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嫌なものは嫌だからしょうがない

育児をする上で自分が苦手だと困るものがある事に気付いた。

まず牛乳。
私は牛乳が大嫌いである。牛乳っぽい食べ物は大好きなのに、牛乳そのものは絶対に飲めない。「搾りたてはおいしいよ!」と言われたところで、こちらからしてみれば搾りたてなど最高に最悪な代物だ。キンッキンに凍らせて味覚を麻痺させてもきっと飲めないものを、搾りたての生ぬるっこい濃厚な牛乳など飲めるはずもない。どんな罰ゲームだ。牛も身から搾り出した渾身のソレを、こんな奴に吐きそうな顔をして飲まれたくはないだろう。

そんな牛乳嫌いな私にとって、乳児用のミルクからやや苦行ではある。牛乳っぽい白い飲み物を作るだけで少し気分は下がるし匂いなど香ってきた暁には お゛えっ となることは間違いない。
牛乳とはまた違う、けれど牛乳と仲間ではあるだろうなということは感じさせるあの独特な香り。あんなものを「この世で一番ウマイわ」という顔でぐびぐび飲む我が子が信じられなかった。


そうして、時は経ちつい先日、息子は1才の誕生日を迎えた。1才の息子、カワイイ。すっかり二足歩行の生き物になった息子、カワイイ。歩き方がまだ奇行種みたいで、カワイイ。


ここで母から「ミルクやめて牛乳にしてみようか」と提案された。フォローアップミルクより安上がりだし、うちの息子は哺乳瓶にもミルクにも執着心がないのであっさりやめられるだろうという気がしていたからだ。

しかしこれは更なる苦行であった。
何故なら冷蔵庫から出した牛乳をそのまま与えるわけにはいかず、一度温めなくてはならないからだ。つまりどういうことか。そう、温めた牛乳の香りが立ち込めてくるのだ。キッチンが一瞬にして地獄。(ちなみに私の母もまた、牛乳が大嫌いである)

レンジから取り出す時、いつも死ぬ気で息を止めるがある日ふと嗅いでしまった。覚悟はしていても、やはり お゛えっ という声を抑えることは出来なかった。そもそもなんでアイツ白いんだ気持ち悪いな(飲むヨーグルト、カルピスはおいしい)

牛乳が嫌いなせいで、我が子に与えるだけでこんな戦いをしなくてはならないのだ。逆に牛乳が好きだったらどんなにハッピータイムだろう。まあ、おいしそうな匂い♪温度大丈夫かな?♪なんて小躍りしてしまうかもしれない。
そう思うともし牛乳に毒を盛られたら絶対的被害者は息子になってしまう。私は一切口さえつけない。怖すぎる。今度から牛乳は怪盗モノのアニメに出てくるようなガラス張りのケースで保管しよう。冷蔵庫の前には不審者の侵入を感じ取ったらレーダーが撃たれる仕様にし、警報が鳴る。そしてALSOKのCMのように壁上部から吉田沙保里が登場する。完璧だ。これで息子の安全は守られた。


それからあともう1つ。
これは以前にもブログにも書いたことがあるが、私にはこの世で嫌いなものを挙げるとするなら絶対に一番に挙げるものがある。嫌いすぎてこのスマホに名前を打ち込んだ履歴すら残したくないので、やや伏せ気味に書く事にする。

かtつむri   である。


「Nめkじ じゃなくて??」と思ったそこのあなた。いや、そこのお前。言わせてもらおう。


一緒じゃねーか


一緒だぞ



一緒なんだわ




Kの何が許せないかと言うと、Nはわりと人々から気持ち悪がられるのに対し、Kは何故だかかわいい生き物として扱われることが多い。

でーんでん♪から始まるあの歌も
何故あんなに可愛らしい曲にするのか意味不明である。もっと「世にも奇妙な物語」のテーマソングくらい不気味なものであれ。私からしたら奴らは一般的に言うゴキブリと同じ扱いなのだ。今「ゴキブリは害虫じゃん(⌒-⌒; )」と言った、お前。KもNも、「見た目が醜悪」という最悪な害だろうが。と、私は思う。しかもゴキブリならまだゴミを食って生きる慎ましやかさがあるが、あいつらは花などを食う。ふざけるな、気持ち悪い見た目でメルヘンなものを食うな。

