反省よりも先に、子供の負の感情に向き合う
前回に引き続き、『反省させると、犯罪者になります』を読んで考えたこと。
この本は、人は、生きづらさ、しんどさ、不平不満、寂しさ、悲しさ、そういった負の感情をオープンにせず、抑制したままにすると、いずれ爆発(非行や問題行動)しますよ、という主旨です。「反省すること」に重きを起きがちだけど、反省しなければならないようなことをしてしまう背景には必ず、負の感情があり、そこまで掘り下げて自覚させることなく反省させても、また負の感情が心にたまり、同じことを繰り返す、と。
これって、人は、辛いことや悲しいことは、言葉にして誰かに聞いてもらわなければ、その負の感情を整理して解消することはできない、ということですよね。生きていれば、辛いこと悲しいことと無縁では入られません。
では、自分の子の負の感情とどう向き合うか?丁寧に考えてみました。
ともかく日々のコミュニケーション
日頃、あまり会話をしていない相手に、人に言いにくいことを打ち明けるわけがありません。それはたとえ、親子であってもです。もしかしすると親子であればなおさらかもしれません。
そう考えると、子が負の感情を打ち明けてくれるように仕向けるには、挨拶はもちろんですが、くだらない話や楽しい話、最近あった出来事なの、他愛ない会話を日常的に維持することは、必須でしょう。
私は年に何度か、仕事で大変な時期(これまでは1、2週間程度)があると、他の全てのことをおざなりにして仕事に頭を奪われてしまうことがあるのですが、こういう時期は要注意だと肝に命じておきたいと思います。
仕事に頭を奪われそうな時は、外食をしたり、掃除や洗濯を外注するなどして、徹底的に仕事以外を楽しながらも、子供とも会話の質・量だけはキープしよう。
負の感情を呟いた時の反応に要注意
元気のない顔をして幼稚園や学校から帰ってくる日もあるでしょう。今だって、保育園の帰り道にふと、思い出したように眉毛を八の字にして、「今日○○くんとケンカしたの。。」と言い出すことがあります。これから大きくなれば、ちょっとした諍いではなくて、友達と翌日も引きずるほど激しいケンカをしたことを話してくれたり、私や夫に対して不満を抱き文句を言ったりするようになると思います。思春期になれば、ますます、悩みは複雑になっていくでしょう。
子供がそういう「負の感情」を言葉にして私に話したとき、話終わった後、「話してよかった」と子供に思わせなければなりません。
まさか「話すんじゃなかった・・」なんて思わせてしまったら、子供はどんどん私に、負の感情を打ち明けてくれなってしまいます。
辛いことや悲しいこと苦しいことを言葉にしないと解消されないため、負の感情の抑制され、それが蓄積されて本人の心を苦しめて、ゆくゆくは爆発してしまう。
逆にいうと、言葉にしさえすれば解消になり、自分の気持ちを話すそれ自体に価値があり、意味があるということです。まずは一歩、本人は踏み出しているわけです。ですから、子供から話を振られるまでは、口を挟まず、一生懸命最後まで話を聞く、これを忘れないようにしたい。
できれば、言いにくかったであろうことに気づいてあげて、「よく話してくれたね」と声をかけてねぎらってあげたいものです。
そんなの当たり前じゃない?という気もしますが、本当に当たり前にできているでしょうか。
親や友人から悩み事やネガティブな話を持ちかけられたとき、つい、「それならこうしたらいいじゃない」とか「そんなこと言ってても先に進まないよ」なんて、つい指摘や頼まれもしなアドバイスをしてしまった経験ないですか?
その負の感情が、自分に対する不満でも、ムッとせずに冷静に聞いて入られますか?
もし子供が、実は…と悪いことをしてしまったと打ち明けてきた時にも、怒らず、問い詰めず、話をひたすら聞くことができますか?
