卒業とは
私は何も予定のない日はふらっと電車に乗ることが多い。
本日、大きな花束を抱えた制服姿の男女が周りなんか気にせずに喋っていた。
その奥にはそれよりも小さな花束を持った女子三人組が見えた。
ひとつ前の記事にでも書いたが、私は他人から花束をもらったことがない。
イヤホンの音量をふたつほど上げた。別に意味はなかった。別に。
おそらく近所の私立高校だろう。
私の地元の友達も二年前までこの高校に通っていたはずだ。
私が高校を卒業したのももう二年前かと思いをはぜるとともに
私は世の中の時間の流れにうまく乗れていなかったことに驚いた。
もう卒業シーズンなんて、今日卒業式があったなんて知りもしなかった。
二年前なら卒業まであと何日か、徐々に減っていく数字を何んとなく眺めながらこの日々を過ごしていただろう。
当事者でなくなると一気に興味がなくなってしまう自分に驚いた。
なんていう独り言をカフェで書いている。
そもそも今日カフェに来た理由は大学の卒業式アルバイトの打ち合わせを行うためだ。
何だかんだで「卒業」という事柄から離れきれていなかった自分に安堵した気がした。
私が卒業を経験するのはあと何回だろうか。
時間がたつにつれその機会がどんどんと失われている。
それは成長の証でもあり、もう戻れないことを意味している気がする。
区切り、である。
その区切りをはっきりさせるために、成長を実感するために
人は何に対しても「卒業」という言葉を使うのだろう。
例えば、ほら、いろいろあるでしょう。
私が次にする卒業は何だろう。
やはり、大学なのだろうか。
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