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いっぱい食べられることがかっこいいと思っていた。

*これは2024年の3月くらいに書きかけで放置していた文章である。
*noteって公開日時を遡って設定出来ないの不便じゃないか?
*最近コロナに罹った報告から始まる文章を公開したばかりだが、3月はインフルエンザに罹っていたのだ。
*筋トレとサウナを趣味にしてからというものどんどん病に弱くなっているのは何故なのか。
*筆者はこの文章で取り沙汰されている炎上に今でも怒り続けている。

バナナばっか食べていた話

ここ数日、かなり激しめのインフルエンザに罹患しており、つまり今まで出会ってきたどのインフルエンザよりも彼奴(きゃつ)は俺の心身を痛めつけ、いろんな意味でわりと大事な日々を寝たきりで過ごしていた。

あったりまえのことではあるのだが、所詮インフルエンザとはいえキツいものはキツい。
発熱や咳込みが辛いのは当然として、腹は減るのに食欲が湧かないというのが個人的にはかなりキツかった。

空腹感のようなものは感じるのだが、そもそも立ち上がって食卓につくこと自体が困難であった。
そのため、冷蔵庫に冷やしてあったバナナをもぎってはベッドに戻って食べる。寝る。のようにして、なんとか空腹を誤魔化していたのだった。

今日になってようやくそこそこ食欲が戻り、夕食で素うどんにありつけることが出来たわけだが、3日くらいバナナしか食ってなかった男からすると素うどんさえも美味すぎて感動した。明日は米いきたい。

インフルエンザがしんどかったってだけの話を大仰に語りたいわけではなく、月並みな話ではあるが、食えなくなって改めて食の大切さを実感したわけである。
未だにラーメンやピザなどが食べられるコンディションではないが、早く本調子に戻って好きな物をたらふく食べてえなと思ったわけだ。


最近バズってたポストの話

そんなことを想いながら巡回するXで気になるポスト発見。

焼肉食べ放題で上タンばかり食っていたら店長にマジギレされてクソワロタ
たった50人前だぞ?
こんな頼むひと初めてだとかキレてたけどほなら食べ放題やめろよな

2024/03/14とあるポストより引用

このようなポストがバズをしていた。
要は原価の高い上タンを食べ放題でわんさか食べていたら怒られたらしい。
俺も「食べ放題」という言葉が「流刃若火」の次に好きなので、ついつい調子に乗って食べすぎてしまう人の気持ちはよくわかる。

とはいえ、こういうポストは賛否がわかれるやつだなとリプライを覗いてみると、意外にもわりと“否”寄りのものが多かった。あとスパムが多すぎてもうあんまり誰が生身なのかわからん。

つまり投稿者側が間違っているという意見が多く、大別すると2通りの理屈があるように散見された。

1つ目は「いくら食べ放題と言えども店側の都合も考慮して注文するべき」という理屈である。大人なのだから、額面通りバクバク食べるのはマナー違反である。いくらなんでも限度というのを学ぶべきとのことであった。

確かにそうだよなと思いつつ、ルールの中で注文してるんだから客が怒られるのは可哀想だなとも思った。

2つ目は、「この店はお前の前例のせいで上タンを食べ放題メニューから消すことになるだろうから、それは長期的な目線でお前も損だぞ」という理屈であった。
つまり、店側も悪くないし客側も悪くないのだが、今バクバク上タン食って怒られるのは、結果的に店も客も損してないか?ということである。

これには俺もそ…それは…そうや……と思ってしまったというか、まあ良識ある皆様にとっては当然のことなのかもしれないが、俺は本当に考えたこともなかった。
食べられるぶんだけメシを食べるのが食べ放題のマナーであり、ひいては食事のマナーだと思っていた。


おかわり無料という欺瞞と俺の痴態


この一件で思い出すことがあった。
かつて俺が友人たちと京都旅行をしたときの話である。
せっかく京都まで来たのだから良いものを食べようと、学生にしては少し背伸びした店ですき焼きを食べることにした。
俺は貧乏かつ貧乏舌のため、基本的にラーメンか牛丼以外の外食をしないのだが、友人が見つけてきてくれた店ということもあり、期待に胸を膨らませながら入店した。
テーブルに座ってお品書きを見ると、燦然と輝く「御飯おかわり無料」の文字!しかも一杯までなどという興醒めする注釈も入っていない!
普通に育ちが悪りぃので上等なものは食いごたえがないと偏見を抱いていたが、なんと嬉しい、米のサブスクライブがあるではないか。
よっしゃあ。
ならばここは『ねぎしスタイル』と洒落込みますか。

