東京オリンピックを開催するために必要な発想の転換
このコロナ禍において、1年延期されたオリンピック問題。今も開催に向けて関係者が調整を進める中、中止すべきだとの声もあり、賛否両論を巻き起こしている。
この状況に関して、素人ではあるが自分なりにここがおかしいんじゃないの?こうすれば良いのではないか?ということを書き残しておきたいと思う。
ちなみに私の立場としては、「オリンピックは”スポーツの祭典”という意味が第一であることを考えると、東京オリンピックはその意味にのっとって開催すべき」という考えである。その根拠、意味合いについても後述したいと思う。
今オリンピック開催に向けて一番問題だと思うこと
ひとことで言うと、「従来のオリンピックの形にこだわっていること」が最大の問題であり、人々の理解が得られない部分だと思っている。私自身も、例えば2016年に開催されたリオオリンピックをモデルに開催を調整することには反対である。
オリンピックをこのままの状況で開催するにあたり、一番問題になることは「観客が世界中から日本に集まること」だろう。これにより日本の新型コロナウイルス感染状況が悪化する可能性、および世界的に感染が拡散される可能性は否定できない。
なお、選手団の移動に伴う感染拡大については、規模からして観客よりもはるかに少ないだろうし、選手団であればメンバーや行動もある程度統制可能であるため、問題になるレベルではないはずである。それこそこの規模であれば事前のPCR検査も可能だろう(陰性証明としてのPCR検査には私は反対だが、社会情勢的に認められてしまっていることは受け入れるとして)。
そうすると、この「世界中から観客を集めること」の問題点に向き合ったうえでどう開催するかを考えなければいけない。もう少し踏み込んで言えば、「オリンピックは本当に世界中から観客を集める必要があるのか?」と疑うことが重要である。
この問いに関して、答えはノーだと思っている。なぜなら、インターネット通信環境が高度に発達した現代では、「スポーツの祭典」としてのオリンピックと考えれば人々が実際に会場に集まって観戦する必要性は無いからである。
インターネットライブ配信やVRなどを用いて、むしろ会場で遠くの席から観戦するよりも見ごたえのあるアングルから、そして競技情報や選手の情報が細かく確認できながら観戦できるようなオリンピックにした方が、よほど価値もあるし、観客もハコのキャパに捉われず実質無限に集めることができる。
観客がいないと資金源となるチケット料が無くなるのではという声もありそうだが、それは言うまでもなく、ライブ配信に有料コンテンツを導入して、そこで資金を確保できれば良いだけの話である。
有料コンテンツの中身はより良い視点から競技が見られる特典、個別の選手と繋がれるプログラムなどなど、いくらでもアイディアは出てくると思う。
全くすごいアイディアとも思わないし、普通の発想だと思うが、この考えが関係者の中では大きく欠けているような気がしてならない。
コロナ禍だからこそ、オリンピックを開催するべき
こんな世界中で苦しんでいる人が増えているのに、オリンピックなんてけしからん、という声もあるが、そういった考えこそがけしからんし、そう思われること自体、オリンピックやスポーツが大きく誤解されているようで悲しい。
オリンピック、ひいてはスポーツというものの大きな意義の1つは、観ている人々に元気や勇気を与えるというもの。オリンピックなどで輝いている選手を観て、自分も頑張ろうと思える人がどれだけいることか。
世界中で外出や密接な交流が難しい今だからこそ、新しい「バーチャルなオリンピック」を成功させて、新しいスポーツの楽しみ方、日本の可能性を見せつけるチャンスだと人々には捉えてほしい。