ほおずきさん三題噺 第二十二回

お題【海苔、頭痛、省エネ】

大学のとき付き合っていた合コンで知り合った彼氏を掠(かす)め取られたヒトミと、こともあろうに同じ会社の同じ部署で働くことになろうとは思ってもみなかった。ヒトミは男好きのするタイプなんだそうだが同性の私にはよくわからない。いったいどこがいいのか。

ヒトミはその彼と結婚して1年目。早速、夫との諍(いさか)いで別居中なのだとか。ざまぁみろ、と思いながら表向きは親身に相談に乗っている。思えば何もなかったように私を結婚式に招待してくれるなんてホントどうかしている。そんなヒトミと親しく付き合っている私もどうかしている。

入社3年目になる我が保険会社の自社ビルは地下1階、地上32階。私は12階に通っている。この新社屋は設計ミスで地下室への階段がない。地下へはエレベーターで行くしかなく、そのせいで専(もっぱ)ら不用品の倉庫と成り果てている。そんなことだから安く買い叩いたんだ、という課長の話を小耳に挟んだことがあった。そのエレベーターは3基あるのだが1基は完全に止まっていて、もう1基は平日の出勤時とお昼時、そして夕方の退勤時に動くだけで、いつも動いているのは1基だけ。消灯も午後9時と徹底している。

こんなにケチらなくてもといつも階数ランプが消えたエレベーターを見て思う。だいたいあまり必要とも思えないお客様への粗品にお金をかけ過ぎなんだ。社名の入った置き時計など誰が使うのかと不思議に思う。それでも給料はちゃんといただいてるんだし、そんな不満は口にはしない。それが会社と長く付き合っていく極意なの。


午後8時半までいつものように残業をして帰ろうとすると課長が資料を抱えて近づいてきた。こんな時は左右に首を振る。すると決まって新人の女の子のところにその資料が回ることになる。もっと早く出せよ。いつもそう思う。ヒトミの席を見るともう退社している。彼女は何かと上手くやっている。要領のいいやつだ。

1人、1基しか動いていないエレベーターに乗り込むと自然とため息が出る。

自宅はそばを山手線が通る安アパート。今はヒトミの旦那となった彼にフラれた憂さ晴らしにホストクラブに通い詰めたツケを払い続けてるってわけ。何やってんだろ。

帰り着いてバッグを四隅が綻(ほころ)んだソファーに放り投げると黄緑色の電車が通り過ぎていく。何か玄関あたりで音がしたような。電車が通り過ぎた後、ソファーに腰を下ろすとノックの音がした。

