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隙あれば自分語りの時間(小・中学校)

何かしていないと気分が沈むので前回の続き。
小・中学校は幼稚園より覚えてること少ない気がします。

白血病にかかる


小学2年生に上がった頃、白血病になりました。
頭が痛い、ご飯を食べると吐く、そういう症状が続きました。
村の病院に行き、帯広の病院に行き札幌の病院に行き入院しました。
帯広から札幌に行く時、スーパーとかちの2階建て車両の下の個室で転院しました。
一時退院のときは、スーパーとかちの2階建て車両の上の席に乗せてもらいました。
「上の階は高かった」と父によく愚痴られました。
退院のときは、おおぞらに立ち乗りして帰ってきました。

黄色いおくすり(ファンギゾン)という他の人が不味いというおくすりを「おいしい」と飲んでいました。
横向きの検査(マルク)とうつ伏せの検査(ルンバール)というのがあったのを覚えています。
うつ伏せの方が嫌だったな…
横向きの方は「パキッパキッ」って腰辺りの感覚があったのを今でも覚えています。
うつ伏せの方は横向きよりも細い感覚があったのを覚えています。

無菌室というのに入ったのも覚えています。面会に来た人とガラス越しにお話したのを覚えています。
最終的に骨髄移植を行い、寛解ということで退院。
小学3年生の頃には退院してたと思います。

ゲームボーイ、バーチャルボーイ、玉置浩二の田園をこの頃知った気がします。



病院の先生に怒られた


ある時研修の先生に舐めた口聞いた(軽い感じでお話した)ら、痛い目に遭わされました(仰向けから脚を曲がる限界超えて押された)
ものすごく痛かったの覚えてます。

フィルムカメラを開けてしまった


入院していた同じ病棟の子のフィルムカメラを開けてしまった。
「思い出詰まってるのに」と悲しい顔されてしまいました。

なんとなくヒーローだった


一時退院だったり、退院だったりで小学校行くとクラスメイトがみんな会いに来てくれたんですよね…
ワーキャー言われたことなかったのでヒーローみたいだなって思いました。
ここで勘違いしたのが今も引きずってる気がします。

体育の授業やすんだ


退院後、まだ体力があまりなかった頃に体育の授業休もうとしたら「甘えるな」的なことを言われた記憶がおぼろげにあります…

思春期特有のあれ(性的な話題とか初恋とか)


なんとなく初恋をして告白したら「で?」って言われて終わりました。
「告白する」くらいしか思っていなかったので「えっ」って思った気がします。
このころから異性に対して話しかける、触れるというのが苦手になった気がします(いまでも)

小学5年生の頃、「(自主規制)!」と廊下で同級生女子が叫んでいました。
「やめなよ」というと「やりたいの?」みたいなこと言われてからかわれた気がします。

複雑な恋愛


私が好きな人、私の友達が好きな人、好きな人、好きな人が付き合ってる人みたいなのがあった気がします。
その時のことをベースに書いたやつ(性別が違うところや創作部分がマシマシですが)

こんな感じです。

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