ほおずきさん三題噺 第二十回

お題【おむすび、禁酒、山】

京都北部の奥に家族をもつヤスオは雪深い冬の間だけ伏見の小さな酒造会社に職を求めていた。これは祖父の代からの慣習で、春になると酒を持って帰ってくる祖父や父によって、幼い頃から酒に親しみ、酒の味が判るようになっていた。

作物の収穫が終わり農閑期を迎え少し肌寒さを感じるころにヤスオは京都の町にやってくる。そして紅葉が色づくのを見ながら酒の仕込みをするのである。磨き込まれた米を蒸し、麹を混ぜる。そして寝かせると醪(もろみ)になる。酒造りは温度管理だとヤスオは思っている。筵(むしろ)に眠っているもろみに手を当てればヤスオには熟成具合がわかった。発酵がある程度進むとそれを一石(いっこく)樽の中で水と出会わせる。ここからまた発酵を促していく。ここでもやはり温度が美味い酒を造るのだとヤスオは知っている。

麹臭かった米が樽の中で酒の匂いになっていく過程がヤスオはたまらなく好きだ。ふつふつと発酵していく様は人智を超えた神の御業としか思えなかった。

樽の中をかき混ぜるごとに酒の香りは甘くやさしくなっていった。

年の瀬を迎えるころには樽の中は酒の新鮮な香りになってくる。新酒として出荷できるようになる師走から新年のころ、搾って初めて味をみるのがたまらない。

「ヤスオ、飲み過ぎんじゃねえぞ」

杜氏が言った。杜氏とは酒造りの責任者だ。

「へい。わかってますがな」

ヤスオは去年、試飲と称して一斗(一石の1/10、10升)をひとりで飲んでしまったという前歴があった。

「おまえ、それあんましわかってねえような返事だな」

「わかってますて。ちゃんと試し呑みに留めます」

杜氏もヤスオの舌には一目置いている。

新酒の時期、酒蔵は芳醇な香りに満ちている。今年もいい酒になりそうだ。ヤスオは試飲用の猪口に搾る前のにごり酒を並々と注ぎ、香りを確かめた。申し分ない。味は・・・少しコクが足りない気がする。しかしまだ新酒だ。これから蔵で寝かせてやっと本物の清酒になるのだからコクが足りないのはいた仕方ない。


いよいよ翌日から新酒の瓶詰めをしようという前の夜、ヤスオは今年の出来を確認しようと思った。朝から口の中に唾液が溜まって仕方がない。今年の酒はとびきり香りが良い。

酒蔵に10ほど並んだプラスチックの樽の一番奥の樽に上って中を確かめた。やはり香りはいい。しかし味はどうだ?

試飲用の猪口に並々と注ぐ。それをぐいっとやる。うん、喉越しがな。ちょっと引っ掛かりがある。さて隣りの樽はどうだろう。隣りから酒を注ぎ、一気に呷る。うん。美味い。美味いんだが、何か足りん気がする。もう一杯。すべての樽から一通りの試飲を済ますといい気分になっていた。

