ほおずきさん三題噺 第七回
お題【パラシュート、真実、カラオケ】
朝、目覚めると知らない女が隣に寝ていた。
「おい、起きろよ」
「何よ、うるさいなぁ。もちょっと寝ようよ」
「ここはどこなんだよ。おい、起きろ」
女が起き上がった。
「おい、勘弁してくれよ。おまえ、誰なんだよ」
髪は一週間ほど手入れをしていないライオンのタテガミのようだし、まつ毛エクステが目尻に2つぶら下がって助けを求めている。
「なんなんだよ。おまえは」
「わたし?わたしは優里香だけどなにか?」
「なにかじゃねえよ。どうしてこんなとこにいるんだよ」
「バカなの?あんた。ラブホ行こうって言ったのあんただよ」
「だいたいおまえのこと知らないし」
「そりゃそうね。わたしも知らないし」
女が首を振るたびに腐った何かと淀んだ何かが絶妙に混じった異様な化粧の臭いがする。
「あんたがいきなり街で声をかけてきたんじゃないのよ」
「おれが?おまえをナンパ?」
「ちょっと待って。お化粧落とすから」
女が洗面所に立った。文明人が有史以来身につけるべき嗜みとしてきた事柄は完全に無視されている。
「なぁ、ところで昨日はおれたちすることしたのか?」
「バーカ、この格好で卓球でもしてたと思うの?」
「いや、カラオケしてたんじゃなかったか?」
「はは、笑える〜。あんたなかなか上手かったよ。美声だし」
うう。そうなんだ。そもそもはだ・・・昨日、社を出たところから振り返ってみよう。
「係長!」私のことだ。
「なんだ?呑みか?」
「いえ、カラオケ行きましょうよ。カラオケで一杯、ね?」こいつは部下の山下。やたら絡んでくるかわいい奴なんだが、ちょっとどこか抜けている。
「あかん。おまえ、カラオケ行ったらいつも軍歌歌うじゃねえか。嫌いなんだよ軍歌。ワケわからんから」
「何言ってるんですか、あれも一つの歴史ですよ。さ、行きましょう」
「あかん。行かへん」
「わっかりました。じゃあ今日は軍靴の足音も突撃ラッパもなしにしますから、ね!行きましょうよ」
「そやったらおまえ、何歌うんだよ」
「ぼく、こう見えて何でも歌いますよ」
「そうか、軍歌なしなら考えんでもない」
実際、カラオケは呑みに行くよりずいぶん安上がりなんだ。
狭い部屋にむさい男が二人。いたたまれない。
「おい、軍歌以外で何か歌えよ。おれはジントニック注文するから」
山下は何曲か入れている。
曲が始まると部屋が少し歪んだ気がした。
「おい、山下!おまえ何を始めるつもりなんだよ」
「ふるさと歌うんすよ。いい歌っすよ」
「うさぎ追ってる場合じゃねえだろう。ここは野っ原じゃねえんだから」
「次は滝廉太郎の花なんすけど・・・」
「勘弁しろよ。おまえ何でも歌えるんじゃねえのかよ」
「係長、唱歌はお嫌いですか?」
「場を考えろって言ってるんだよ。セカオワとかゲス乙女くらい歌えよ」
「なんすか?それ」
「おまえ、秦基博って知ってるか?」
「え?旗本退屈男やったら知ってますよ」
「あかん、おまえ。終わってる。もうしんみり呑もう」
ダクトからいたたまれない空気がどんどん供給されてくる。なんだか寒くさえなってきた。
「わっかりました。じゃちょっとパラシュート部隊呼びます」
「ダメー。今日は軍靴の足音も突撃ラッパもパラシュートもなしだ」
「これはちょっと違うんすよ。まぁ騙されたと思って。ダメだったらすぐに帰ってくださっていいっすから」
「まぁそれなら・・・」
そう言い終らないうちに送信を終えた山下はスマホをソファに放り投げた。三杯目を呑み始めたころ、部屋のドアが開いた。新鮮な空気と共にふたつの若い女性のフェロモンが部屋の色を変えた。
彼女たちはテイラー・スウィフト、ブルーノ・マーズ、レディガガから往年のマドンナまで何でもこなした。
「係長、堪能していただいてますか?」
「おまえ、どうして最初からパラシュート部隊呼ばなかったんだよ」
「でも、最初は係長もダメだって仰ってたじゃないですか」
「なんでパラシュートなんだ?」
「突然舞い降りるスカート穿いた攻撃隊っすよ」
「まさに」
いい気分になって店を出た。四人で街を歩いていたところまでは覚えている。
今、洗面所で何者かに変身しようとしている女はあの二人のうちの一人じゃないのか?
ハロウィンにはまだ10日もあるというのに。どんなのが現れるんだろうかと怖さ半分、怖いもの見たさ半分で洗面所の入り口を見守った。
「はぁつかれたー。お化粧落とすの疲れんのよね。あんた、一緒にお風呂入ろうよ」
洗面所から悪魔の誘いが響く。
「いいよ。おれは」
「来なって。早く」
しかたない。お付き合いするとするか、こういうのを「毒を喰らわば皿まで」っていうんだ。
ところが、洗面所に行って驚いた。おいおい、スッピン!めちゃかわいいやないか!さっきのまつ毛の取れたライオンはどこ行ったんだ。
「毒を喰らわば皿まで」は謹んで撤回せねばなるまい。代わりに教訓としよう。
「真実は小説よりも奇なり」
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