【#創作大賞2024 #恋愛小説部門】『制服にサングラスは咲かない』17章
家のなかが、大学生の活気で賑わう。
昨日まではじいちゃんとアジサイと僕の3人で過ごしていたから、言い方は悪いけれど、急な異物感。
異物感はやはり言い方が悪い。
けれど、それ以外の表現方法が見当たらない。
大学生は各々、大きなリュックサックとボストンバッグやキャリーケースなどを居間に置いて、じいちゃんの説明を受けている。
あまり話を聞く気がないのか、じいちゃんが話しているというのに、横の大学生と話したりちょっかいをかけたりしているのを見て、僕は自分のなかの大学生への偏見を思い出しはじめていた。
親の金で大学に行って、特段勉強もせずに社会人までの猶予として遊び惚けていたり、まるで自分が世界の中心であるかのような万能感と根拠のない自信で溢れ、調子にのっているとかそういう類の印象というか、やっぱり偏見だ。
僕はどうしても大学生をうがった目でしか見られない。
自分でもわかっているけれど、僕は彼らの軽薄さに腹を立てているのではなくて、単純に恵まれていることに対して羨ましいのだ。
親がいれば、環境が整っていれば。僕だって、アジサイだって。
なんてことばかり考えてしまうから、僕は大学生が苦手なんだ。
できれば視界にもいれたくない。きっとそれは重症。
コンプレックスの1つ。
与えられなかったミルクの味を想像して泣き叫ぶヤギみたいに。
じいちゃんが僕らを指さして
「俺の孫たちだ、よろしくしてやってくれと」と言った。
大学生は一斉に振り返り、僕らのつま先から頭の先まで見てくる。
こんな大勢にみられると緊張してしまう。
小声で妹の方めちゃめちゃかわいいなと話し合っている大学生がいたり、虫が飛んできて、女子学生数名が短く叫んだり、なんだか騒がしい。
僕とアジサイは軽く頭を下げた。
東京からきた大学生たちはある一人を除いて、皆が出来たてのシャボン玉みたいに、その瑞々しさで陽光を跳ね返しているみたいな輝きがあって、僕はやりきれなくなった。
ある一人は皆から少し離れた所に所在なさげに体育座りをしながら、じっと粘着質にも思える視線でアジサイを見ていた。
アジサイが僅かに僕の後ろに構える。
僕から見ていても、戸惑いを覚えるほどにアジサイを見ていることがわかるから、見られている本人が気づかないはずがない。
どういう意図の視線なのか、アジサイにアイコンタクトで知り合いか、と尋ねるも、アジサイは小さく首を振った。
昭和の忘れ物みたいな度の強い四角形の眼鏡の奥で、一重の腫れぼったい目が、じっとアジサイを見ている。
別にアジサイを見ているというよりは、長旅でぼんやりとしている可能性だってあるし、実際はアジサイをではなくて、その奥の何かを見ているのかもしれない。
けれども、自分のなかでどう解釈してみても、眼鏡の彼は、異質としか言い表せないほどの違和感というのか、僕のアラームに触れてくる独特の雰囲気を持っている。
『コイツ、普通じゃないかもしれない』と。
他の大学生たちは、夏の思い出作り兼アルバイトで小遣い稼ぎという目的が彼らの言動からひしひしと伝わってくる。絶対に楽しむぞという一種の気迫染みているとさえいえる。
けれど、眼鏡の彼だけが、そこに歪を作り、周りの大学生も彼の醸し出す異常な気配に感づいているのか、誰も接触しようとはしない。
僕らも、そうするべきだ。
というか、用がない限りは他の大学生との接触だって極力避けた方がいい。
よくよく考えるとこの状況はアジサイにとって良いものではない。
ゲンジさんの家には映るテレビがないが、東京には腐るほどあるだろう。
僕が心配なのはニュースでアジサイ関係の事件を報道するときに、行方不明であるアジサイの写真は掲載されているのか、ということ。
アジサイの話では他に身よりもないから、写真を出してまで探す人はいないと言っている。
僕はアジサイに余計な心配をかけたくないために、言わなかったけれど、警察はとっくにアジサイに容疑を固めている可能性だってあるわけだ。
ただ警察の便宜上、せめて行方不明者や重要参考人のような位置、または事件に巻き込まれた可能性を提示しているだけに過ぎないのではないか。
