隙あらば自分語りの時間(5年制の学校)
忘れていた
書こうと思って温めておいたのを書きますね。
若干記憶があいまいなので、学年とかずれている可能性があります。
基本的な情報
5年間寮生活だった
休みの時は閉寮
卒業するためには卒論を書く必要がある。
食堂で背中を殴られる
寮生活が始まって数日。
食堂はとても狭いというか、お昼はみんな一斉に食べに来るので奥に座ると出口に行くのが大変な状況になります。
そんなことを知らず、食堂の奥の方で昼食を食べ終わり何とか出口に行こうとすると、背中殴られました。
無言で通り過ぎようとギューギューの中突っ切ろうとして邪魔になったようです。
私が声かければいいと今は思うんですが、当時の私には無理でした。
その結果食堂にたくさん人がいるという状況が怖くなり
・誰もいない空いている時間に食堂に行く
・むしろ行かない(コンビニなどで済ませる)
ということになりました。
恋愛に夢中になる
私にとって5年制の高専は、更別から出て知らない人たちと過ごす未知の世界でした。
今までほぼずっと同じ人たちと顔を合わせて過ごしていたので、
新しい出会いがたくさんあり、その中で異性と出会うことも多々ありました。
初めて会う人、初めて会う人から紹介してもらった人などなど…
ですが、夢中になりすぎてすべきことをせずに迷惑をかけてしまったこともありました。
優先順位のつけ方が下手くそ、というか「メールは即座に返すもの」みたいな思い込みがあったような気がします。
なんで入ったの…
推薦を受けて面接での受験でした。
とてもいい天気だったのを覚えています。
「こんなに天気いいし、これは受かったなハハハ」みたいな会話を父とした記憶があります。この頃からフラグ建築士なんですね私は
結果は落ちました。上のように当然受かると思っていたので、泣きました。
そこから毎日勉強して、学力試験を受けました。
学力試験の日は豪雪だったのを覚えています。
試験会場で泣きました。「全然わからない」と。
もうだめだ、と思い北高の受験も受けに行きました。
でもなぜか高専に合格しました。
今でもなぜ合格したのかわからないです。
でも、上のようなレベルなので入ってからも苦戦。
テストの点数が悪く、1年目から留年の文字がちらついていました。
苦手な先生との出会い/新システム導入
私にとって一番苦手なタイプの先生の教科が2年生の時に始まりました。
逃げ出したい+クソ雑魚学力=留年の危機
というか「お前留年な」と実際言われました。
やってしまった…留年だ…親に怒られる…
と思ったんですが、なぜかこの年から「仮進級システム」が導入されて留年は免れた「ように思いました」
「もうどうしようもないから仮進級な」
「は、はい」
よ、よかった…これでそのまま進級出来る…
担任に怒られる
私は「苦手な先生から仮進級を言い渡されたので、これで仮進級決定」だと思っていたのですが
「なんで相談しに来ないの、留年だぞ。今すぐ相談しに来い」と担任から連絡が音更にいるときに来ました。
激しく動揺し、そのまま釧路まで送ってもらって担任と相談。
苦手な先生からいち早く逃げ出したかった、結果わかったからもういいと思った、ということは言えず「ごめんなさい」して何とか仮進級にしてもらいました。
仮進級したものの
結局苦手な先生の教科なので何も変わらず…
「今年こそは留年」がちらつき始めたとき、なぜか教科の担当の先生が突然変わりました。
「まじか…」と思いましたが、すんなり合格点まで上がりました…助かった…
これくらいですかね覚えているの…
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