたんだが。
旧Twitter に業務連絡を兼ねて「発熱」と投稿。それを見たご近所さんが早速レプをくださって、「何か必要なら届けます」と。ありがたい。この頃にはコロナ陽性の自己診断の上、ネットで確認して「最初の5日間は外出禁止(推奨)」とあったので、家中の飲料・食料でシミュレーションしてなんとか持ち堪えられそうだ、Uberもあるし…ぐらいの心構えはできていた。食欲はある。
8月27日。
相変わらず37度台で上がったり下がったりの熱。すっごくダルい。床に引き摺り込まれそうに体が重たくて、起き上がるのがつらい。そして腰から下の節々が痛い。朝イチで先のご近所さんが連絡をくれて、「とりあえず何か持っていく」と。飲食共に足りてはいたが、ありがたくいただくことに。少し食欲も落ちてきたので、ヨーグルトやゼリーのようなツルッと系のものをリクエスト。同じ縄張りだから同じスーパーのものかと思われるあれこれの、私が日常的に選ぶものよりランクの高そうなやつがドッサリ運ばれてきた。コロナ先輩でもあるご近所さん、要領を得た差し入れに大いに感謝。「顔だけ見てすぐ帰る」と言われて何気にドアを開けてしまったが、あちらのマスク姿を見てアワワッ、そうだマスク忘れてた! 大変な失礼をはたらいてしまったのでした。小さな冷蔵庫が満杯になった。それだけで安心感が増す。そうだ、抗原検査キットを頼めばよかったのかもしれない。調べて陽性を確認したところで何が変わるわけでもないけれど。
8月28日。
下がりきらない熱。ちょっと咳も出てきた。私の風邪は常に喉風邪で、こじらせると気管支炎になって咳がモンのすごいことになる。仕事の上で最も困るのがこの症状、なので咳止めの薬はシノゴノ言わずにのむ。といっても医者に行くほどじゃない、といつも市販の漢方薬だけど。その風邪すらも、もう4年ぐらいひいてない。なので咳すら怖い。コロナの咳だと思うと余計に怖い。エクモに繋がれた重症者の姿を映像で観たのを思い出す。食欲無し。差し入れのプリンやゼリーが美味しい。なんだか背中が痛い。寝過ぎかな。
8月29日。
熱が37度線を上下する。そして、ふと気がつくと36度台に。その数字を見るや、にわかに元気が出てくる。お腹も空く。単純だ。とりあえずシャワー…と思ったらフラフラするわ、腕が上がらないわ。ダメじゃん、ねえ、弱々しい。体の痛みは下から上に移動してきた気がする。それで思い出したんだけど、発熱前の2日間ほど足がやったら疲れたんだよなあ。前日は歩ききれずに途中でタクシー拾っちゃったくらい、膝下がダルいというか重たいというか。あれ、前触れだったのかしら。ところで、ラーメン食べたい。ラーメンは家には無いんだ。Uberしちゃおうか…なんて思ってたら、あら、嫌な予感。味がしなくない? コロナの特徴的症状、味覚障害。もうこれでコロナ確定。匂いもしなくなってきた。食欲は戻ってきたのに、皮肉なものだ。夜にはすっかり無味無臭の世界に。そして咳はちょい悪化。
発症直前に会った人、寄ったお店、みなさん大丈夫だったかしら。インスタとFacebook のストーリーズに業務連絡として感染報告を流す。レスを見る限り、いわゆる濃厚接触者に当たる人たちは元気に活動中の様子。よかった。そしてますますわからない、感染経路。
8月30日。
熱はもう大丈夫。発症から5日経ったし、咳止めの薬だけでも出してもらえるかな…と駅前のかかりつけ医に電話。かかりつけ医といっても、お陰様で健康なもので全然かかりつけていないのだけど、丁寧に応対していただき、「発熱外来は別の個室になっていますから大丈夫ですよ」とのこと。受付も別なのかと問えば「いや、それは同じです」って、えーっ。でも考えたら私的には何も問題無いわけで、マスクだけして堂々と病院にお出まし。確かに受付は1つ、だけど熱がある人は待合室には入れない。といっても自己申告。窓口の隅っこから遠慮がちに「先ほどお電話した染谷ですけど」と言おうとしたらなんと声が出ない! ウォォォッ。咳払い1つ、そして再挑戦。「先ほどお電話した染谷です」と叫ぶ。ゲホゲホッ。「染谷さん…どうされました?」「熱はもう下がったんですけど咳が治らないので診ていただきたくて」と再びシャウト。待合室から冷たい視線が注がれている、気がする。だよねえ、絶対コロナだもんね、この人、エンガチョって感じよね。ようやく話が通じて問診票を渡される。これがまた、ぼんやり頭に力の入らない手で2枚、記入もなかなか大変である。検温はいきなりの36度。問診票を提出すると、「あちらの、外の椅子にかけてお待ちください」と。外といってもそこは駅ビル内の通路で、しかも隣接の皮膚科の入り口と繋がっている。いいのか? まあ、見た目にはわかるまいが。