もしも、大学生のなかにニュースで流れてきたアジサイの顔を覚えている人がいるとしたら、それがあの不気味なオーラを醸し出す、あの眼鏡の人だとしたら。
それなら、あの視線にも納得いくものがある。
暑さとは無縁の汗が背中を伝うのがわかった。
怖い。
最近では忘れていた感覚。
郡山駅で警察に追われた時の感情を思い出した。
そうだ、僕らは逃げいてるのだ。逃避行。
僕らの今を一言で言い表すなら油断。
ここに永遠にいられるという錯覚にやられた。
あまりの居心地のよさに麻痺していたけれど、僕とアジサイはこの夏を待たずして、この場所を発たねばならない。
「お前らのなかに去年も来たやついるか?」
1人の大学生が手を挙げた。
「よし、それならわかると思うがよ、ありゃ毎年恒例なんだ」
手を挙げた大学生が口を開く。
「多分あれっすよね、あれ、BBQっすよね?」
「そうだ、一応、歓迎会ってやつだな、去年も来たことあるなら少しは要領がわかるだろう、お前リーダーやれ、名前はえーと確か……」
「あ、自分、リョートっす、まぁ自信ないっすけどやってみます」
「よし、じゃあ、あとは俺と一緒に買い出しに行く、買い出し班と火おこし班と備品準備班だな、ちなみに、力仕事は備品準備班になるから、そこは男が適任だな、あとはリーダー、班編成を任せるぞ、そうそう、リーダーは現場で指揮をとれ」
「ういっす、じゃあ、話進めるっすね、えーとまずは挙手性で……」
備品準備班と火おこし班は全員男によって編成されて、買い出し班は全員女性で決まった。僕は備品準備班に割り当てられ、アジサイは女性陣と買い出しにいくことになった。
それぞれが与えられた役割のために動こうとしている時だった。
眼鏡の彼が突如挙手した。
リョートさんはきょとんとした顔で「はい?どうしたっすか」
と尋ねると、自分は買い出し班に移動したい主張しだす。
そのことで女性陣から小さな悲鳴が漏れたことには、僕は驚かない。
眼鏡の彼はアジサイを見ている。
リョートさんはどうして、移動したいのか、と尋ねても、眼鏡の彼は女性陣に視線をやっているだけで、何も答えない。
空気が妙な沈黙を帯びていく。
ここは僕が動くしかない。
僕は二回手を叩いた。
全員が僕の方を向く。
うげっと緊張。
頭が痒い。
「まぁまぁ、班編成はもう決まってしまいましたから、今からチェンジは混乱すると思うので、そのままでいきましょ」
全員が僕を本当のじいちゃんの孫だと思っているからか、よく頷いてくれる。
眼鏡の彼だけが僕を射るような目つきで捉えていたが、気になっていないフリ。
なんなんだ、アイツは。
でもこれでわかった。アイツはアジサイか女性に対する執念みたいな偏りがある。
危険人物だ。可能性の話ではない。確定。
いわゆる何をするかわからないやつ。
僕はチーム備品準備班を引き連れて、蔵に必要備品を取りに行く。
庭の砂を削る音。数日前にはなかった活気。
僕は小学生の頃行った、少年自然の家を思い出した。
といっても、学校行事として参加したのではなくて、不登校や心に問題を抱える小学生が集まって、少しでも交流し、学校生活に復帰できるようにというプログラムだった。
あの時もボランティアで毎年同じ大学生が僕らの面倒を見てくれていた。
小学生から見た大学生はものすごく大人びて見えたけれど、今こうやってあの人たち近い年になって、なおかつ大学生と歩いていると、大人ってなんだろうって、考えさせられる。
ひょっとして、地球上に大人なんて一人もいないのかもしれない。
悲しみや何かを背負い続ける、人間という生き物がただしがみついているだけ。
「ういっす」
蔵の近くまで来ると、後ろから走ってくる音が聞こえ、いつのまにか僕を抜かし、目の前にきていた。
リョートさんだった。
「あぁ、リョートさんどうしたんですか?」
「ちょいと話いいっすか」
「はい、あ、すいません今鍵あけます、このなかに備品があるので必要があると思ったものはどんどん持って行ってください、リョートさんと話し終わったら、僕もすぐに戻ります」