この本には、子供が辛いことや悲しいことなど本音を話し始めたら、間違った考え方を言ったとしても絶対に指摘したり、正論を返してはならない、とあります。
正論は、相手の心を閉ざす「言葉の狂気」
ともあります。この言葉はとても刺さりました。
私は、自分自身が悩んだ時には誰にも言わずに解決策を模索しがちだし、基本的にポジティブであんまり悩んだりしないので、いわゆる「悩みを聞いてもらいたい」「共感してもらいたい」というのがあまりわからなかったんですよね。
だけどこの本で、少し理解できた気がします。
とにかく、もし、子供が本音を話してくれた時には、よくよく話を聞いて、「よく話してくれたね」というシミュレーションをしておきたいと思います。
子供が「自分の弱さ」を打ち明けたとき
想像するだけで(思考が現実化したら嫌なのでもう想像しません)、吐き気がするほど悲しいですが、将来もし娘がいじめに遭い、いじめに遭っていることを打ち明けてきたら。そういう時こそ絶対に、「よく話してくれたね」と労い、しっかり話を聞きたいと思います。
これには少し、心当たりがあります。いじめというほどではなかったと思うのですが、以前、妹が中学生の頃、泣きながら帰宅したことがありました。母が話を聞くと、ずっと愛用しているバッグのことを、意地悪な女の子にギリギリ聞こえるように陰で悪く言われたと。
その時私も話を聞き、悲しんでいる妹思って胸がキューっとなり、一緒に泣くことしかできませんでした。母は、話を聞くだけ聞いたら、「明日は学校に行かなくてもいい、家に居たかったら家に居ていいのよ」とだけ言って、寝かせました。
するとどういうわけか妹は、翌朝、さっぱりした顔をして、気にしてもしょうがないし、と学校に行ったんです。妹の強さを目の当たりにするとともに、一緒に泣くことしかできなった自分が不甲斐なく、何をしてあげればよかったんだろうと今でも心残りでした。
でもこの本を読んで、あの時、私も母も、「こう言い返しなさい」とか「そんなことで泣くな」とか言うことなく、ただただ話を聞いていたのは少しでも妹の役に立っていたんだと思えました。そのくらい、翌朝にはすっきりした顔をしていたし、翌日の帰宅後も特にめげている様子もなかっタノです。
友達に陰口を言われたり、無視されたり、いじめられていることを打ち明けるって本当に勇気がいることです。恥ずかしいし、お母さんが傷つけそうだから、なかなか話せないでしょう。
本には、いじめられていることを親に打ち明けたら、怒られたり、自分でなんとかしろとないがしろにされた事がきっかけとなって、非行に走った受刑者が少なくないと書いていあります。そんな目には絶対にあわせたくないですが、もしそう言う目に合い、打ち明けてくれたら、話してくれたことを誉めたたえようと思います
親しく話せる大人をたくさん作る
最後に。
これまで子供が私に、辛いことや苦しいこと、悲しいことを話してくれたら、と言うことを考えてきましたが、どうしても私には言えないこともあるでしょう。
でも、誰かには話しておいてほしい。
繰り返しになりますが、負の感情を言葉にして話すことはとても大事なのですから。
そこで思うのです。子供が、親しく信頼して話せる大人を、親である私や夫以外にも、できるだけ増やしておいてあげたいな、と。
第一に祖父母や、私の妹がいるでしょう。
もしかしたら言うれは、第二子が産まれ、兄弟が話し相手になるかもしれません。
学校の先生、習い事の先生、近所のおばちゃん、友達のお母さん。
子供がしょんぼり歩いていたら、「どうしたの?」と声をかけてくれ、かつ、子供も「この人なら話してもいいかも」と思わず話してしまうくらいに親しい人。
そう言う関係作りを大事にしたいと思います。
ストレス耐性って
最近、心身ともに健康に生活し、大人になってからも高い成果を出すために必要な能力としてストレス耐性(レジリエンス)が注目されています。
この本を読んで、自分の弱さや辛さ、生きづらさを幼少期から誰にも受け止めてもらうことなく、言葉にできないので自分も自覚しないうちに心に溜まっていたら、さぞやストレスには弱くなるだろうなと思いました。
だから、些細なことでキレてしまったり、誰も近寄ってこないようにいきがってみたり。あるいはほんの少し自分のストレスを受け止めてくれたと感じた瞬間に、宗教や恋人にのめり込んでしまうような事が起きてしまうのかなと。
逆にもしかするとストレス耐性は、辛いことや悲しいことを人に打ち明け、聞いてもらい、整理をして乗り越える、こんなことの繰り返しをしているうちに身につくのかもしれません。
と言うわけで、子供にレジリエンスを身につけさせるためにも、日々のコミュニケーションを大切にしながら、子供の力を信じて、負の感情を受け止めてあげようと誓ったのでした。
おしまい。
色々考えるきっかけを与えてくれる本でした。