「はーい」きっと宅配便。ネットのセールで買った下着だ。見せる人のいない私が下着にお金をかけるのは無意味。

玄関に出ると肩から黒いバッグを斜めに掛けたショボい男が立っていた。

「はい。どちら様?」

「はい。夢を売りにまいりましたセールスでございます」

「そんなのいらないから」

と、ドアを閉めようとした時、宅配便のカッコいいお兄さんが現れた。

「ハンコかサインを」

字がキレイではない私はサインはしない。

「はーい。ちょっと待ってください」

「ありがとうございます」

フッとため息をついてそのカッコいい背中を見送る。

安下着の箱を抱えて部屋に戻ると黒い男がソファーに座っていた。

「あ、あなたなに?さっさと帰ってよ」

「一度、私どもの夢をご覧になってからにいたしましょう。すぐにお暇(いとま)いたします」

「なによ!そんなのいらないって言ったでしょ!」

「私どもは諺(ことわざ)を売っております。新商品といたしまして四字熟語もございます」

「な、なによそれ」

ちょっと興味が湧いてしまった。

「いえいえ、いきなりお代はいただきません。最初はお試しの後で結構です。まずご覧ください」

黒い男は斜め掛けにした黒いバッグからタブレットを取り出した。

見ると、知っているような知らないような言葉が並んでいる。

「イッカクセンキン」ってどんなのよ。

「さすがお目が高い。一晩、何かで大金持ちになる夢をご覧になれます」

「いくらなのよ」

「一万円でございます」

「一晩の夢で一万円は高いわね」

「みなさまにご満足いただいております」

「ギョフノリって?ぎょ!布海苔?」

「面白いお嬢さんだ。漁夫の利にございます。こちはらプレゼントに皆さまご活用でございます」

「プレゼントもできるんだ」

「左様(さよう)で」

「お嬢さんにはこのシュチニクリンがお勧めです」

男の斜めに生えた前歯が光ったような気がした。

「どんなのよ」

「それはもう、あなたのお好みの殿方があれこれとご奉仕いたします」

「いくらよ」

「五万円でございます」

「高いのねぇ」

なんだかすっかり乗せられている。

「スベテノミチハローマニツウズ、これは?」

「これは歴史愛好家の方からご好評いただいております」

「そうね。やっぱり酒池肉林に勝るものはないわね」

「はい。どうぞお試しくださいませ」

「気に入らなかったらお代はいらないのよね」

「もちろんでございます」

「ではこれということで」

高い買い物をしてしまった。でもお代はいらないんだから。

「楽しい夜をお過ごしください」

そう言うと黒い男は消えるように去っていった。


お風呂に入ってベッドに横になると眠りに吸い込まれていった。

目の前のシャンパンを飲むと運送屋のカッコいいお兄さんが目の前で服を脱ごうとしている。

「ちょ、ちょっと待って」

「どうしたの?キョウコ」

「いや、何でもない」

彼は上半身の美しいフォルムを見せながら衣服をすべて取り去った。

「キョウコ」

ああ、なんて幸せ。

彼の身体に触れる。分厚い胸板、割れた腹筋、立派なあの部分に唇を寄せる。それから彼の上に乗る。転がるように体位を変えながら絶頂に達した。シャンパンを飲むと、憧れのあの俳優が隣で寝ている。唇を重ねた。甘い味がする。俳優は私の上に身体を重ねてきた。

なんてステキなの。

それからまたシャンパンを飲む。目まぐるしく代わっていく男たち。そしてまたシャンパン。

ヒトミのダンナが裸で立っている。身体を重ねる。あの頃と同じだ。あの時の彼のままだった。


目が覚めた。朝だ。

なんだか息が酒臭い。思い切りうがいをして出社した。頭痛までしてくる。昨夜のあの夢とは思えないリアルな感動を思い出すと自然と口元が緩んだ。

「どうしたのよ、キョウコ。さっきからニヤニヤしちゃって。いいことあったの?」

ヒトミが絡んできた。

「まあね」

「彼氏でもできたの?」

「ふふ」

「紹介しなさいよ」

誰がおまえなんかに。

「そんなんじゃないの」

「まぁいいけど」


それから何度か寂しい夜を過ごした。そして雨の日の夜、また黒い男がやってきた。

「如何でございましたでしょうか」

「はい。お支払いします」

封筒に入れた五万円を渡した。

「本日のご用はございますでしょうか」

「メニュー見せてよ」

「はい。どうぞご覧になってください」

このタブレットにはいくつの言葉があるんだろう。と、ふと一つの言葉に目が止まった。

「フクスイボンニカエラズ、これは?」

「こちらは一度失ったものは・・・」

「そんなのは知ってるわよ。どんなことが起きるの?」

「すみませんが、こちらは夢商品ではございません。現実に起きるのでございます」

「どんなことが?」

「一度失ったものは二度と元に戻らないということがでございます」

「何についてとか、どんな風にとかはわからないの?」

「あなた様の思考の中にございますことが起こるのですが、どんな風に起きるかは私には分かり兼ねます」

「そうなんだ。プレゼントもできるのよね」

「左様で」

「贈り主の私のことは先方にわかるの?」

「それはあなた様のご要望次第でございます」

「それじゃこれを佐藤ヒトミに贈って。匿名で」

「こちら10万円の商品でございますがよろしいでしょうか。前払いでございますが」

「わかったわよ」

給料をはたいて買ってしまった。


数日、何も起きなかった。騙されたのかもしれない。こんな非現実的なことを信じた私が馬鹿だった。そう思い始めたころ。

午後8時半。ヒトミが私のところにやってきた。

「ねえ、キョウコ。彼知らない?」

「もう別れたんじゃないの?」

「バカねぇ。仲直りしたのよ」

そうなんだ。なにが覆水盆に返らずよ!

「ここに来てるの?」

「そうなのよ。金曜日だから迎えに来てくれるって」

「ふーん、デートか。電話してみたら?」

「電波が届かないって」

「そうか。心配ね」

心配なんて誰がするか!


月曜日の朝8時、繁忙時用のエレベーターが動き出した。1階でドアが開くと口を開け、目を剥いた男が上半身をエレベーターから出して横たわった。ドアが男の腕に跳ね返されて虚しく開けたり閉めたりを繰り返している。

「会社の省エネに殺されたのよ」

誰か知らない女子社員の声がホールに響いた。

ヒトミは多額の保険金と賠償金を手にして会社を辞めた。

黒い男が今日は佐藤ヒトミのところに、一回目の「タナカラボタモチ」の代金の請求に赴こうとしていた。

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