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インセルのカブトムシ

久しぶりに体調を崩して、昨日今日はずっと寝込んでいた。幸い今は熱が下がってきたのだが、咳と喉の痛みがかなり辛い。

泣きっ面に蜂、弱り目に祟り目、なぜかは知らんがこういうときに限って普段かかってこない電話がかかってくる。

一つ目は酔っ払った友人からの着信だった。曰く、職場の先輩とどうやら飲み会後にエッチな雰囲気になったらしくエッチな雰囲気でしそうなことを全部やったらしい。本人は「今はもう賢者モードで性欲とか一切ない。すっかり冷めてしまった」とか言っていたがめちゃくちゃ早口だった。本当に体調が悪かったのと本当に悔しかったので口汚く罵って電話を切った。

二つ目は失恋した友人からの着信だった。曰く、ずっと好きだった相手からきたLINEにより、婉曲的な表現でフラれてしまったらしい。なんて返信すればいいかなあ?と半泣きの友人に対応するのが本当にめんどくさく、chat gptに返信を考えてもらったスクショを送ったら口汚く罵られて電話を切られてしまった。体調が悪い中わざわざ調べてやったというのに。

三つ目は着信ではないし、個人的に送られてきたメッセージですらないのだが、友人の鍵アカウントのツイートだった。曰く、数年前に好きだった女の子から久しぶりに連絡が来たらしく、喜び勇んで文面をよく読むと、通信キャリア契約の営業だったらしい。ここまではよくある話なのだが、なんとしっかり営業に付き合ってあげただけでなく新しくキャリア契約してきたらしい!この報告のツイートを見て俺は自分の体調も忘れて転げ回って笑ってしまった。こういう話でマジで契約する奴本当にいたんだな。

俺がクソ暑い子供部屋で唸っているとき、友人たちは恋に性欲に正直に生きていて悔しくなった。

悔しくなったついでに思い出すことがあった。


俺の実家はマンションの低階層に位置しているものの、築年数が比較的新しいことや近辺に自然があまりなかったことから、虫や動物が家の中に入り込んで困った経験はほとんどない。
そのせいか今では虫に触れたり近付いたりするのがかなり苦手になってしまった。

そんな俺にも田舎者のガキと同じように、セミ捕りやダンゴムシ集めに熱狂した時代があった。
小学生のときに学校周りで捕まえられる虫で自作の標本を作ったことがある。保存方法に関する知識が皆無だったため、すぐに変色し異臭を放って無理矢理捨てさせられたが。

俺はその当時から逆張り気質のおませさんだったので、カブトムシやクワガタなどのワーキャー昆虫よりクモやムカデなどの玄人ウケっぽい虫の方が好きだった。
同級生がカブトムシを飼い始めたという話を聞いても、ふーんまだ“そこ”ね、と思っていた。これは嘘。本当はちょっとだけ羨ましかった。カブトムシも正直めちゃくちゃ好きだった。

虫カッケェのブームは小学3年生くらいには徐々に終わりを迎え、ガキは本格的に運動なりゲームなりにコース分けをされることになる。
俺は当然ゲームと言いたいところだが、親が極度のゲーム嫌いだったため幼少期はほとんどゲームをした記憶がない。今では考えられないくらい外で遊んでいた。

今のガキはスマホやらSwitchやらが定着しすぎて全員ある程度はゲームやるから、コース分けみたいな雰囲気はあまりピンとこないかもな。
ガキはもっと虫取りとかサッカーとかしなさいよ。

高学年になったガキ共はカブトムシのかっこよさも忘れてモンハンか受験勉強か、あるいはマセたガキは恋愛に熱中するようになる。ちなみに俺はマセすぎていたので恋愛に逆張っていた。これは嘘。本当はクラスメイトに好きな女の子がいた。
その子は小中9年間に渡って各クラスで一番サッカーが上手い男を取っ替え引っ替え付き合っていた。ほろ苦い。
とにかくモンハンも受験勉強も俺は全く知らなかったし、虫畜生への興味なぞまるで皆無であった。

そんな小学5年生の夏、俺んちのベランダにカブトムシがやってきた。

ある朝起きたら洗濯物を取り込んでいた母がベランダで騒いでいた。
自分もベランダに出ると、ツヤツヤに輝く立派なカブトムシがシーツに張り付いているのが見えた。
近くに森はないため、同じマンションで誰かが飼育していたものだろうか。確かに野良とは思えない光沢感があった。

親父が仕事帰りに小さな虫籠を買ってきた。誰が言い出したかは忘れたが、我が家でこのカブトムシを飼育することに決まった。うちのマンションはよく遺失物の預かり報告や捜索依頼などが張り出されていたので、もし誰かが飼っていたものだったら返そう、ということになった記憶がある。違うマンションの人が飼っていたやつだったらどうするんだ。

いくら虫に興味ない顔をしていたとしても、所詮は小学5年生なので初めて自分が飼うカブトムシに心が踊らないわけがなかった。
冷静に考えて脚も翅も角もカッコよすぎる。
すっかりかつての虫ブームが俺の中でリバイバルされていた。

バナナの切れ端や昆虫ゼリーを与え、その勇ましくも愛らしい挙動に夢中になった。
夏休みの絵日記はカブトムシで二日埋めた。
プールから帰ってくると風呂よりも先にカブトムシを見に行った。
飼育に知識のない一家であったため決して良い環境ではなかったと思うが、当時の俺は本当に彼を愛していた。

