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初めての意思①


世の中には正解があって、それに従っていれば良い人生が生きられる。自分で考える必要なんてない。いつからかそう考え、自分の思考を放棄していた私の目の前に現れたのは、二つの選択肢。

「本能的にとても惹かれるけれども、つきあうと共依存的になってしまうし周囲の人からはあまり応援されない人」

と、

「周囲からも応援されるしつきあっても上手くいくけれども、人間的にしか好きでないと思うような人」

このどちらの人と時間を共にしていくか……。本当に正解のないこの決断が、「今の私」を形作る初めての意思決定でした。

子どものころ

「先生の言うことはきちんと聞く」「いじめはいけない」・・・私は、学級崩壊やいじめを絶対悪として立ち向かおうとするような子どもでした。正義感の強い母親の影響です。あまり親に褒められることもなかったのでどうにか良い子どもになりたいと思ってのことでした。

しかし、親の期待に応えることに反比例して、周囲の子どもたちとは上手くいかず、いじめや陰口を受けるなどのトラブルばかり起こりました。「なぜこうなるのか」と泣きじゃくり、環境を変えようと中学受験するも、結果はあまり変わらず。

そこで私は「そうか、自分が変われば良いのか」と「自分改善ノート」をつ作りました。陰口として言われていた欠点を一つ一つ消し、人と上手くやっていくための方法を本を読んで研究していました。

そんな私にとって、道徳の教科書はバイブルのよう。「こんな風になれば、こんな風に考えたら人に好かれる人になるのか」と……。とうとうトラブルは減り、一生ものの友達ができるまでになりました。

「失敗の原因は私にある。そして、世の中にはこうすれば良いという正解があるんだ」とそこで思いました。

色んな考えを持って良いと言うけれど、道徳では最終的に正解のようにまとめられる考えがあるし、人に好かれる考えは限られている。いろいろな職業があるけれど、社会には「人の役に立つ」人が求められている。学校では色んな人がいて良いんだよというけれども、勉強ができる人が一番褒められる。人生なんて、その正解の行動をしていくだけで成功できるんだ。

中学の時に得た、中学生らしい成功体験と気づきでした。

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