ほおずきさん三題噺 第二十四回
お題【チョコレート、天使、ボブスレー】
「考えてもみてくれよ。俺がバレンタインデーにハッピーでいられるなんてありえないだろ?」
悠太は2日前に彼女にフラれたばかりだった。彼女とはちょうど1年間付き合ったということになるだろうか。あれはちょうど1年前のバレンタインの前だった。大学3年の冬、俺と悠太がスキー場でインストラクターのバイトをしているとき、生徒でもない彼女が滑ってきて悠太の背中にぶつかった。二人とも転がって雪まみれになった。それがきっかけだった。
「諦めたらそれでおしまいだぜ。あと少しある。それまでに彼女見つけろよ。今年も一緒に過ごそうぜ」
「そんなに都合よくできりゃ苦労しないって」
「スキーに行こう。そしたら向こうから滑ってきてくれるって」
男の俺が言うのもなんだけど、悠太はいい男だと思う。いや、語弊がある。悠太はこの1年でいい男になったんだ。その悠太がフラれるなんて。聞くところによると彼女からの一方的な通告だったらしい。出会いも一瞬だったけど、別れも一瞬の出来事だったようだ。
「そう何度も上手くいかないよ。今年はおまえとマコは2人で過ごしてくれよ」
「いや、ダメだ。おまえも一緒だ。マコもそう言ってるんだよ」
「バレンタインにおまえたち2人の仲良いとこを眺めてろってか」
「今年も一緒にスキーに行こう」
*
バレンタインの前の日、俺たちはスキーに出かけた。俺と彩香の思い出のスキー場。去年と同じ、賑やかなスキー場。彩香と出会った場所に立ってみた。
俺はレストハウスの方を向いてスキーの指導をしていた。彩香にぶつかられて2人で雪の中を10mは転がっただろうか。
「大丈夫ですか?」
「うん。大丈夫」
「迂闊だったよ。後ろを気にしてなかった」
「ごめんなさい。ありがとう。あのまんま滑ってたらボブスレー並の勢いでレストハウスに突っ込むところだった」
「ははは、それは良かった。どうですか?もうすぐバイト終わるから君が突っ込んだとこでお茶でも」
とんでもなく魅力的な子だ。
「うん。いいよ。じゃ先に行って待ってる」
こうして付き合い始めた。いや、付き合い始めたのは翌日のバレンタインデーからだろう。
彩香は翌日、俺を探してくれたらしい。
「あ!いた。良かった。はいこれ」
彩香はレストハウスで買ったらしいチョコレートを差し出した。
「え?ありがとう」
「こんなのしかなかったんだ」
「十分だよ。これは昨日のお礼?それとも俺と付き合ってくれるの?」
「あなたのいい方で」
「じゃ付き合う方で」
*
「おい、悠太。思い出に浸ってても彼女はできないぞ」
「待ってんだよ。誰かがぶつかってくんのを」
「ずっと切株に座ってろ」
悠太は彼女のことが忘れられないらしい。無理もない。悠太は彼女と出会ってから幸せそうだった。いつも何かに怒っていた悠太が彼女と出会って初めて謝るのを聞いた。それまでの悠太には「ごめん」というワードはなかった。
*
こうして待ってても誰もぶつかっては来ないだろう。どんな出会いもないだろう。でも、それでいいと思った。
「ユージ、マコは?」
「あいつはもっと上の方にいる。一番上から滑ってくるって言ってた」
「俺たちも行こう」
リフトに乗って一番上まで上がった。すっきり晴れた日にはここから富士山が見えるらしい。レストハウスが雪の中に転がった消しゴムのように見える。スキーヤーはちょうど消しゴムカスのようだ。彩香も俺の前から消しゴムに擦られたように消えてしまった。彩香は「もう会えないから」と言った。どういう意味かわからなかった。
「はあ、白い恋人たちか」
「何言ってんだよ。いくぞ」
あの消しゴムのようなレストハウスから始まったんだと思うとなんだか消えてしまう運命だったのかもしれないと思えてくる。考えてみると彩香がどこに住んでいるのかも正確には知らない。いつも会うのは俺のアパートだった。
*
月日は瞬く間に過ぎていった。俺たちは卒業してからは会うことも稀になった。ユージとマコは結婚し、俺にも結城里美という彼女ができた。取り立てて目立つところがあるわけではない彼女だが、漠然と結婚するのだろうと思った。一度大きな事故に遭ったらしいが、目覚めるとそこに里美の笑顔があった。それが何よりうれしかった。
それから何度目かのバレンタインの日の前日、母が亡くなった。通夜と翌日の葬儀に彼女が手伝いに来てくれた。
「あら悠ちゃん。大きくなってー」
「はい。お陰さまで大きくなりました」
母の妹だった。
「かわいい彼女がいるのねぇ。これからはあなたがしっかりしなきゃって言っても、もう一人っきりになっちゃったね。でもお母さんを一人っきりにするよりはマシよ。あなたたち結婚するの?」
「え?はい。私はそのつもりですが・・・」
彼女を横目で見るとニコニコしている。これで決まりなのだろう。母の遺影も微笑んでいる。
「もう付き合い長いんでしょ?」
「はい。もう何年になるかなぁ?」
「私たちが付き合い始めたのってちょうどバレンタインの日だったから」
「え?そうだっけ?」
「忘れたの?」
あれは夏じゃなかったか。どれだけぼんやりしてるとはいえ・・・
「そうだったかなぁ」
「そうよ。スキー場で私が悠太にぶつかって行ったんだよ。忘れたの?」
ふと隣を見るとそこに彩香がいた。
ユージもマコも誰も里美が彩香だとは言わなかった。
*
翌年、里美と結婚した。
「里美、いや彩香、君は天使なのか?」
里美は何も答えず微笑んだ。それは葬儀の日に見た母の微笑みのようだった。
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