「いや、みんな申し訳ないっす、ちょっとお借りするっす」
僕とリョートさんは蔵から離れる。竹林に沿って裏山の方へ歩いて行った。
この先を行けば、地面をならして作った道があって、急勾配を昇っていけば、じいちゃんの畑に繋がっている。
その間にも農具を置く、今度は小さなプレハブがある。ここからでも長年の雨で少し傾いたプレハブが見えた。
「それで、話ってなんですか?」
「まずは感謝っす、あの空気やばかったすねぇ」
「ああさっきの、僕は別に何もしてないですよ」
「いやいや、ご謙遜っすよ、それで本題なんすけど、アイツのことですね、眼鏡の」
「知り合いですか?」
「いやいやいやとんでもないっす、大学が同じだけっすよ」
「そうなんですね、で彼がどうしたんですか?」
眼鏡の彼の話は今後の注意のために聞いておきたいと思ったけれど、僕は何も気にしてないという顔を繕って話を促す。
「めっちゃ怖いっすよね」
「まぁ」
「多分、妹さん狙われていると思うので気を付けた方がいいっすよ、まじで」
「そうなんですか?」
客観的に見てもそう見えるなら、僕の直感というか結局のところ分析というのかは当たっていたわけだ。
「なんか、大学でも気になる異性に執着して、しつこく連絡先を聞いたり、帰り道も後をつけるような真似をしたり、バイト先で出待ちしたり結構問題になってたっすよ」
「ストーカー体質なんですか?」
「そうっすね、でも不思議と話してみると意外と普通なやつなんっすけど、女性が絡むと人格が変わるんっすよね、それでストーカーされていた女性の彼氏が彼女に付きまとうのはやめてくれって言うと、激昂したらしいっすよ、結構手がつけられない感じの」
「最悪ですね」
「そうっす、だからマジで気を付けた方がいいっすよ、ということなんで、何かあったらすぐに俺に言って下さい、一人よりは二人で対応した方が絶対いっすから、あ、これ俺の連絡先っす」
僕は流れでリョートさんと連絡先を交換することになった。
まさか今後僕の連絡帳に誰かの名前が刻まれる時なんて訪れることはないだろうと思っていたから、不思議な気持ちだった。
「確か、普段は東京で暮らしているんっすよね」
「まぁそうですね」
「そんならアルバイトが終わって帰ったら、どこか遊び行きません?」
僕は一瞬、言葉に窮した。
遊びに誘われるって、何年ぶりだろう。
なんだか、初めて見つけた言葉みたいに可笑しかった。
「いいですよ、また東京で遊びますか」
「ういっす、楽しみっすね」
リョートさんの笑顔は心からそう思っているように見えた。
人懐っこい笑みだし、ものすごい人心掌握術だ。
計算しているようには見えないから、これは彼の生まれ持っての才能なのだろう。
誰かも愛されるような人ってたまにいる。
僕はついさっきまで、持っていた大学生への偏見と意味もない敵意の大部分をリョートさんによって溶かされたことに気がついた。
「んじゃ、俺火おこし班のところにも顔出してくるんで、失礼するっすね、本当、何かあったら連絡してほしいっす、ああいや、何もなくても連絡してほしいっすね、こっちでも休みの日合えば、遊びいきましょ」
僕は頷いて、手を挙げた。
彼も手を挙げて、踵を返して小走りで戻っていく。
気づけば、僕の口角は自然に上がっていた。
才能だ。
羨ましさに、胸がチクりとした。
竹林が風で揺れる。二階の誰も使っていない部屋に下げられた風鈴が何度か涼し気な音をたてた。
眼鏡の彼には気をつけないと。
犯罪者予備軍だ。
とりあえず僕は、可能な限り、アジサイから離れないようにしよう。
そろそろ戻らないと。
皆に備品の運び出しを任せっきりだ。
蔵のなかを覗くと、皆があれは必要か、これはどうだ、と話し合いながら作業をしていた。
照明器具や業務用の扇風機や、キャンプチェア、簡易テントまで持ち運ぼうとしている。
そこまで大規模なBBQになるかなぁと思いつつ僕も参加。
みんあ笑顔で迎えてくれた。
もっと嫌なやつらだったらよかったのに。
僕は両サイドにキャンプチェアを持って外に出た。
すると目の前には眼鏡の彼がいた。
「ちょっと話いい?」
戸惑った。
「あぁ、今準備中で」
