IT is my friend・・・? 1

序章 100年後

”R"の開発者? ああ、もうこの世にはいない人物だ。

 オフィスの中空をゆらゆらと広告ディスプレイが漂っている。ディスプレイと言っても実体があるわけではない。空気中に流してある無害な微粒子を磁気的に並べて、そこに映像を映しているのだ。それは文字列やイラスト、たまに動画が水面の木の葉がちょっとした風に翻弄されるように漂っている。この広告の一部がたまにショートして線香花火の最期のひと花のようにジリッと爆ぜる。それが私はたまらなく好きだ。私は大崎蔵人、当社の係長をしている31才、独身だ。思い出せないくらい遠い昔に彼女がいたことがある。

 何かが変わろうとしている。

 ディスプレイに表示されるのはいつもはランチのおすすめとか、社員割引のあるエクササイズスタジオの広告とか、せいぜいIT関連のニュースなんだが、このところ、そう2、3日前から全部が同じ表示に固まってしまっている。提携の広告業者が更新をやめてしまったのは、広告料が取れなくなったのか、はたまた我が社の社員の利益率が低いからなのか、契約を打ち切ったためか。

流れているのは次のようなものだ。


世界規約 インフラ関連法 第1条

世界の完全なる平和を希求する我々世界民及び世界同盟政府は社会インフラの運営、管理については、そのすべてをコンピュータに担わせるものとする。


 これからは上から下までインフラの担い手はすべてコンピュータになるってことだ。私たちの手足も目も耳もすべてをコンピュータがやってくれることになる。この世界法が施行された、つまりそれは強制なんだ。

すべてをコンピュータの手に委ねてよいものか、そう誰しも思っている。それでも私たちの脳が危機を感じないのは実はこの世界法はとうの昔に成立してたからだ。そもそもこの法律の目的はエネルギー消費低減のためにインフラの利用をコンピュータで一括管理して極力無駄を省いていこうという世界的な要請からだった。

 法の成立はもう十数年前のこと。一時は大騒ぎになったもんだが、そんなのはプラスチック製の正月のお飾り餅でしかなかった。っていうのも技術がとても追いつかなかったからなんだ。それがどこからか湧いて出た“R”という新手のコンピュータがすべての障害を一気に乗り越えてしまった。

そんなことだから仕方なくっていうのか、進んでなのか、この法が世界で一斉に施行されることになった。


 我が社は半公半民の会社だ。つまりは株式の過半数を国が持っている。そんなインフラの運営を一手に引き受けてきたIT企業なんだ。

 しかし社員に焦燥感など微塵もない。この法の施行細則に公的な関連企業の社員の身分は国が補償するっていう一文があるからなんだが、国にそれだけの仕事があるとも思えない。それでみんな遊んで暮らせると思っている。

 遊んで暮らすって言ったけど、実はそんな国民は既に全体の三分の一に達していてITの進歩が人の仕事を奪い人を堕落させるのに一役買っている。中でもコンピュータ関連の失業者が一番多いのは皮肉なことだ。なにしろ自ら制御が可能となってしまったコンピュータにはもはや新しいものの開発は不要になってしまったのだから。開発が不要になったとは言っても、コンピュータ内部では毎日何某か新しいものが開発され更新されている。もはや遅々とした人間の手は必要なくなってしまった。


 警察省の犯罪白書によるとハッキング罪の摘発が最も多い。失業して暇を持て余した技術者たちが自分の能力を発揮するところとばかりにハッキングを繰り返し自分の能力を誇示している。そして逮捕される。ハッキングは重罪だ。

この犯罪白書にもう一つ不名誉な数字がある。自殺率が毎年右肩上がりの増加を見せていることだ。そしてこの国に養われている1/3の人々に最も多い。生きる意味を失ってしまったんだから、それも頷けることではあるんだけど。この国の自殺は申告制。まあ、これはおいおい話していくとしよう。

“R”が主導権を握ったこれからはハッキングもより困難になるだろうことは明らかだ。これまではコンピュータとコンピュータの狭間に隙があったのだが、世界中のコンピュータが“R”に統合されたからにはそのニッチも悉く埋められたように思われる。自殺者の増加が懸念される。

 この会社の私の部署はITエマージェンシー部門。何か事が起きた時に対処するっていう最後の砦なんだが、ここ数年はそんな仕事をした覚えはない。

現状、人間は「GO」の命令を出すだけであとはすべてITがやっている。今回の法の施行でその「GO」の命令さえコンピュータが担うことになるのだ。

 このオフィスには大小さまざまなコクーン(繭)のような形状の半透明のブースがいくつも並んでいる。ブースにいるときはそれが仄かに光を放ち、幻想的な世界を見せてくれる。このオフィスもなくなってしまうのかと思うと感慨深い。

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