そのエリアに渋谷のひと昔前のギャルっぽい子が、正にひと昔前の渋谷のギャルっぽく床に体育座りしていた。看護師さんが出てきて名前を呼ぶと、その子がゆっくり顔を上げ、イヤフォンを外して、もう一度呼ばれた名前に反応して立ち上がった。あんたも声が出ないのかい? 看護師さんに引き立てられて角を曲がっていくギャル。なるほど、そっちが別室の入り口か。ややもして戻ってきたギャルは再び床に座り込む。少ししてから私の名前が呼ばれた。はいっ! 今度はしっかり声が出た。看護師さんについて裏口に回る。「発症が25日?ずいぶん我慢して頑張っちゃいましたね」と言われる。そういうのを褒め言葉だと思ってしまう私は昭和の根性体育会系育ち。はい、頑張りました。しかしその答えは「もっと早くくれば薬があったのに」だった、と後で知る。
ドアを開け放った個室にはベッドと椅子と懐かしのアクリル板が置かれたテーブル。そこでしばし待つ。「味覚が無いってのは間違いなくコロナだけど、一応検査しとく?」滅多にお目にかかれない院長が直々の登場。「PCRですか?」「いや、今PCRは高くなっちゃってるから抗原でいいんじゃない?」「お願いします」って感じで鼻からグリグリ。そういえば、5類になる前は駅前でもPCR検査を無料でやってて何度も受けたけど、あれは舌下で唾液を採取する方式で正確さは劣ると聞いた。昨夏の入院時の鼻からグリグリPCRはびっくりするくらい奥まで突っ込まれて、これか!と思ったものだが、今回の抗原検査もそれに負けず劣らずのグリグリっぷりで、目から綿棒が飛び出すんじゃないかと思うほど容赦無し。その一連の動作を右手一本でこなした院長がいったんドアの向こうに姿を消す。エクモがどうしたとかいう会話がうっすら聞こえてきて一瞬ビビる。「あぁ、まだ出てるねえ」ドアを開けて戸口に佇んだまま院長が言う。もしやソーシャルディスタンスをお取りになってらっしゃる? 「陽性ってことですか?」「そう、陽性。発症から遅くとも48時間以内に投与したい薬はあったんだけど、ここまで時間が経っちゃうともう普通の咳止めになっちゃうんだよねえ」って、え? そんな早く来ちゃってよかったの? と、我慢を褒められたわけじゃなかったことを知る。「まあ、最近はほとんど軽症だから、この感じなら心配無いでしょう。引き続き家で休んでください」 そう言うと院長はトットと陰性の世界へ帰って行った。入れ替わりに看護師さんが出てきて今後の説明をしてくれる。その時にくれたのが写真の用紙。発症から5日というのは、発症翌日から数えるらしい。つまり、この日で私はまだ4日。そりゃ「出てる」わな。何かが自分からプシャーッと出ている絵柄が目に浮かぶ。外出を控える云々は「すべて推奨であって強制ではないです」とのこと。先ほどの待合椅子に送り返されてボーッとしていると、そこに受付の人が出てきてくれてお会計。こんな、完全に陽性な、ばい菌みたいな人間を相手にどこまでも優しく親切に対応してくれるあなた方は天使ですか? 「お大事にぃ」と見送られて私が隣の薬局へ向かう頃、別の待合椅子に座っていた女性が看護師さんに連行されて秘密の裏口へしずしずと進んでいった。
薬局も密かに入り口が分かれていた。熱がある人用、と表示された隅っこの扉から遠慮がちに覗くと、即、中から指示が飛んで仕切りの向こうの小さなコーナーへ送り込まれた。なんだか時間がかかってるなあ、と思ったら「指定の薬が不足しているので漢方薬でもいいか」と。それが咳薬だったので効能が同じであることだけ確かめてOKすると、医院の方にも電話で確認をとっている声が聞こえた。ちょうどこの日の夜にニュースでもやっていたけど、喉や咳の薬が全般に不足しているんだそうだ。市販のイソジンが無くなるのとはレベルの違う話。最近はいちいち感染者数のチェックをしていなかったけれど、マジヤバイ感じかもしれない。そもそも私だって、今日の検査をしなければ陽性者数にカウントされないまま終わっていたわけで、実態は誰も把握していないんだよね、5類だから。
発症から48時間以内だったらイベルメクチンとかそういう新しい薬が投与されたのかも、だが薬嫌い的にはそれも恐ろしい。だいたい、発熱から2日は自力で医者になんか来られなかったよ。来るとしたら誰かに手伝ってもらうか、近いけどタクシーを使うか、いずれにしても人を巻き込んでしまう。でも、ひとり暮らしのシニアだから我慢しているうちに重症化してしまう可能性も無きにしも非ず。どっちが正解なんだろう。
