「信仰の柱」(君よ愛深き存在となれ)
知人の価値観の柱が「邪見」によって腐りきってしまったと、伝え聞いた。
強力に折伏しようとしたら、その人の精神は崩壊してしまうそうだ。
その人にとって、どんな言葉が「宗教的回心」の一転語になるのだろう?
その人が自分は「自己中」に生きていると気付くにはどうしたらよいのだろう?
世の中全ての人が「自我の拳」を振り回したら、家庭が、職場が、社会が、国家が、
世界がどうなるか考えたことがあるか? それを目的として活動している存在を悪魔と称し、人々に「信仰の柱」を築いて欲しいと願い、祈り、救済活動している存在を天使・菩薩と称するのである。
あなたはどちらの存在を目指したいと願ってこの世に生まれてきたのか? もう一度、自らの心の内に問いかけて欲しい。