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新聞社は結局どうしたらいい? →プラットフォーマーと決別を。(書評:2050年のメディア)
2050年のメディア=下山進著、文春文庫、2019年
ウェブの発展に伴う環境変化に対応できず、没落を続ける日本の新聞社の現状を、90年代後半〜2000年代の黎明期Yahoo! Japan(以下ヤフー)と、我が世の春を謳歌していた新聞社との交錯から紐解く。
著者は元文藝春秋編集者。主に読売新聞、日経新聞、ヤフーの3社を軸に物語を展開。やや、というかかなり読売偏重+ナベツネ愛に溢れた描き方に「お、おう」となるが、ここまでマスコミ幹部に食い込んで直当たりで話を取ってきている本は他にないのではないか。ノンフィクションライターらしく、著者の論ではなく徹底的に取材で得た証言ベースで話を進めており説得力がある。
タイトルは「2050年のメディア(ってどうなってるんでしょうねえ)」的な雰囲気コピーという感じで、別に未来のメディアについて考察する下りはない。むしろベンチャーから始まったヤフーが肥大化し、力を吸い取られていく新聞社との愛憎入り混じる直近20年間の関係を描いた歴史書といった趣。ただ、直近のマスコミ業界内部の話をここまで体系的にまとめた本書は歴史書として貴重だ。
以下、自分用気付きメモ
米紙と邦紙、デジタル化成功の分水嶺は個別宅配制度(販売店)の有無だったのではないか。
米紙の収益は広告モデルが基本(7-8割広告だったらしい)、一方邦紙は販売利益が圧倒的に多い。戦後、拡販競争の中で販売店をバンバン作り、各世帯構成まで抑えた個別宅配の緻密なネットワークを構築。これによって世界でも類を見ない発行部数と莫大な利益を上げてきた。
一方、個別宅配制度=販売店の維持は、本書指摘の通りデジタル化との「カニバリズム」を起こす。紙の新聞とデジタルの契約、どちらも取る人が多いとは考えられず、デジタルが広まれば紙の部数を「食う」ことになるからだ。実際に、本書でも販売店を担当する新聞各社の販売局員がデジタル化に反抗する様子が描かれている。
この点、NYTやWSJといった米紙はそもそも販売店という反対勢力がなかったため、デジタル化は容易だった。
まさに「イノベーターのジレンマ」だ。紙の部数が多い読売新聞がいまだにデジタルに積極的でない一方、朝日や毎日といった紙が危機に瀕している新聞社がデジタルファースト(建前上)なっていることにも如実に現れている。
「あらたにす」はなぜ敗れたか
絶望的なネーミングセンスで全て説明できそうだが、本書はよりエビデンスベースで深掘りしている。
読後の私の結論としては、結局読売新聞がヤフーと決別できなかったからだと思う。あたらにす(長い。以後ANY)設立の目的は、ニュースプロバイダーである新聞社がプラットフォームを作り、ヤフーの手からネットニュースの支配権を取り戻すことだった。
なのに、読売はあらたにすをやらながらヤフーにもニュースを提供していた。完全に本末転倒だ。これは読売に限らず新聞社内の部署の利害が関係している。ヤフーなどの外販を担当するのは主に販売局系の部署だが、ANYを始めて外販を捨てればヤフーから入る年に数億円の利益を失うことになる。数億円というのは読売にとってははした金だと思うが、それでも一度手にしたドル箱を捨てるのは難しい。こうして販売系と、ANY担当の編集系部署が調整できずに二兎を追うハメになった。
ヤフーはこうした悪魔の契約、最悪な言い方をすればシャブ漬け契約により新聞社の反旗を許さなかった。そして2024年になっても、ほとんどの新聞社はヤフーの首輪を外せず徐々に老衰していっている。
では読売がヤフーと決別していれば未来は変わったのか。いいえ、ネーミングセンスが終わってるのでいずれにせよ無理だったでしょう。
結局、新聞社はどうしたらいい?→プラットフォーマーとの決別しかないでしょう。
世界でデジタルの収益化に成功している新聞を挙げれば、NYT、WP、経済紙(日経、WSJなど、顧客がマスではないから単純比較できない)になるだろう。
これまで、なんでアメリカでは新聞のサブスクが上手くいっているのか謎だった。もちろんNYTの洗練された報道とかはあるだろうけど、有料会員1000万人って、ダブルスコアどころではない。まあ、政治への関心とか国民性の問題というのももちろん否定はできないが、本書を読んで考えたのはニュースプラットフォーマーの有無だ。
ヤフーニュースは日本でこそ発展したが、本家アメリカヤフーはベライゾンに買収されほぼ存在感皆無だ。つまり、アメリカには日本のような大規模ニュースプラットフォームがない。そのため相対的にネット空間における新聞社の優位性が日本より高いのだ。
考えてみれば当然の話だ。私もマスコミ側の人間だが、ヤフーで最低限知っておくべき情報はタダで手に入るの世の中なのに、金出してまでネットで新聞を読む人はだいぶマニアックだと思う。
今の新聞の苦境はつまるところ原因は一つだけで、情報インフラとしての立場を失ったからだ。ガスや水と同じインフラだったから、みんなお金を出して読んだ。それが無料で情報が手に入るのにどうしてお金を出すだろう。水道が無料だったとして、誰がお金を出してミネラルウォーター水道(?)を契約するだろう。
だから新聞社が取るべき行動は一つ、プラットフォーマーとの決別、そして記事有料化によるサブスクファーストの徹底だ。短期的に赤字になっても、これ以外に将来のV字回復を目指す方法はない。
のだけど、本来こんな議論は15年前にしていなければならない。今の老衰した新聞社に外販収入の数億円を失う余裕はないだろう。日経電子版はここまで見越して、ヤフーに乗らず、2010年に完全有料新聞としてローンチした。それから14年。新聞社はもう変われないだろう。