キラキラじゃない〈武井イズム〉の味わいをどうぞ:シャーマンキング
『シャーマンキング』武井宏之(集英社→講談社)
『シャーマンキング』は、王道のようで全然王道じゃない、作者・武井さんのイズムとフェチズムが詰まった作品だと思っています。
それがたまらなく好きで、自分の自然観や宗教観に影響を与えたことは疑いがないのと同時に、全然まったく微塵も理解できないところもあります。いえ、それこそ〈宗教〉とか〈聖典〉になるほうがまずいと思うので、このスタンスでいいとは思っています。あこがれはりかいからもっともとおいかんじょうだよ(某死神漫画参照)。
あらためまして。
私にとって『シャーマンキング』は、旧アニメがOP・ENDかつ〈嫁〉たる恐山アンナさまを林原めぐみさんが演じたことから観はじめ、以降人生のメインジャンルとなった作品です。推しはもちろんアンナさま。からの麻倉夫婦推し。
そのため、原作は最初コミックス→アニメ終盤からWJで最新を読む流れでした。あの夏の日、帰宅した私に弟が「マンキンが終わった!!!」」とWJを渡してきたことが忘れられません。
〈武井イズム〉と称しているものは、たとえば作中で竜さんがまん太に語る「サービスエリア論」なんかのことです。
人間は世界の頂点などではなく、誰かひとりが「勝者」になって世界を救うなんてうさんくさい。弱さとエゴと泥臭さをもって生きていくのがカッコイイ……というような。個人の見解です。
この空気は、原作と旧アニメから強く感じています。新アニメは原作準拠なのでもちろん根底にはそれがあるのですが、話数的な問題で駆け足だったので、正直〈武井イズム〉は薄れていると思っています。
旧アニメ:
あの時代らしいアニオリ満載で、「ハオがオパチョからすらも見放されて独りになってしまう」結末は違うと思っているけれど、そこかしこに〈武井イズム〉はあったと思っています。「おじさんたちが楽しんでつくっていた」かんじが好きとも言える笑。
挿入歌含めてめぐさんが5曲テーマソングを唄ってくれたのも最高でした(根深い新アニメへの恨み、後述)
新アニメ:
コアメンバーの中の人が続投、原作全編映像化の意気込みや良し、だったものの、その分駆け足になっていたことはとても口惜しい。それでも「恐山ル・ヴォワール」編を4話かけてやってくれたので短所を補って余りあると思っています。個人の見解です。
いえ後期OPと3rdENDは赦せてないんですけど……なぜルヴォのタイミングであの組み合わせなのか。
そもそもアニヲタかつマンキンもアニメから入ったひとなので、
アニメ話数ごとの感想がございます。お時間あればどうぞ。
(テレビ放送で1周目、DVD購入後ほどなく2周目の後)
▼ 旧アニメ/DVDで3周目
▼ 旧アニメ/DVDで4周目
▼ 新アニメ/テレビ放送で1周目
▼ 新アニメ/BDで2周
成人してヲタ活のタガが外れているので、そういうログもあります。
暴走するヲタクを眺めたいときにどうぞ。
▼ ヲタ活ログ:原作
▼ ヲタ活ログ:新アニメ
以上、マンキンヲタクのひとりごとでした。
FLOWERSアニメ化おめでとう!