よし、それじゃ奥から最終確認しておくとしよう。味に妥協は良かない。

遂には樽の前に腰を据えて呑み始めた。

朝日が昇るとともに出荷準備のために酒蔵に入ってきた従業員によって酔い潰れたヤスオが発見された。

「バカ野郎が」

「すんまへん」

「てめえみてえな野郎に酒を造る資格はねえ」

杜氏は唾を飛ばして怒鳴った。

「まあまあ、その辺にしときなはれ」

と社長がなだめる。

「しかしこの野郎、ひとりで一斗半も呑みやがって」

「すんまへん」

「ヤスオはん、あんたは去年もそやったな」

「へえ、すんまへん」

「そやけどあんさんがこんだけ呑んだいうのはいい酒ができた証拠ですわ」

「へえ、おおきに」

「なにがおおきにだ。これじゃ済まさんぞ」

「私の先代の時にもこんなことがありましてな、こういう時はいっぺん体から一切の酒を抜かなあきまへん」

「といいますと・・・」

「奈良のおに行きなはれ。里を離れて春まで炭を焼くんですわ」

「この寒い冬をででっか?」

「そや。きつおますで。そこで酒を飲まんと越せたら、また来年も来ておくんなはれ」

「へえ、社長はん。わかりました。炭焼きにまいります」


作業着の上からセーターとコートを二重に羽織って奈良のに入っていった。

炭焼きの親方は熊のようなお人だった。そこには小さな小屋と炭焼きの窯が二基あった。

「うちは備長炭。二度焼きをするんや」

「そんで二つあるんですな」

一つの窯の入口を塞いで、炭を冷まそうというところだった。

「これでしばらく置きますねん。冷めたらあっちで二度目の火入れをするんや」

「窯は温いですな。これから寒いからありがたい」

「あんさん、生木は重たいさかい辛い仕事やで、あんたイケまっか?」

「力はまだまだありますよ」

「あんたには京都から毎日、美味しいおにぎりが届けられるそうや。うちはあんたの分までご飯は用意できんさかいな」

「そうですか。そらありがたい」

ヤスオは京都から届けられるおにぎりの半分を食べて、半分を懐にしまった。

「あんたには酒を呑ませんようにとキツう言われてますねん。何をやらはったんや?」

「売りもんの酒を呑んでしもたんですわ」

「道理であんさん、鼻が赤い思た」

「ここには酒はあらへんさかい飲むことはできまへんけどな」

「上等です。そやなかったらあきませんねん」

数日経って一度焼いた窯の中の炭を出して、二つ目の窯に運ぶ。もうすっかりちゃんとした炭になっているように見える。

「これ炭やないんですか?」

「炭です。そやけどこれにも一回火を入れるとホンマもんの備長炭になりますねん」

二つ目の窯に火が入れられたが全体に火が回ったことろで入口が閉じられた。

ヤスオはおにぎりをほぐした米を作業着に包んだ。作業着にはしっかり麹菌が付いているのをヤスオは知っている。それをさらにセーターとコートで包んで炭焼きの終わった一番目の窯の中に入れた。窯の中は発酵にちょうどよい温度だった。窯の口に蓋をして数日待った。

二つ目の窯の窯出し。二度焼きした炭は半分ほどの大きさになり金属のように硬かった。

「これが世に言う備長炭ですか」

「炭を叩いてみなはれ」

炭を叩き合わせると金属のような美しい音がした。

「はあ、なんてええ音や。こんな美しい音は聴いたことない」

「そやろ。これが備長炭や」

ヤスオは二度、三度と叩いて音を聴いた。

夜中に一番目の窯に入って服の中に手を入れてみた。

「ええ温度や」

数日後、ウォーターサーバーの中に作業着に包んでいた米を入れて水と混ぜ、セーターとコートで包んで二つ目の窯に入れた。

次の日から親方とウバメガシを取りにに入った。炭焼きの倉庫までこれを運ぶ作業はキツかった。窯いっぱいになるほどたまったところで形を整えて一番目の窯にウバメガシを立てていく。いっぱいになったところで火入れをする。

「冬はこれですな。あったかい」

「夏は死ぬ思いや」

「夏もしまんの?」

「そや。一年中しとる」

「そらたまりまへんな」

ウォーターサーバーを毎日回してかき混ぜている。どんな具合か楽しみだ。


そして遂にやってきた。ウォーターサーバーの中を覗くと何やら色が悪いし、香りも悪い。

「こんな急拵えやし、米には塩も混じっとるし、しゃあない」

一口飲んでみた。

「なんやこれ、醤油やないかい」

その日、社長が炭焼き小屋にやってきた。

「ヤスオはん。どないです?醤油のお味は」

やられた。おにぎりに醤油麹を混ぜやがったな。

「そうでんな、なかなかのお味です。わしはここで冬の間、炭焼きの仕事をすることに決めましたわ。禁酒はキツ過ぎます」

「いや、そ、それは困る。あんたが必要なんや・・・ヤスオはん、どうか一緒に帰っておくれなはれ」

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