飼い始めて2週間ほど経った日の昼過ぎ、愛しきカブトムシが行方不明になった。

虫籠を掃除した後、蓋をしっかりと閉めないまま放置していたのだろう。エサの減りを確認するために籠の中を覗き込んだときには姿形もなかった。
血眼になってベランダをくまなく捜索するも一向に見つからなかった。

元より誰かが飼っていたかもしれないものだ、ハナからウチがお金を出して手に入れたものじゃない。元の居場所に戻ったと思えばいい。そう両親から言い聞かされるも、そんな理屈で納得が出来るわけがない。

今にも泣き出しそうな顔をしながらベランダから中に入ると、リビングにいた親父が脱衣所から発される異音に気がついた。網戸は閉めていなかった。

もしや、と思い脱衣所に行くと、洗濯機の中でバリバリとかカリカリといった感じの羽音が聞こえた。
これはまさにカブトムシではないか。
期待に胸を膨らませて洗濯機を覗き込んだ。

俺の愛するカブトムシが、母の使用済みブラジャーに一心不乱に生殖器を擦り付けていた。

洗濯物が貯まったら洗濯機を回せるように脱いだ物をそのまま投げ入れていた、その母の洗う前のブラジャーに一心不乱に生殖器を擦り付けていた。

愛するカブトムシが、カッコよくてかわいい俺のカブトムシが、f2層半ばの母親のブラジャーに生殖器を擦り付けていた。一心不乱に。

カブトムシのチンチンを見たことがない人はググってみてほしい。たとえそれまでの人生で一度もカブトムシのチンチンを見たことがなくても「これは絶対にカブトムシのチンチンだ」とわかるフォルムをしているから。

母は「あら〜フェロモンか何か出てるのかしら」と言っていた。黙っててくれよ。

無事に見つかって両親は喜んでいたが、もう俺は以前のようにカブトムシを愛せなくなっていた。

そもそもウチのベランダにいたのだってもしかして母のブラジャーに惹かれてやって来たんじゃないか。なんて助平なカブトムシだ。

俺は飼育のモチベーションがすっかり落ちてしまって、その後は何故か飼育のモチベーションが少し上がった母がほとんど育てていた。

脱走事件から1週間も経たずにカブトムシは死んだ。

結局元の飼い主は現れず、最期はウチのカブトムシとして天寿を全うした。
ちょっとだけ泣いてしまった。

そうして夏が終わった。


それから今日までの人生で時々カブトムシのことを思い出しては、ブラジャーに生殖器を擦り付けていた滑稽さに破顔した。
最近インセルという言葉を知り、彼はまさにインセルのカブトムシだったんだなと思った。
インセル、不本意な禁欲主義者、すなわち非モテ。
メスカブトムシとセックス出来ずに人のブラジャーに腰をヘコヘコさせるなんて情けない。
ことあるごとに彼を冷笑してきた。


今日久しぶりに彼のことを思い出した。


昨日今日で見た3つの恋愛エピソードは、全部インセルだ。インセルのカブトムシだ。

一つ目の奴は、彼女がいないくせに溢れる性欲のせいで貞操観念の緩い先輩という間違った対象に生殖器を擦り付けるカブトムシだ。

二つ目の奴は、何年も前から脈がなかったのに忘れることが出来ず久しぶりに送られてきた連絡にさえ生殖器を擦り付けようとしてしまったカブトムシだ。

三つ目の奴は、生殖器を擦り付けるためならキャリア契約の営業にさえ匂いに惹かれ飛んで行ってしまうカブトムシだ。


俺はほんの一瞬、こいつらを馬鹿にしようとした。
恋愛感情や性欲に振り回される愚かな奴らめと。

違う。

こいつらは前に進んで戦っている。
その黒く雄々しい角を振り回し、子孫を残そうと戦っている。

それに比べて俺はどうだ。恋愛市場から脱落し、毎日執念のようにブルーアーカイブのエロ同人を読み漁り、男を憎み、女を憎み、クソ暑い子供部屋で呻いているだけではないか。

俺の愛したカブトムシは、狭く苦しい虫籠から逃げ出して、自分の一生を賭けて、死に物狂いで子孫を残そうと少しでもメスのいる方へともがいたのだ。
残り少ない体力で必死にメスの匂いを嗅ぎ分け、ブラジャーに爪を立てたのだ。

それが例え失敗に終わろうと、子孫が残せなかろうと、むしろ同じ状況にある俺こそ、彼の勇気と努力を賛えるべきではないだろうか。

結局また茶化しているような言葉に見えるかもしれないが、そんなことはない。
誇張や皮肉などではなく、俺は心の底から彼に対する尊敬の念を抱いた。

俺はようやくあの夏に飼っていたカブトムシを心から愛することができたのだ。

それがちょっとだけ嬉しかった。



今年もすぐに7月がやってくる。

いるだろ。
俺と同じように、恋愛市場から脱落し、毎日執念のようにブルーアーカイブのエロ同人を読み漁り、男を憎み、女を憎み、クソ暑い子供部屋で呻き、恋愛感情や性欲に生きる者達を冷笑する奴らが。
俺やお前らみたいなのをインセルと呼ぶらしい。

今年こそは空虚だろうが無意味だろうが、なんでもいいよ。なんでもいいから爪痕を残さないか。
俺と一緒にインセルのカブトムシにならないか。
インセルのカブトムシになって、まずは虫籠から飛び出してみないか。


そんな、誰に向けるでもないメッセージを考えていたら少しだけ熱が上がった。


また暑い夏が始まる。






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