贈り物;イツカ、向コウデ;R2-7-15,SKR

今朝のラジオで、http://dadkoala.livedoor.blog/archives/54824297.html

「墓地で出会った珠玉の言葉」、意外な場所から人生が分かる、 不思議な気持ちのままオシゴト一段落。

で、なんとなくネット徘徊してたら、下記ヒット;

>>イツカ、向コウデ

人生は長いと、ずっと思っていた。
間違っていた。おどろくほど短かった。
きみは、そのことに気づいていたか?

なせばなると、ずっと思っていた。
間違っていた。なしとげたものなんかない。
きみは、そのことに気づいていたか?

わかってくれるはずと、思っていた。
間違っていた。誰も何もわかってくれない。
きみは、そのことに気づいていたか?

ほんとうは、新しい定義が必要だったのだ。
生きること、楽しむこと、そして歳をとることの。
きみは、そのことに気づいていたか?

まっすぐに生きるべきだと、思っていた。
間違っていた。ひとは曲がった木のように生きる。
きみは、そのことに気づいていたか?

サヨナラ、友ヨ、イツカ、向コウデ会オウ。

(「長田弘全詩集」みすず書房/「死者の贈り物」)

https://wonjun.hatenablog.com/entry/2018/11/19/012651  によると、

親しかったものの記憶にささげる詩として書かれたとのこと。 以下、そのまま引用する;>>まっすぐに生きようとすることは、みてくれはかっこいい。しかし、色を、美しさを感じるには人はしわを刻まなければならない。曲がった木には味がある。喜ぶためには哀しみを知っていなければならない。為るように育てればいい。ただ、きちんと食べきちんと飲むことを忘れさえしなければ。


>>悲しむ人よ、塵に口をつけよ。
  望みが見いだせるかもしれない。
  ひとは悲しみを重荷にしてはいけない。

「海辺にて」(『人はかつて樹だった』)

>>

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