ほおずきさん三題噺 第十回
お題「休日、ライター(火)、本屋」
こう見えて私たちには専門がある。宝石、書画、骨董などなど。私の専門は書籍だ。その分野での深い知識と経験がある。それは即ちそこで捌けるルートを持っているということだ。
私は日がな古書店を巡る。これぞと思うものがあるとそれを記憶し、徹底的に調査する。そしてその本屋を再度訪れるわけだが、同じところには二度までしか行かない。
先日、寺町で凄いものを見かけた。「エドガー・アラン・ポーの『モルグ街の殺人』の初版本」だ。滅多にお目にかかれない。というかほとんどそれと分かって見ることができる人物はそうはいないだろう。それは悉くホンモノの体裁をしていた。あるべきところに印刷の荒れがあり、活字も当時(1841年)のものに間違いない。
木の香りがする店内は整然としており、広い通路に橙系の落ち着いた照明。店主はそれらしい容貌の持ち主で、小沢征爾の髪に松本清張の唇をもち、交差させた両の手を着物の袂に突っ込み憮然として座っていた。
目的のものはキャビネットのガラスケースの中にある。それは夜には金庫に仕舞われるのだろう。金庫はごく簡素な旧式だった。
私はそれらに特に興味を示す風でもなくさらりと見やる。それだけですべてを見る。これがプロたる所以だ。
私は雨の日の夜に動く。外に出てからの形跡をきれいさっぱり洗い流してくれるからだ。店内には雨の雫一滴も残さない。それが私の流儀だ。
音のしない2種類のレインコート、オーバーシューズ、収納用の袋、小型の懐中電灯と大事な小道具一式をバッグに詰める。その上から防水のカバーをする。
夕刻7時。私は寺町に近い喫茶店にいる。外はやさしい霧雨が街を覆っている。私はゆっくり時間をかけて本を読む。当然、世界初の推理小説と言われるポーの「モルグ街の殺人」だ。それから頭の中で手順を反芻しながら煙草をくゆらせる。
日が変わってから傘をさして店の周辺を歩く。決めてある帰りのルートに異常はないか確認するということだ。
終電間際の御池の地下トイレで上着をバッグに詰め、代わりにレインコートを重ね着する。いよいよ仕事に取り掛かる。
ゆっくり店のドアを開け、まずレインコートを脱ぐ。中に入るときオーバーシューズを履きもう一着のレインコートを脱ぐ。雨の日はこんな行為も人目を引かない。
目指すは金庫。懐中電灯で照らすとそれはあるべきところにあった。小道具を使ってものの3分で解錠。
金庫の中・・・
しまった。電池切れだ。まさかこのタイミングで。しかたなくポケットを探ってライターの火をつける。
ジッポッ
そこに、ゆらめく炎の中に映ったものは赤く腫れぼったい松本清張の唇だった。
ああ、これから長い長い私の休日が始まる。