暑い日だった。ついでにスーパーで食料品の買い出し。昼下がりで空いていたので、マスクをしてパパパッと必要なものだけセルフレジで購入。推奨、だからね。とはいえ陽性ちゃんである。なんだか後ろめたくてコソコソしてしまう。今、私を怒らせたらマスク外してガォォォ!だぞ、とか思う。自分の身を守るためではなく周りのためのマスク着用を初めて実体験。幸い、この間に激しく咳き込むことはなかった。最近、暑いのにマスクをしている人や軽い咳をしている人が増えているように感じていたけれど、皆さんもしかしてこういうこと? でも、こういうことなのにノーマスクな人もいるんだろうな。だからもう、どこで誰から拾ったかなんてわからない。そういえば、薬局で対応してくれた担当者もマスクの下でケホケホしていた。もしや治ったばかりの免疫最強状態の人が送り込まれているんだろうか、あのコロナ対応窓口に…。
8月31日
月末。大きな〆切があったのだが間に合いそうにない。とりあえず半分ぐらいできていたのを提出しながら事情説明。週明けまで余裕をいただけることになり、その途端にガックリくたびれてまた寝込んでしまった。昨日の外出も疲労を招いたに違いない。首が痛い。あと頭痛。やっぱり痛みが上へ上へ進んでいるようだ。味覚と嗅覚は完全に消えた。お腹はゴォゴォ鳴っている。栄養もつけなくちゃ。だからとっておきの備蓄品である高級サバ缶など取り出して見つめるも、味がしないんだと思ったらもったいなくて開けられない。相変わらずラーメンが食べたいけど、これまた美味しくないんじゃ作る気にならない。私って、ケチだ。朝晩、素麺。朝は麺つゆの味と香りを想像で補いながら食べたらそれなりだった。てことは、と閃いて、夜は素麺を温かい麺つゆですすりながらラーメンの味を想像してみた。なんとなくうまくいった気がした。人体の不思議。
9月1日
月が変わってしまった。相変わらず暑い。月末〆の請求書も作らなければいけなかった。あと、たまたま賃貸契約更新の時期で、振り込みやら契約書やらの〆切もあった。遅れる事情を電話で説明。「お大事に」と言ってくれるかどうかは何かの指針かもしれないなあ、と思う。
もしかしたら味覚が戻ってきたかも? 嗅覚の方が進行が遅いみたい。熱い冷たい、塩っぱい辛い…という刺激はずっと感知できていた。舌の各部位に食べ物を乗っけて検討。匂いが伴わないと味覚も完全には戻らないってことなのかな。ホント不思議。昨日の買い出しでも結局すぐ食べられるようなものばかり買ってしまったのでプラスチックゴミの量が半端ない。
咳はこれ以上ひどくならなそう。飲み込めないほど喉が痛くなったという話も耳にしていたけれど、そこまでには至らなそうだ。とはいえ出る時は出てしまう変な咳。通訳業務はしばしお預けだ。今日も2件ほどお断りして悲しくなった。薬は真面目にのまねば。そして薬を真面目にのむために食事を真面目にとらねば。そういえば、亜鉛を処方された。薬剤師さんによれば味覚障害への対処とのこと。薬は他に咳関係が2種類と、また発熱した場合の頓服で、後者は幸い出番無し。次の機会…なんか無い方がいいけど…に使えるように保存。
診療費 3,580円。薬代 1,080円。
9月2日
ガンガン歩いていた私が1週間歩かないと、すっかり弱った気持ちになってしまう。陽が落ちるのを待って、買い物がてらちょっとだけウォーキン。ひとりで歩いている分にはよかろう、とマスクは外して腕に巻く。そういや、こんなことしてた時期もあったな。あれはいつ頃だろう。スーパーでコソコソと買い物。セルフレジなら接触ゼロだ。コロナ共存の世も3年半…いや、そろそろ4年になろうとしているのだな。今は発熱外来をはじめ、医者も薬局もコロナ対応が確立されている。そういえば、最後にあのかかりつけ医に行ったのは健康診断の結果を受け取りに行った時で、ちょうどハイリスク者対象のワクチン接種が始まるタイミングだったんだ。高齢者とその付き添いと、集団で申し込みをする介護関係の人と、大勢を密にならないように捌かなきゃいけないのに要領を得ない現場はそれこそ上へ下への大騒ぎで、私なんぞは「はい、異常無し、そのままお帰りください」って、血圧の相談もできずに追い返されたのだけど、まあ、その後ずっと元気だったので問題無かったんだろうし、問題の無い人にあの場に居場所は無かったよな…なんて思い出す。今はワクチンも余裕らしいし、何でもデリバリー可能だし、世の中の隅々までコロナ対応が行き届いているので、そういう意味では出遅れてよかった。当初、わけもわからず亡くなってしまった人、公開で謝罪させられた人、店ごと閉めざるを得なかった人…からしたら、あれは何だったの?って感じだろう。
手の甲にブツブツができて痒い。これもコロナ関連の症状?
