「東京」という歌に見る都市が持つ儚さ
中学生のわたしは、東京という街に住む場所なんてないと思っていた。
商業施設のビルや飲食店、美容室、ライブハウス。私が訪れるのはその程度で、学校が終わった後にお母さんの手料理を食べるような場所が東京という街にあるなんて思ってもいなかった。
じゃあ好きだった芸能人がどこに住んでいたと思っていたの?という問いにはうまく答えられないけれど、まあそれほどには私には縁遠い街だと思っていた。
大人になった今考えると、東京なんて住む場所ばっかりのくせに家賃も高くて、非人情的な街だな、とすら思う。
そんな東京に対して、人は様々な思いを持っていることが良くわかるのが、音楽だ。
きのこ帝国「東京」
この曲を聴いたときに「ああ、東京も誰かにとってはただの一つの街なんだな」と良い意味で理解した記憶がある。この時だってまだ高校生だったけど、人に対する想いの深さとか、うまくいかないこととか、それが自分のせいでも相手のせいでもないこととか、少しずつ理解し始めていたのかもしれない。
「あなた」の帰りを待つわたしと その「あなた」がいた街はたまたま東京で、たぶん単なる偶然だし、東京だからキラキラしたものがあったわけでもなく、東京だからダメだったわけでもない。
でも改札を通るたび、いつもの道を歩くたび、同じものを口にしたり季節の風を頬に浴びるたび、なんとなくあなたを思う気持ちを思い出して、忘れていたことを思い出す。時間はお薬だけどそれも悲しくて、かけらが余計思い出を儚くさせるような気がしている。
MONO NO AWARE「東京」
きのこ帝国の東京がフラットな東京を歌った曲だとすると、MONO NO AWAREの東京は上京した人の音楽だと言えるだろう。でもMONO NO AWAREのメンバーは東京都生まれなのだ。
どういうこと?と思われるかもしれないが、彼らは東京都から飛行機で1時間、23区の喧騒からは想像もできない自然にあふれた八丈島の出身である。
ただ彼らは故郷がすべてではない、故郷に帰ることが仕事ではないと歌っている。
そのうえでこうも歌っている。
インタビューで、ボーカルの玉置さんは故郷は好きだけど、帰りたくて仕方ないことはないと語っていた。高校を卒業して出てきた東京ももうすでに故郷で、両手を広げて自分の帰りを待ってくれる街だと。
故郷も同じようにそんな街で、そんな街が増えていくことが人生で、生活なんじゃないか。どうしてもその場所に戻らなければいけない縛りなんてなくて、自分の思うように歩いていくことで故郷がたくさんできる。
仕事とか、友達とか、親とか、お金とか、将来とか、そういう「仕方のないこと」に縛られている人いまの若者が聴いたらハッとする音楽だと思う。
「東京」というタイトルだけど、東京でなければいけないものは何もないと教えてくれる。
くるり「東京」
新しいものを手にするために置いてきたものには思い入れがあるもの。故郷に残る思い出はまた訪れればいつでも思い出せるけど、君が素敵だったことはそう簡単にリアルには浮かんでこない。
地元に置いてきた「君」を歌ったくるりの東京は、特段切なさにあふれているような気がする。
初めて聞いたとき、まるで木綿のハンカチーフだな・・・と思ったりした。
まあこんなにポップな気持ちでいるようには思えないけど、やっぱり東京って人をなんだか忙しくさせるし、あふれる人の中で大切なことがストンと抜けてしまったりする。
でも私たちは「忘れてしまうこと」がとても悲しくて、取り戻せなくて、さみしいことを心のどこかではしっかりと知っている。
でも振り返るのは違う、と考える人が多いのも事実。時間は前にしか進まないし、あの時言いそびれた言葉をひとつふたつと数えたところで、あぶくみたいに浮かんでは消えるだけで何の意味も持たないと。
岸田さんもきっと自分の手帳を見て「ああ、なんか昔の方が楽しかったかもな」とか「ほんとのしあわせってなんだっけか」とか「このままうまくやっていけるのかなー」って思ったりしたのかもしれない。
そういうふわふわしたような人間味がめちゃくちゃ伝わってくるから、みんなこの曲が大好きだしまだまだ聞き継がれているんだろうなと思う。
フィッシュライフ「東京」
わたしが東京に明確なイメージを抱いたのはこの曲のおかげかもしれない。当時はまだ小さいライブハウスで音楽をしていたマカロニえんぴつが大好きだった私は、対バンで初めて見たフィッシュライフの必死で、暑苦しくて、なんだか狂気的な音楽にがっちり心を奪われてしまった。
フィッシュライフは大阪から来たバンドで、もう解散してしまった。
そういうのって、より強く印象に残ったりする。
ラストライブも東京を聞いてたくさん泣いたんだっけ。その時の私はまだ東京には住んでいなくて、神奈川県からいそいそとライブハウスに音楽を聴きに行っていた。
くるりの東京と同じく、恋人を残して上京してきた様子が書かれているが、全くと言っていいほど受ける印象が違うのも面白い。
くるりの東京は、ずっと覚えてるつもりなのに、ふと思い出したことに対してものさみしさを感じていたり、これからどうにかやっていくけど、昔の気持ちも忘れたくないなあ、なんて肩の力を全部抜いて考えていたことを私たちに教えてくれている。
でもフィッシュライフの東京は違う。
自分の力を試したくて、強がって置いてきたはずの恋人のことがこんなにも大切だったなんて、頭から離れないなんて、思い出さないようにしてみるんだけどっていう歌詞があるくらい、まだまだ時間がかかる、いまの気持ちを歌っていて人の感情に強く触れた気持ちになる。
その時にはわからなかった歌詞がたくさんあって、今でもぐさぐさと私の心を刺す。
大阪から上京したインディーズのバンドマンが東京タワーが見える家に住めるわけがない。それでも自分を置いて夢を叶えに行く彼が少しでも上向きな気持ちになるように、浮かんでは消えていく恋人の会話もなんて切ないんだ。。
しかもバンドは解散してしまっている。
もう生では聞くことのできないこの「東京」を、私はこの街に居続ける限り聴いて生きていくのだと思う。
ボーカルの林さんは今でも個人の活動を続けているそうだ。
またこんな気持ちの強くこもった歌を聴くことができればいいなと思いながら。
おわりに
みんなだって学生の時に聞いていた曲とか、読んでいた本とか、バイト先とか、通学路で食べたものとか、思い出は無限にあると思う。
その多くにはだんだん触れなくなって、忘れたり、思い出すタイミングでめちゃくちゃ懐かしくなったりする。
でも街は、常にここに存在して、忘れることはできない。
素敵なようで残酷な話でもあるなと思う。
わたしは、いま東京タワーが見える家に住んでいる。(といっても先っちょだけだけれど。)中学生のころには家なんてないと思っていたその街で、私は仕事をして、料理をして、猫を撫でて、昼寝をしている。
不思議だけどこうやって故郷と呼べるものを作って、また次の土地に行ったときにわたしの故郷はいくつもあるなと感じたりするのだろう。
東京という街は、儚い。
おわり