「それ置いてからでいいよ」
僕は後ろを振り返る。
数名の大学生が『しょうがない』って顔で首を傾げている。
僕は火おこし班の近くまで椅子を運んだ。
その間、眼鏡の彼は1脚も持ってはくれず、僕についていくるだけだった。
「あっちで話そうぜ」
リョートさんと目があった、僕は頷く。
リョートさんは自分の携帯を取り出し、人差し指で数回、携帯のディスプレイを叩く。
何かあったらすぐに言えということだ。
僕は再度頷いて、先ほどリョートさんと話した同じ場所まで眼鏡の彼をつれきてた。
「ここってこんなに何もないのな、ひでぇ場所」
「それで話って何ですか?」
「お前の妹のことだけどさ、紫ちゃん、めっちゃかわいいな」
「ありがとうございます、話はそれだけですか?」
「ちげぇよ、紫ちゃんの好きなタイプってどんな感じ?彼氏いんの?電話番号は?学校東京だっけ、何てところ?バイトしてる?彼氏いるならさ、どこまでやってんだろうな」
絶望的だ。頭がおかしい。
まず初対面での口の利き方ではない。
初めてあった人にお前を呼びって、もう、なんか、すごいな。
「お名前はなんていうんですか?」
「サトルだよ、んなことどうでもよくね、さっきの質問聞いてた?」
立ったままの貧乏ゆすり。
度の強い眼鏡。腫れぼったい一重。
頬や顎にはカミソリでついた傷。
肌は荒れていてニキビのせいか、全体に赤みがかっている。
似合わない茶髪。
だめだ、生理的に無理だ。
こんなのをアジサイに合わせるわけにはいかない。
でもどうやってこの状況を潜り抜ける?
「紫の話こそ、別にどうでもよくないですか?彼氏もちゃんといますし、他の男の人は全く興味ありませんよ」
「それじゃあ、俺の質問の1つにしか答えてねぇじゃん、まず話をちゃんと聞こうな」
頭の血管が持たないかもしれない。
今までも何人か失礼な人には合ってきたが、群を抜いている。
たまに、こういったタイプもいるが、そのなかでもトップクラスだ。
「もういいや、じゃあ紫ちゃんの連絡先ちょうだいよ」
「紫は携帯持っていないです」
「嘘つけよ」
「嘘じゃないです」
「今時の女子高生が持ってないわけないだろうがよ」
「いえ、本当に持っていないですよ」
「お前、嘘つき野郎か?」
「本当に、持っていないんですって」
リョートさん、話してみると意外と普通って本気ですか。
いや、リョートさんは同じ大学生同士だったらそこまで違和感を感じたかったのか?
それとも、ストーカー行為の話を聞いた後にサトルさんと話したのか?
そのギャップのせいで割と普通という認識の誤りに至ったのか?
サトルさんは僕を大学生みたいな認識で接してきているから、ここまで無礼なのか?
「じゃあ、お前の連絡先でいいや、番号何?」
何とか、教えない方向でいきたい。
ただでさえ、連日変なやつと連絡のやりとりをしているのに、これ以上、異常者に付き合ってたら頭がおかしくなる。
サトルさんは自分の携帯を取り出す。
どうすれば回避できる。
小走りの音。
「お、こんな所にいたっすね、お二人とも、サボりはダメっすよ、それぞれの班の人が待ってるんで、話はまたの機会にするっすね」
「そうですね、一旦もどりましょうか」
「は?別に他のヤツ準備してるんだから少しはいいだろう、俺は今コイツと話してんの」
「はいはい、いいから行くっすよ、サトル、火おこし経験ありっていうから、皆期待してるっすよ、今も火ついてなくて、このままだったら買い出し班の女性陣戻ってきて、がっかりすると思うっすよ」
と言いながらリョートさんは、サトルさんの背中を押して歩いて行った。
サトルさんは抗議の声を上げるも、リョートさんは明るく大きな声で『ハイハイ』といなしながら歩いていく。
僕の横を通り抜けていく際に、サトルさんは腫れぼったい一重で僕を睨み、リョートさんは笑顔でウィンクしてその場を去っていった。
リョートさんに助けられた。僕は携帯を開き、感謝を伝えるメッセージを送った。
ちょっとしたあとに、『あれくらいお安い御用っす、あ、そうだ、この辺のこと俺あんま知らないんで、今度遊び行く時、一回ブラブラと散歩したいっす、いいっすか?』
と返信があった。