※『ねぎしスタイル』とは

ご飯のおかわりが無料なねぎしで『牛タン三種盛りセット』を頼み、とろろで一杯、漬物で一杯、牛タンで二杯いくこと。俺が勝手に名付けた。

うおおおおお美味そーーーー!!!!!!
いただきまあす!!!!!!
すき焼きは暫く出来ないから、まずは漬物だけで米イクぞ!!
ハムハムカリコリモシャモシャ
うまああああああああああい!!!!!!
漬物だけでも圧倒的な“レヴェル”の差を感じるやね!!!
あ!もうご飯がない???????
すみませえええん!!!ごはんのおかわりくださあああい!!!!
…………ありがとうございます!!!!!
やったあー!!薬味とかでもね、全然米いけますからね。ムシャムシャ。
おっと、もしかしてすき焼き出来ちゃったんじゃない?????
美味そーーーーー!!!!
いただきます。
美味いーーーーーー!!!!!
やっぱ質の高いすき焼きって全く異なるね、なんというか、その、“レヴェル”が。
すみませええええん!!!ごはんのおかわりくださああいい!!!!
………………ありがとございます!
いやあ美味いねえ。
人間やっぱりラーメンや牛丼とかばっかりじゃなくてたまにはこういう質の高いものに触れておくべきだよね!!!これ、マルです!!!マル!!!
もう米がいくらあっても足りませんぞ!!!!
すみませええ!!!!ごはんのおかわりくださあああい!!!
……………………ありがとうございます!!!
もうこれ無限になっちゃってる!米が!!
無限になっちゃった!!!!
肉もまだある!!!!肉まだある!!!
肉でご飯をこう、かき込んで…………
美味いいいいいいい!!!!!!
ほんとに、米、これ、これ無限(笑)。
すみませんねええ!!!!ごはんの、おかわりをですねえ!!!!

え、あ、そうですか。
本来ご飯のおかわりは1名につき1回まで、もうこのテーブルはおかわり不可、あ、なるほど、了解です。
あ、いえ、こちらこそ何度もすみません。

えっと、あー、その、みんな、本当にごめん。


いっぱい食べられることはあんまりかっこいいことではないのか

fat boyの父とfat girlの母との間に生まれたのにも関わらず、今日に至るまでGARIGARI NERD BOYである俺は、幼少期からもっと食べなさい、残さずに食べなさいと教育されてきた。
無理矢理食べさせられることはなかったので決して虐待ではないとは思うのだが、この教育方針は俺の価値観に大きく影響した。
鯨飲馬食こそ人間の誉れだと思っていたし、いっぱい食べられることがかっこいいと思っていた。

友人に「motyって牛乳ジャンケン*毎回参加してそうだよな」と言われたことがある。
*給食時、余った牛乳を争って行われるジャンケンのこと

流石俺の友人は俺のことをわかっている。俺は牛乳ジャンケンをより多く飲むことをステータスだと思っていた。

高校では部活帰りに友人とラーメン屋に行き、誰が一番替え玉を出来るかを競った。
記憶の中では俺が一番食べられたはずだ。
そのことを誇りに思っていた。

アルバイト先でも誰より賄いのご飯を大きく盛った。
流石に申し訳ないとも思っていたが、俺がたくさん食べると店長が喜ぶので俺はそれが正しい行いであると信じた。

自分に自信がなく、気を抜くとついつい自虐をしてしまう俺であるが、いっぱい食べられることは自分で自分を手放しに褒められる数少ない長所の一つだった。

その“いっぱい食べられる”神話を覆されたのが今回の炎上であった。

思い返すと、俺がたくさん食べることで褒めてくれたのは両親やバイト先の店長など大人ばかりで、同級生に食べる量を褒められたことはなかった。

「もしかして食べる量が多いやつってダサいのかもしれない」

そう気が付いてしまうと、食費はかかるし食い意地は張るし下品だし全くいいことがなかった。

元来コミュニケーションが苦手で、いっぱい食べてさえいれば周囲に可愛がられると思っていたが、意思の疎通がとれなくてめっちゃ食べる男を客観的に見ると人里離れた山奥に住む化け物のようなものではなかろうか。

それにしても、昔はご飯を食べられれば褒められたのに、大人の世界では食べないほうが美徳なんて価値が丸っきり転覆しているではないか。
足速い奴が大人になってバカにされてるみたいな理不尽さを感じるが、確かに大人になればなるほど歩くスピードが遅い奴の方がモテるかもしれない。

つまるところ俺は価値観のアップデートを思春期で出来なかっただけなのだろう。
世間一般の奴はとっくに気が付いていたのだ。

自分のアイデンティティごと世界に否定された気がして悲しくなった。

食べ放題でルール通りに食べた程度で炎上するのは全くおかしい話だと俺は思うがね。


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