9月3日
〆切仕事を頑張る。集中できないとか、すぐ疲れてしまうとか、そういった症状がコロナによるものなのかどうかは定かじゃない。味覚は戻ってきた。まだちょっとアヤフヤな感じもあるけれど、美味しく食べられるようになった。いつの間にか匂いもする。最初に実感したのは洗濯物の柔軟剤の匂い。良い匂いで幸いだった。夜中にこっそりゴミを出す。燃えるゴミ。あんまり量は無い。
手の甲のブツブツがさらに広がった。薬の影響かなあ。これを治すのにまた薬ってのもイヤだから、自然に治ってくれるといいけど。
9月4日
猶予をいただいた仕事の〆切は今朝、だったけど間に合わなくて夕方になってしまった。提出して安堵。それでまたくたびれたのか、薬をのむためにご飯を食べて、すぐ寝てしまう。
手のブツブツは相変わらず。同じような症状があった、という声が snsで2件寄せられた。こういう話は何故かDMでくる。乾燥もあるのかも、と思ってワセリンを塗ってみたいしている。
溜まりに溜まったプラゴミを出す。孤独死の後処理をした業者の人が「チンする白米の容器がいっぱいあったから食べてはいたんだろうけど、おかずの気配がまったく無かった」みたいなことを言っていたのを何かで読んだのを思い出す。このまま溜め込んで死んだらいけないゴミだ、これは。だから出せてホッとした。
体の痛みはもう無い。足から始まっていたのだとしたら、上昇して見事に頭から抜けていった形だ。
推奨された自宅療養期間は今日で終了。味覚も嗅覚もばっちり。咳は出るが悪化はしていない。10日間というモデルケースにぴったり収まった形。標準的人類ということか。これも、過去に罹患した皆さんや医療従事者の皆さんがデータを残して分析してくださった結果です。10日を過ぎれば再び検査をする必要は無しということで、私の経験は「発症4日で陽性」という事実を記録しただけですが、枯木も山の賑わい的なデータにはなったでしょうか。
私の母は2019年の12月2日に脳出血で倒れて、意識がほぼ無いまま翌年2月の終わりに療養型の病院に転院したタイミングでコロナが深刻化し、その病院には一度も見舞いがかなわず、そのまま7月に息を引き取った。つまり本人はコロナを知らない。意識がほぼ無いとはいえ、転院時には移動の刺激を受けてか目を覚まして何か喋ろうとしている様子もあったので、もしかしたら「なんで誰も来ないんだろう」と思いながら意思表示できないまま半年もあそこにいたのかな…と想像すると辛く、その一点でコロナが憎いのだが、そういう思いをした人が特に初期の頃には大勢いたに違いない。母が今、生きていたら、と思うとそれはそれで大変そうだから、知らないままコロナの無い世界へ移動してもらえたのは本人にとっても家族にとっても幸いだったのかもしれない。
その後もコロナの影響で法事がままならず、今年はようやく祖母、父、母を揃ってお盆に迎えられるかと思えば台風が直撃。結果的にその影響は大したことなく済んだのだけど、「台風だから帰るのやめておくね」と弟夫婦に連絡した時点で同居の娘家族も含めて6人家族の内5人がコロナになった、という返事。娘は2度目と思われ、2才と0才の孫たちも罹患したそうだ。そんな小さい子が、可哀想に…と思ったら、点滴しながら可愛いポーズを決める2才児の写真が送られてきた。誕生後に両親がコロナになった長女と、コロナ免疫を持つ母親の胎内から人生が始まった次女。そして一家で罹患という、本当の意味で新人類。私なんかとは造りが違うようだ。
9月6日現在
咳はで始めると出る、が出ない時は全然出ない。手のブツブツだけは今も進行中の感あり。左右全く同じ場所に展開している。また我慢してもアレなので、皮膚科に行ってみるかな。。。