子育て中、何が困るのかと言うと
その問題はNHK Eテレにある。

子どもを生んでから、こんなにありがたいチャンネルはないと思っている。神様のような存在。だがしかし、Kの登場回数が異常なのだ。
ひどいものは本物の奴がドアップで映るオープニングがあり、私は凍りついた。あんな奴突然映していいもんじゃないだろ。「今から不愉快な映像が流れますのでご注意ください」という一言を事前に添えてほしいほどだ。

リアルが嫌なことはもちろんだが、私レベルになると絵ですら嫌悪感を覚える。Kに至ってはなぜか可愛く描かれることが多い。可愛い目をつけられ、ピンクのほっぺにされていても、私のこの感情は揺るがない。というかみんな目を覚ましてほしい。騙されるな。

このように、あんなに気持ち悪い生き物なくせして可愛い生き物面しているところが許せない。
母にある時「えーかわいいもんじゃん、カラついてて」と言われたが、殻がついていて可愛いという認識になるならゴキブリに殻背負わせてやろうかと思った。

そしてあんなに気持ち悪いのに(何度でも言う)、企業のマークに採用されていたり挿絵に使われている頻度が高いのが解せない。あんなに気持ち悪いのに。
ゴキブリの方がまだ虫っぽさがあると思う。カサカサしていて、バッタとかコオロギの部類に属していても然程違和感ないと思う。しかしKやNはどうだ。なんだあいつは。何の為に生まれて、何をして喜ぶ。(突然のアンパンマンマーチ) 
存在そのものと、生きる理由がわからなさすぎておぞましい。何故人々はこいつらを普通に虫だと受け入れられているのだろうか。

しかし本当に、育児とKは密接じゃないかと思う。
私は先日よちよち歩きの息子を連れて公園に行った。その公園には小さな池があり、子どもたちはそこでよく遊んでいるのだがその日は幼稚園くらいの男の子が数名戯れていた。

母親たちと来ていたようで、
「おかあさーーん!」と母に駆け寄って行く男の子。

「虫捕まえたー!」
「何捕まえたの?」

「ミミズとー、ダンゴムシとー、

KタTむり!」



帰りたい。



声が聞こえてきただけでぞっとした。
ミミズもダンゴムシも、もちろん嫌だがそれとは比にならないくらいKが嫌すぎる。本当に勘弁してほしい。どうしてあいつはあんなに捕まりやすいのだ。しかも小学生くらいになると教室で飼っている場合もある。Kを飼うだなんて正気の沙汰ではない。野に放て。いや出来れば砂漠に放て。そして絶滅しろ。


帰りたい。と言ったが、私はその声が聞こえた瞬間、本当に帰った。近くにいるという事実だけで死ぬほど辛かったのだ。もし何の気なしに男児が「見てー!」と無邪気に言ってきたらどうしよう。「ごめんねおばちゃんこいつのアレルギーなんだ近寄ったら死ぬかもしれない」とめちゃくちゃ真顔早口で捲し立てかねない。

そして私は抱きかかえてるムチムチした生き物に目をやる。


この子………男児、だな………


どうか、虫好きにならないでほしい。
いや虫ならいいのだ。カブトムシやバッタならなんて事はない。Kだけは、Kだけはおやめください。

私は物心がついた息子にどんな嘘を吹き込んででも、Kを捕まえないようにしてやろうと思っている。

「毒があるよ、触らないで」
これがなんやかんや一番シンプルで効くのではないかと思ったが、もし万が一触ってしまった時パニックになるだろうか。別に何も起こりはしないのに、息子が無駄に不安になったらかわいそうだ。

「その子にも家族がいるんだよ…
○○だって、急にお母さんと離されたら寂しいでしょ?帰してあげよう」

これが一番心理的に有効かとは思うが、果たしてKを連れてきた息子にこんなに冷静に言い聞かせられるだろうか。写真や絵ですら嫌な私が。
実際のところ「ちょちょちょちょっとまじでやめて近づけないで捨てて はい、バイバイ!!バイバイ!!!!!」
これくらいになる想像は容易い。

こちらは牛乳と違い、これだ!という名案が思いついていないので、息子が成長するまでに何とかベストな方法を考えておこうと思う。

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